第39話 道化は足掻く、みんな、みんな《Everyone, Clown》



 ——ニアは、夢を、見ていた。



 いつも通りの暗闇。前の「いつも」がどうだったかなんて忘れてしまって、ただ、まどろみだけが救いで。


「今日も読むか」


「うん」


 ベッドの脚にもたれかかって笑かけてくる父。彼はもう、四〇近い年のはずだが、皺ひとつなく年の陰りを見せない、少年のような笑顔だった。


「ねえ、父さんはどの登場人物が好き?」


『仮面の騎士』には、多くの登場人物がいる。

 小心者の王様。嫌味ったらしいお妃様。不気味な宰相。流浪の剣士。自信家の狩人。知的な魔法使い。凄腕の将軍。ずる賢い参謀。残酷な亜人。

 そして、道化の騎士と、乱暴なお姫様。

 敵も味方もたくさん。一人一人の出番はそう多くないけれど、特徴的な人間ばかりである。


「好きな登場人物か……。そりゃあやっぱり主人公だな。ちょいと臆病なところはあるが、勇気ある『男』だ。かっこいいじゃねえか。ニアは、どうだ?」


「おれは。おれも——」


 もちろん、決まっている。

 自分が憧れるのは、強く、心が強く、勇敢な。そんな。


 幸福な時間が始まった。



 仮面の騎士は、旅に出ます。

 旅はつらく、長い道のりです。

 だから仮面の騎士は仲間を探しました。

 自分一人の力では何にもできないことを、知っていたからです。


 最初に見つけたのは、流浪の剣士でした。

 あてもなく剣の修行に励む剣士に、仮面の騎士は頼みます。


「帝国の将軍を倒したい。力を貸してくれないか」


 剣士は初め、断りました。


「僕は修行中の身だし、とても将軍には敵わない。僕は、もっと強くなりたいんだ。まだ死にたくないよ」


 仮面の騎士は言います。


「ならば、共に腕を高めよう。誰にも負けないように。そして目的が叶ったその時は、君のもう一つの腕になろう」


 そして、自分が戦う本当の理由を話しました。


「そこまで言うか。よし、着いていこう」


 こうして、剣士が仲間になりました。



 次の仲間は、自信家の狩人でした。

 森の中の獣を狩り尽くして退屈していた狩人に、仮面の騎士は頼みます。


「帝国の将軍を倒したい。力を貸してくれないか」


 狩人は初め、断りました。


「無理だね。なんてたって、弓は将軍に通じない。なぜだかわかるだろう? 弓矢じゃ鎧は貫けない」


 仮面の騎士は言います。


「ならば、鉛玉をぶつければいい。弓しか使っていけないことはない。そして目的が叶ったその時は、君のもう一つの足になろう」


 そして、自分が戦う本当の理由を話しました。


「なるほどね。気に入ったよ。俺もついていく」


 こうして、狩人が仲間になりました。



 最後の仲間は、知的な魔法使いでした。

 違法な実験に手を染めたために祖国を追われた魔法使いに、仮面の騎士は頼みます。


「帝国の将軍を倒したい。力を貸してくれないか」


 魔法使いは初め、断りました。


「嫌よ。私は誰かの下に着くのが大嫌いなの。自分勝手に行きたいわ。付き従うのは、死んでもごめん」


 仮面の騎士は言います。


「ならば、奴隷にすればいい。私の体と心を全て君のために尽くす。そして目的が叶ったその時は、君のもう一つの頭になろう」


 そして、自分が戦う本当の理由を話しました。


「ふーん。言ったからね。じゃあ、ついていってあげる」


 こうして、魔法使いが仲間になりました。

                     』



 そして描かれるのは、胸躍る大冒険。

 ニアの「幼い」心には、とても響いたのだけど、同時に、架空であることを強く意識した。

 お話は続く。



 四人はたくさんの冒険を経て、帝国のお城までたどり着きます。

 お城の前には残酷で名高い亜人が立っていましたが、四人の敵ではありません。

 鋼に斬られ、鉛に貫かれて、魔法の炎に焼かれた亜人は、あっさり倒れてしまいました。


 それを、お姫様は眺めています。

 将軍もその後ろで、眺めています。


「仮面の騎士様が……なんで」


 お姫様にはわかりません。

 なぜ彼が、助けに来たのかわかりません。


「お前は奴を知っているのか?」


 明日にもお姫様を妻として迎えるつもりだった将軍は、少し面白く思っていました。


「知ってるわ。けど、一度会ってお話しただけ。ただ、それだけよ」


「そうなのか。わからんな」


「ええ。わからないわ」


 でも、確かに、お姫様は嬉しかったのです。

                     』



 好きな、登場人物は——、

 決まっていた、はずなのに。



『お姫様も、いいなぁ』



   ***



 彼我の距離、およそ二〇メートルといったところか——。

 色調赤く彩られた絨毯が敷かれた、階段の踊り場、その奥に、いる。

 もちろん初めて見る顔なのだが、絶対にこいつだと、そう断言できる気配を、オレの目の前に立ち塞がる男は醸し出していた。

 絶級冒険者ランク5序列第四位——フェイリス・アーロン。

 自分が、相手だ。


「で、実際のところどうなんだ?」


「……は?」


 脅しの台詞から一転、どこか気の抜けた言葉を聞いて、オレも間抜けな声が出てしまう。


「いやだから、狼人ワーウルフの血を引くこの俺を、本気で騙すつもりだったのかって聞いてんだよ。ヤニの臭いすらしねえとは、ガキが迷い込んだのかと思ったぜ」


「……っ」


 ……こいつ、亜人デミ・ヒユーマン、だったのか……。

 しかしなぜ。前情報になかったし、何より特徴的な——。


「——あー、いいわ。その顔で大体わかった。……じゃあなんだ、テメェ、戦姫ヴアルキリー以下か?」


 見下す。その言葉がふさわしい視線が、遠慮なくヒロに突き刺さる。

 そんなことも見抜けなかったのか。目がそう言っている。


「おいおい随分と舐められてんだなぁ、冒険者ってやつは。七人いる程度の『特別』じゃあ、役不足ってことかよ」


「……。ニアは、どこにいる」


 一人でつらつらと軽薄に喋り続けるフェイリスに、睨みにわずかばかりの問いだけを返す。

 圧倒的な余裕に、飲まれないように。


「上」


 短く、人差し指を突き立てる男に。


「ニアを返してもらう。……そこ、どけよ」


「返して、か。……どっかで聞いたことがあるなぁ、それ」わざとらしく考えるふりをしたフェイリスは、「——ああ、思い出した。ちょうどいま実験用マウスみたいに体中を弄りまわされてる甘ちゃんなガキが——」



「——いちいちうるせぇな‼︎ どけって言ってんだよ、このキザ野郎が‼︎」



 気づけば、声を張り上げていた。

 内側の理性的な部分は、逃げろと悲鳴を上げていた。さっきビビってたのはどうしたと。

 けど、心は耐えられなかった。結局。


「吼えるねえ」


 ひひ、と。フェイリスは笑った。

 趣味の悪い余興を楽しむ貴族みたいに、嫌らしく。


「テメェのクソ度胸。気に入ったぜ、おい。超面白ぇよ。大海を知らねえ芋くさいガキをぶちのめすってのも、ありだな」


 殺気というものが可視化できるとすれば、きっといま、オレたちが佇むこの空間全てを嵐のように渦巻いているに違いない。

 それだけ、フェイリスの声音には嗜虐と——怒りが込められていた。


「…………」


 けれど、オレは目を背けない。

 瞬きだってしてやらない。

 奴の姿を視認した瞬間、否——ニアを助けると、アイネに誓ったその時に、すでに理解していたのだ。

 わかっていた。悟っていた。

 自分が奴を倒さなければいけないことを。

 ハッピーエンドはそう簡単にやってこないことを!


 だから——オレは目を逸らさない。


「……笑えねぇ」


 そんな視線を受けて。

 フェイリスの瞳から徐々に、本格的に色が消えていく。


「笑えねぇけど——笑うしかねぇ」



   ***



 この時。

 フェイリスの中では確かに憤怒という感情があった。

 もっと砕けば、目の前の少年の泥臭さにムカついていた。

 フェイリスの、この国での序列は第四位。

 そう、第四位。

 上にまだ三人いる。

 閃光の兄妹エレクトロ・ツイン烈風の魔女ブラスト・ウイツチ、………… 焔凍インフエルノ

 本当にムカつくことだが、彼らにフェイリスは勝てないのだ。

 ……もっとも、冒険者の序列は直接の戦闘能力で決められているわけではない。

 ただアドベントという国家から、一体でも多くの異形ヴアリアを駆逐したというその戦果に、ふさわしいとして授けられる「称号」だ。

 でも、知っている。知っていた。おそらく絶級冒険者ランク5の中で、フェイリスが一番、己の「立ち位置」を理解している。


 だって、彼だけが唯一、絶級冒険者の戦ったことがあるのだから。

 物事とは、なるようになっている、と。


「いくぜ、素人」


 だから、フェイリスは嘲笑う。

 自分より「下」のステージにいるクソガキに負けるはずがないと、そう確信して。

 ヒュッ。

 第七位の「特別」では反応できなかった宙を裂く剣を一本、、少年の頬掠めるように射出する。薄肌を斬り裂いた剣は、鈍い音を立てて壁をえぐった。

 それでも——少年は動かない。


「はっ、結局はテメェも同じ——」


 やっぱりなとばかりに笑みを広がらせていたフェイリスの口が……止まる。

 ……結果だけ見れば第七位と同じだ。彼も、微動だにできていなかった。目で、追っただけ。

 けど、目の前の少年は違う。目ですら追わない。

 、動かなかった。


「…………チッ、なんだなんだなんなんだよ。そのお遊戯会の小道具は。やっぱ舐めてんのか、テメェは」


 そしてさらに、フェイリスは気づいてしまう。

 少年の手に握られている「ナマクラ」に。

 なんと少年はこの薄汚い闇に首を突っ込んでおきながら、その無様にも小刻みに震える手を、汚さずに生きていこうというのだ。

 なんで。

 そんな生温い覚悟で、誰かを救おうなどと思えるのか。


「——気に食わねぇ」


 二〇にも渡る鋭い刃を、空中に広く展開する。屋内スペース、ギリギリいっばいに。

 距離は、二〇メートル。

 外す方が難しい間合い。

 射出。

 もうフェイリスは、一刻も早く少年の顔を忘れたかった。


 ——あんな実直で輝かしい生き方を、どうしようもなく羨ましいと思ってしまったから。



   ***



 全身に襲いかかってくる剣を、オレは自分でも不思議なほど落ち着いて見ていた。

 不殺の剣を抜いたあの時、あの瞬間にはもう、戦闘準備を終えていたが故に、オレの開き切った瞳は創造クリエイトされた剣の造形さえ正確に捉えている。


「————」


 必中であったのは間違いないが、ただ、それはというだけ。

 あえて階段を駆け上がる勢いで前進し、弾丸を思わせる剣の切っ先をピンポイントで弾き飛ばしていく。一本、二本、三本。剣はオレを中心に点で襲ってくるが、猛進する体には追いつかない。

 元より一〇歩もかからずと詰められる距離——一度凌げばインファイトに持ち込める。


「うおおおっ——‼︎」


 腰に手を当てて余裕面を見せていたフェイリスに、裂帛を上げて大上段の双剣を叩きつける。

 オレはもういっそ初撃で決着をつけるつもりだった——が、


「激甘ぇ」


 パキパキ、と。

 階段の踏み板から突如として生成された剣が、真下から貫かんと突き上がる。


「——ッ」


 反射だけで、横に跳ねたものの、追随するどころか先回りするように剣が地面から次々と飛び出てくる……。


「ほらほらぁ、そんなタップダンスで満足してんじゃねぇよ!」


 狂笑に身を任せている青年は、本当にただ立っているだけ。距離にしてわずか五メートルなのに、視界に映る敵との間には手数という名の壁が隔たっている。

 数秒、滑稽な踊りを披露していたオレだったが、さすがに動きに慣れてきたため、奴の認識に揺さぶりをかけることにした。

 踏み込んで横に大きく飛んだオレは、壁を着地点にして再び跳ねる。

 地の利はないが、地を利用しない手はない。

 縦軸のみではなく横軸を利用した攻撃はたしかに有効であったが、意表を突くとはいかない……。フェイリスの十八番であるらしい剣が、いつのまにか奴の側面に生成されていたのだ。

 オレの繰り出した斬撃は予想以上の力で押し返され、無情にも階段下まで弾き飛ばされる。


「オラァ、チップは特大コインでどうだ⁉︎」


 と、

 空を縫うことになったオレの眼前で、円形の物質がみるみると巨大に作り上げられていく。重力落下か、手動操作か、押し潰さん限りに迫ってくるそれを、オレが避ける術はない。


「がぁッ‼︎」


 とっさに腕を交差させて防御の姿勢を取るも、大質量の直撃に呼吸が止まる。

 それこそ床に挟まれて潰されるかと思った。だが、床に叩きつけられる頃には、体圧迫する感触は消えていて、強く打ちつけられはしたものの致命傷はない。

 消えた……?

 すわ奴が峰打ちをしたのかと見てみれば、それこそフェイリスは渋い顔をしていた。


「ふぅん。高速戦闘での面攻撃じゃあ、床のシミを作るには足りねえ、か。命拾いしたな、テメェ」フェイリスは頭をボリボリと掻いて、「……にしても、だ。テメェも普通の人間じゃねえだろ? あらゆる反応速度がイってる、悪魔的にやべえ動きだったぜ」


 どうやらお褒めの言葉を頂いたみたいだが、悠長に返してる余裕はない。ぜえはあと荒く呼吸しながらも、息を整えんとする。

 ちくしょう。……やっぱり強え。

 戦っている、と言えるのかどうかは微妙なラインだ。

 実際、今の攻撃で終わっていてもおかしくなかった。

 辺り一帯に突き刺さりまくっていた何十本もの剣が、傷跡だけを残して跡形もなく消えていることがオレが無事だった答えだ。奴の魔法は自由度が異常に高い強力すぎる性能だが、性質上、普通以上の想像力が要求されているはず。

 故に、物質を最後まで出現させておくことができなかったのだ……。


 まずは、一つ。

 かなりのダメージを負ったが、得れるものはあった。


「…………つまんねぇ反応だなぁ。あの鉄仮面女でも皮肉くらいは返すってのに。調子狂うんだわ、ほんと」


 フェイリスは言葉通りつまらなそうに息を吐くと、何本目かもわからない剣が宙に並べ始める。

 それを見て、

 やはり、と。またオレは思う。

 奴は銃火器を使わない。いや、使、のだ。

 単純すぎる話だが、この屋敷が実験施設と化しているからだろう。下手に機銃やら大砲やらをぶっ放した日には、家屋の倒壊すら招きかねない。

 また、後ろ暗い実験であることは確実なので、いくら王のお膝元に住む富裕層とはいえ市政にバレるリスクを考えれば、穏便に済ませたいと思う方が道理なのだ。

 弱点とは言えないかもしれないが、これもオレの生存率を大幅に上げてくれている。

 確実に勝機を手繰り寄せる糸となっている。


「……で、刻まれる覚悟はそろそろできたか」


 しかし、戦況の不利に変わりはない。

 相変わらず反応を返さないオレへ、フェイリスは一人話し続けた。ここまで来ると、喋るのが好きなのだろうとは思うが、こちらこそ調子が狂う。

 斬るべき——叩くというべきか——相手が「人間」であることをより認識させられてしまうから。


「セカンドステージと行こう」


 あらかじめ生成されていた剣の倍以上の数——今度は剣だけではない、斧、槍、矢、あらゆる「武器」と呼べるものが形作られ、オレの視界をびっしりと埋めていく。

 銃火器がなくとも、やはり、脅威は——。


「た・え・ら・れ・る・か・なぁ!」


 射出。

 四方八方から襲い迫る大量の武具は、もはや砲弾のそれに近い。爆発しないだけで、人体など貫かれるどころか簡単に吹き飛んでしまう。

 奴の言う通りこのままじゃ刻まれるだけで終わるので、一度階下へと後退するべく、敵の視界から消える。

 ズガガガッ‼︎ という着弾音が奏でた先には、フロアを貫く巨大な穴が空いていた。二階への階段を下ろうとしていたオレはその光景を見て、思わず立ち止まる。

 これでは、逃げても一緒だ。



「おい、チンタラ迷ってる場合か?」



「——ッ!」


 一足飛びで階段をスキップしてきたフェイリスが、己の創り出した剣を片手に突っ込んできたのだ。

 高所からの全体重が乗った突撃——鋭利な刃はオレの首を刎ねんと鋭く閃く。反射だけで体を逸らしたオレは、斬首は避けられたもののバランスを崩して階下へと転がり落ちてしまった。

 踏板の角で体のあちこちをぶつけつつ、回転し尽くした視界をもって敵を見据える。

 ニヤニヤと。

 敵を延々と痛ぶり追い詰める姿はまさに——狼のようだった。


「しっかし、やっちまった。なるべく壊さねぇように立ち回ってたんだが、熱くなるとダメだな、どうも。まあ、欠陥建築だって言い張れば言い訳になるかねぇ」


 クックッと笑うフェイリスは、優雅に階段を下って近づいてくる。

 まずい……。

 奴に近づかれてはならない。オレは、今までの戦闘でそう確信していた。

 なにせ、奴の魔法は無から物質を創り出す。

 何もない空間から、幾本もの剣が現れるのをこの目で見ている。

 何もない、空間。それが、創り出せるとしたら?


「——っ」


 ゾッとして、オレは跳ね上がる。

 ゆとりのある踊り場のラインを最大限活用して、鈍く痛む体をフェイリスから遠ざけた。


「お、鋭いな。あと三歩でテメェの脳漿をいつでもぶち撒けられる距離だったってのによぉ」


 別にどっちでもよかったと言わんばかりににじり寄ってくる凶狼を前に、再びオレは走り出す。


「健気なこった」


 ヒュンヒュン、と。

 趣向を変えたのかして無尽蔵に放られる短剣をどうにか弾きつつ(二、三本は体を掠めたが想定内だ)、二階へと降りる。

 とりあえず、高低差のある状態は不利だ……!

 階段をそのまま回り込まず、廊下へと身を引く。せめて、満足に踏み込める足場があれば。


「ったく、結局鬼ごっこをご所望かよ。——しかしな、テメェ。何か勘違いしてねぇか?」と、フェイリスはピタッと止まって、「いくら純然たる力の差があろうと、これは防衛戦だ。逃げ回る腰抜けを追いかけるのは仕事じゃねぇ」


 俺はテメェの顔を見たくないだけだからな、と。

 フェイリスは、あっさりと踵を返して階段を上っていく。

 ……チンケな陽動じゃ無理か……。

 戦いの本質を、きちんと奴は理解している。雰囲気で喋っているようでいて、流されすぎない。

 オレも、冒険者となってそこそこ経つ。それなりに上位の冒険者を見聞きし、会話する機会もあったが、違う。

 ニア然り、フェイリス然り。圧倒的、「余裕」。そして「自信」。過信ではなく、己の実力を正確に理解しているからこその発言や思考が、強者の共通点だ。

 ……敵の姿は上階に消えていった。

 この光景を第三者が見れば、見逃されたと誰もが言うだろう。

 それに、言い訳はない。あのまま詰め寄られ嬲り殺される可能性の方が高かった。

 でも、

 ビビって立ち止まるくらいなら、初めからこんなところに来やしない。

 双剣の柄を握りしめ、震える足に喝を入れて。

 前を、前だけを睨む。口内の血溜まりは床に吐き捨てた。

 オレは序戦の跡を顧みずに、最上階へと飛ぶように上っていった。


「…………。オイオイ。テメェの蕩けた頭じゃわかんなかったのかもしれねえが、『仕事じゃねぇ』ってあれは、俺なりの優しさだったんだぜ?」


 あえて高鳴るように鳴らしてやった足音に、敵は背を向けたままで答える。

 振り返らずに、しかし立ち止まって。


「——ゴール手前まで到達しちまったんなら、今度こそバラバラにしないと終われねぇな」


「……そう言うあんたは、どうして地の利を手放したんだ? 階段の上と下、どっちが有利かなんて子供でもわかるぞ」


 オレは、整えた息を無理やり吐き出して、「会話」する。

 初めてまともにフェイリスと「会話」した。


「チッ、やっぱ食えない野郎だよ、テメェは」


 首だけ返したフェイリスは、狩人の笑みを見せて。

 バチバチ。

 奴の図上で、弾けた音とともに朱色の物質が形成されていく。巨大に、壮大に、天井に擦れるほど精一杯まで創り上げられていくそれは、造形美ゆえか神々しさすら感じた。


化物バケモンで溢れ返ってるこのふざけた世界には、たいした神話は存在しねぇ。けどな、人間不思議なもんで、おとぎ話ってのを紡いじまう。——例えば、『神殺しの槍ペネトレイト』、とかな」


「……?」


 神殺しの槍ペネトレイト

 自らを神だと語った愚か者の心臓を貫いたという伝説上の武器。かの殉教者の遺した呪いを存分に宿して、世界を混沌に落とし込んだ——。

 そんな、話だったか。

 ……まさか奴は、空想上の武器を再現しようと言うのか!


「有名だろ。必中必殺、不可避の槍。狙った心臓エモノは逃さねぇ、ってな」


「……随分なおとぎ話だな。オレは生憎、神を信じる気にはならねえけど」


「それは同感だ。けどな、これは神話の再現だ。信じるも信じないも、「自由」じゃねぇか?」


 屋敷の四階、広々とした廊下——実験室の門番が創り上げた朱色の槍は、オレとニアの距離を、現実以上に離している。

 スゥッと、槍の切っ先がヒロの胸元に焦点を合わせる。

 ……ありえない。剣や斧——いや、機関銃でも大砲でも、もっと複雑な火器でもいい。奴の魔法はそれぞれの武器をおそらく構造ごと真似て、創造クリエイトしている。

 射出できる原理はともかくとして、既存の「造り」を正確に理解していたが故に、武器を生成して、戦うことができた。

 無限の武器工場みたいに。厄介だなとは思っていた。

 

 もし、それ以上に。「世界」が知っている想像上の武器、その「特性」を宿した武器を自在に創り上げることができるのだとしたら、それは。


 もはや魔法ではなく「魔術」の領域なのでは——、


「んじゃあ、さっそくぶち殺しといくぞ、コラ!」


 オレの思考を掻き消すかのような裂帛の威勢とともに、——「神殺しの槍ペネトレイト」が解き放たられる。

 本能的に動いた体の流れのままに、ヒロは足を踏み出す。全細胞が目の前の「兵器」に戦慄していたが、次に立ち止まった時が、自分の最期だ。


 歯を食いしばって、駆けて。

 鋭角の殺戮飛翔体と、交差した不殺の双剣が衝突した。

 右手の剣の剣身に強烈なヒビが入る。

 左手には衝突の威力がもろに伝わってくる。


「う、おぉおおおおおおらぁ——」


 ピキパキ、と剣身全体にまで亀裂が走っていく。

 折れる。

 確信したと同時に、右手が空を切る感触がした。


 やべえ——これ、死ぬか。

 片手で、しかも利き腕ではない方で、この必殺の一撃を防ぐ術はなく。

 死の淵、命の間際、極限に引き延ばされた思考の中で——。


 オレは。

 左手に血が出るほどの力を込めた。



 ——ここで諦める奴は、死ぬよりクソだ‼︎

 


 確かに、たしかに、自分は甘えていた。

 ムカつくと、散々「敵」が言った気持ちが、今ならわかる。

 傷つけることにビビってちゃ、勝てねえ。

 オレはに手をやり、相棒カタナを引き抜く。左手のナマクラが限界を迎えて砕け散った、その直後、子供みたいな力任せの太刀筋で叩きつけた。

 ギャリィィィン! と。

 同士がかちあう音が響き、衝撃波が生まれる。


「まだ、まだ……」


 足りない。ちゃんと、二本じゃないと。

 体の赴くままに……気づけば二本目は手の内にあった。

 もう怖いものはない。

 せめぎ合う——違う、押し返す。そんな感触まで覚える。確実な「死」を与える槍が、戸惑いを覚えたかのように勢いを失って。

 幻の如く掻き消えた——。


「なっ……、」


 勢い余っていたオレの双剣は盛大に空を切るも、一回転して体勢を立て直す。


「チッ、クソ! 時間切れか!」と、フェイリスが吐き捨てていて。


 槍が消えた理由は、まあどうでもいい。

 それよりも何よりも、「格上」が退

 オレは止まらない。

 倒すべき敵は目と鼻の先。剣でも盾でも、身を守る術を今、フェイリスは持ち合わせていない。創り出す時間すらない。

 今度は、必殺の距離。

 今度こそ、「真」の覚悟を決めた。


 殺すために殺すんじゃねえ。

 守るために、殺す。



「——もらった」



 静かに吠えて、命を刈り取る刃をオレは振るった。


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