第68話 少年の成長は早い(中学生男子×OLのお姉さん)


 会社の入ったビルから出ると、すでに日は暮れており、空は暗かった。

 他のビルのネオンサイン、窓の明かり。車のライト。

 いつも通りの光景。

 けれど、今日は少し違った。

「……やっちゃん?」

 会社前の道。そこのガードレールに、一人の男の子がゆるくもたれてこちらを見ていた。

 彼の名前は、藤原 八束やつか。中学一年生。私・藤原千広の十一歳離れた従弟だ。

 この春初めて袖を通した学ランはまだ大きくて、彼の小柄さを際立たせている。

「よっ」

 私を見ると、彼はガードレールから身を起こして片手を上げた。

「千広ねぇ、お仕事お疲れ」

「お疲れ様……じゃなくて。何でやっちゃんがここに?」

「ん? 迎え」

 地面に置いていた鞄を肩に引っ掛けると、彼は私に並んだ。

「千広ねぇ、こないだからよくうちに駆け込むだろ? 変な男がいるって」

「それは、そうだけど……」

 彼の家は、私の家から近い。

 就職と同時に実家を離れた私は、何かと彼の家に世話になっていた。

 食事とか食事とか……、あとは、避難所だ。

 治安はそこまで悪くないはずだけれど、近頃、変な男に尾けられることがちょくちょくあるのだ。

 最近は、その男の姿を見たと思ったら、そのまま駆け込ませてもらっている。

 叔母さんも叔父さんも「どんどん来い! うちは武道の有段者しか居ないからな!」と言ってくれるけど、正直申し訳ないなあと思っている。

「だから、しばらく護衛代わりに迎えに来ることにした」

「で、でも中学生にそんな……」

「まあなぁ。俺はちっと小柄だから、あんまりビビらせたりは出来ねぇだろうけど」

「そうじゃなくて」

 私が、どう伝えるべきか考えながら鞄を持ち直したときだ。

「でも」

 パシッ

 あ、と思う間もなく。

 鞄から落ちかけた定期入れを、やっちゃんが受け止めた。

 ギリギリ、セーフ。

「反射神経には自信あるし、こう見えても合気道で鍛えてはいるからさ? 何かあったときにゃ、盾くらいにはなるよ」

 ほい、と手渡され、ありがとうと受け取る。

 本当に、すごい反射神経だけども。

「と、年下を盾に使うのは如何なものかと……っ」

「年下とか関係ねーだろ」

 チリンチリンチリンッ

 後ろから、自転車のベル。

 私が振り返るより先に、やっちゃんが私の腕をぐいっと引いた。

 ビュンッと私たちの横を凄い勢いで自転車が通り過ぎていく。

 これまた、ギリギリセーフ。

「荒事は腕の立つ方が引き受ける、それくらいのことだよ」

 吃驚したまま、やっちゃんの方を見下ろすと、彼はフッと目を細めて笑った。

 その顔は、今まで見て来たどの笑顔よりも、大人びていて。

 ドキッと、胸が高鳴った。

(いや、わ、私は何を……)

「代わりに、千広ねぇは、暇な時に俺の勉強見てくれねぇかな?」

「勉強?」

「おう。英語がちょっとなぁ……」

 へへ、と照れ笑いする顔は、いつもの年相応の笑顔だった。

 良かった、危なかった……と、胸を撫で下ろす。

 いや、何が危なかったのか、深く考えてはいけない気がするけれど。

「ふふっ、いいよ。お安い御用」

 私が笑って言えば、

「ありがと」

 やっちゃんは、また目を細めた。

 まるで、眩しいものを見るみたいに。

 またドキドキしそうな胸を誤魔化すため、

「約束ね」

 私は、小指を差し出した。

 その指に、やっちゃんもそっと小指を絡める。

「ん」

「交換条件成立、だね」

「だなあ」

 くすくすと二人で笑い合った。

 まるで、二人とも子どもだったときみたいだなと思った。

「まあ、あれだ」

「?」

「そんな条件抜きに、千広ねぇと一緒に居られるようになれたら一番なんだけど」

 ニッと、やっちゃんが笑う。

 いつもと同じ悪戯っぽい笑みなはずなのに、何故か瞳には違う色があるような気がした。

「!」

 油断した瞬間、これだ。

「それって、あの」

「まー、詳しくはもうちょい待っててくれや」

 やっちゃんは、私の鞄もさりげなく奪い取ると、言った。

「もっといい男になるからさ」

「……」

 これ以上、いい男になってどうするのだろうか。

 今日の晩飯は何かなぁと暢気に笑う横顔を見ながら、私は自分の胸の高鳴りを持て余していた。


 END.

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