第28話 アドベント

 とある王国の、とある王宮。

 そのとある一室で。

 ふーっ、ふーっ、と。荒い息をしながら、掛け物がはけられた寝台に横たわる『王妃』。その傍では手袋をした「侍女」が、息を荒げる彼女の体を支えていた。

「ううっ……ゔうゔぅ」

「頑張ってください、奥様! もう少しです。頭、頭見えてます!」

「うゔゔっ……。ああっ!」

 痛ましい喘ぎ声が絶え間なく続くこと数分……。

 王妃の声が落ち着いたと同時、・二つの生命の始まりの声が上がった。

「おめでとうございます。お子様方は、無事に産まれましたよ」

「…………。そう……。よかった……。よかったわ、ありがとう。ありがとう」

 いえ、いえと、侍女は赤子らを綺麗にして、母となった王妃の前に差し出す。

「お名前は決めていらっしゃるのですか」

「……あの人は、子供の名前なんて興味がないだろうから、私がつけたいのだけどね……」

 自らに卑劣な暴力を振るう伴侶に、一瞬だけ苦い顔をする女性。しかし一転して赤子たちを見つめる目はどこまでも優しく、うるいを帯びている。

「でも、こんなの初めてだから迷っちゃって」

 そう、本来ならば夫婦同士、立場も地位も関係なく、普通の家族の在り方であれば、二人で決めるもの。

「…………この子たち、の名前は———よ。……ちょっと、単純すぎたかしら?」

「いえ。とても素敵なお名前です」

 その答えを聞いて安心したかのように息をつく女性。

 双子の名前ではなく、ただ一つの名前。まるで全てを託すように。

 それだけを呟いて、彼女の呼吸が浅くなる。

「お妃様……? お妃様……‼︎」

 反応しなくなった女性を見て、侍女は慌てて人を呼ぶ。

 もともと体が強くない上に・満身創痍・の女性が、多産をするのはやはり無理があった。今まで意識を保っていたこと自体が奇跡だ。

 お妃様、お妃様、と侍女は必死に呼びかけるが、その目から光が消えかけている。

 ———。

 再び、赤子の名前を呼んだ、女性。

 力無い微笑みを浮かべて、口ずさむ。

 何度も、何度も、何度も、何度も……。

 そして王妃は、双子供を産み落としたのち、あっさりと息を引き取った。

 名前のない双子は、互いが互いを知らない。

 ただ、『親』の意のままに、無機質に効率的に育てられる。

 侍女は子供たちの観測者でしかなかった。干渉はできない。歪な成長をただ見守るのみ。

 同じ『顔』をした、同じ『名前』の双子は、それぞれの力に目覚めていく。

 自らの役割、定められた運命を全うする形で。

 五歳、六歳。

 たったそれだけの時分で、人を取り止めもなく殺せてしまうような、そんな。

 でも、片方は虫すら殺せないような子だった。

 全く同じ顔で、感情が掠れているはずなのに。

 その在り方を、なぜだろう。侍女はとても慈しく思った。

「おい、お前。この出来損ないをお前に任せる。そいつに・二度と・陽の光を浴びさせてはならん」

 ただ、その子はついに、見限られた。

 才能はある。才能はあるはずなのに、優しいだけで叶わない。

「方法は問わない。絶対に表に出すな」

 殺せ。

「全て、お前に任せる」

 殺せ。

「いいか。絶対だ」

 殺せと。

『親』が言うのか。

 認めない。認められなかった。

 頷いて頷いて、歯を噛み砕くくらいに感情を抑える。

 床に転がった己の娘へ、『主』はただの一瞥もせずに去っていった。


 ——雨が降る。


 侍女は、今まで持ち得たものの中で一番大事な宝物を強く優しく抱えて、足早に亜の白を後にする。

 王宮を出る手段を彼女は知っていた。当然だ。何十年と仕えてきたのだ。地下の迷宮は目を瞑っていても散策できる。

「行きましょう、……。——」

 託された名前を忘れるわけじゃない。忘れさせてはいけない。母の愛も、姉妹の絆も、本物。

 けれど、この子だけ、この愛おしい子だけは「反対」の人生を。

 ゆっくりと、そしてしっかりと。

 侍女は歩を進める。

 彼女は、二度と振り返らない。


 ——雨が降る日のことだった。


   ***


アイトスフィア歴六三五年四ノ月一七日


 冒険者の国——都市国家アドベント。

 その中枢である首都アドベントの、とある小高い丘の上に建つ古ぼけた一軒のログハウス。広大な街の中でも、いっそう朝の静けさが漂うこの小屋で——オレは目を覚ました。

 なんだか、いつもより深く眠っていた気がする。妙に目覚めがいい。……よってすぐに、何かがのしかかるような違和感に気づいた。

 恐る恐る視線を下に向けると……鈍く輝くような金の髪をした震えるほどの美貌を持つ少女が、オレの胸に顔をうずめて眠っていた。彼女の特大の胸の起伏は、潰れるようにして存在感を主張していると同時に、とてつもなく良い香りが漂ってくる。

「どわっ……‼︎」

 思わず声をあげ、ずり上がるように飛び起きる。

「ん……」

 珍奇な悲鳴とその衝撃のせいか、可愛らしい声が聞こえるとともに、少女——レインがゆっくりと目を開け、その碧眼をのぞかせた。まさに寝起きという感じで、手袋の外れた鈍く黒光りする義手でまぶたをちょっと擦りながら、明らかに無防備な寝巻き(というか、ただの大きめのワイシャツ。スカートを履いていたはずなのだがなぜか脱げている)の裾を整えると……。

「どう、したの? そんな素っ頓狂な顔をあげて……。ッ……まさか、また記憶を失くしたの?」

 本気で心配した顔をしているレイン。

「縁起でもないこと言うな。お前はレイン。オレはヒロ。ちゃんと覚えてるから心配すんな」

「……ならいい。これ以上、心配をかけるのは許さない」

 今は冗談交じりの話にできるが、当時はそれどころじゃない。

 ——そう、オレは記憶喪失になった。

 記憶がなくなったと言っても、歩き方や食事の取り方、世の中の常識的なことに関しては、特に困ったことはない。自分が剣を取って戦えるということも自覚している。

 ただ、『思い出』だけがごっそりと抜け落ちている——。

 本来知っていなければならないはずの記憶。両親との記憶。友人との記憶。そして、目の前のレインの記憶。

 あらゆる人々との関わりを、オレは全て忘れていた。

 率直に言って……怖かった。

 自分自身は確かに生きている。だけど、生きてきた記憶おもいではない。漠然とした知識だけが残る、の人間となった。

 でも、そんな絶望的な状況の中で、自分を肯定してくれた女の子がいたのだ。

 あの、雨の日。

 治療院の病室で、レインと『再会』した日に。

 オレはある『嘘』をついた。

 自分の名前すらもわからなかったくせに。

 自分を偽ろうと決意した。

 結局、自覚なき癖でバレてしまったけれど、レインはそれを笑って許して……再び笑ってくれた。

 目覚めて間もない、考えなければいけないことがたくさんある状況。記憶を失ったことによる、自身に対する不安、恐怖。

 その全てを、彼女の笑顔は吹き飛ばしてくれたのだ。

 ……とまあ、電撃的な出会いから始まったものの、それから先は特別なにかあったわけでもなく、記憶を失う以前の『知り合い』の優しさにも助けられて、とりあえずの衣食住が確保された生活を送っている。

 それはもとよりとして。

こうして同じ空間で朝を迎えたことからわかるように、オレとレインは一緒に暮らしている。

 例の『知り合い』の勧めもあり、あれよあれよという間に同居することになったが……やっぱり年頃の男女だ。今みたくちょっとした触れ合いも刺激的に感じる。

 経済事情により部屋にベッドは一つだけ。レインは、『別に、私は一緒に寝ても構わない……』とか言っていたけど(それでも若干恥ずかしがっていたけれど)、そんな難易度の高いことはオレにはとても無理だった。

 レインのことは嫌いじゃない。

 どっちかと言えば『好き』の部類には入ると思う。

 けど……まだ彼女を『恋人』として受け入れようとは思えない。

 思い、きれない。

 男らしくないとは自分でも思うが、結局は、失われた記憶の中にあるはずのレインへの愛情が、どうしてもからだ。一欠片もだ。

 そんな状態でレインを受け入れて演技をする覚悟を一度はしたものの、真実を知られている今となってすら中途半端に彼女を欺くのは、さすがに失礼だとも思う。

 とりあえず現状では、横に寝転ぶと狭っ苦しいソファーをベッド代わりにしてでも、貞潔を心がけた。レインも特に無理強いはしなかった……のだが、なんで今こうなっているのだろうか?

 レインも、ふと状況に気づいたのかガバッと起き上がると、

「…………それはそうと、なぜヒロが自分と一緒に寝ている?」

 え、えぇ……そう来るのかよ。

「いや、オレじゃなくてお前が——」

「……ま、まさか。その、そんな……」

 段々と、しかしレインの頬が紅潮し始める。

「そういう、ことがしたいのなら……はっきりと言ってほしい。いやっ、別に、ヒロが嫌だからというわけじゃない。ただ、ちゃんと言葉にしてほしいだけで——」

「落ち着け、おい!」相手が興奮していると、かえって自分は落ち着くんだなと悟りつつ、「違う、逆だ。よく見ろ……」

 ……レインは周りを見渡してハッとしている。

「自分は……寝ぼけていた?」

「知らねえよ……」

 疑問形で首を傾げられても困る。

 ……ちくしょう、いちいち可愛らしいな。

 レインは寝ぼけていたと言っているが、ベッドとソファーの位置関係は、並行ではなくL字型に並んでおり、さらにソファーの前にはテーブルも置いてある。どうなったらここまでたどり着くのかなんて、むしろオレの方が聞きたい(彼女の寝相の悪さが絶望的なのは知っているが、これはあまりにも、だ)。

 しばらく思案していたレインだったが、彼女は目をパチパチとさせると、……理解した、と言い、顔を隠すようにすくっと起き上がる。

 最近ようやくわかってきたことなのだが、レインは表情こそあまり変わらないものの、内心では結構感情が豊かっぽい。だから、わかりやすく顔に出るのはレアだ。その理由をいちいち聞こうとは思わないが、だったのだろう。

 つい、オレは苦笑いしてしまった。

「……それで、ヒロ。今日もギルドに行くの?」

 一度大きく伸びをしたレインは、全く別のことを尋ねる。ごまかしたい時は無理やり別の方向へ話を持っていく。これも彼女の得意な手段だ。

「ああ。オレが働かないと、レインのバイト代だけじゃ食ってけないからな」

「お前が戦ってる姿は見たくない、とか言い出したのはどこの誰」

 ギラリと咎められる。

「冗談だよ。……レインは今日、休みだっけか?」 

「そう。働きすぎだから休めと、店長が」

 レインは、街ではそこそこ有名な酒場で店員として働いていた。彼女いわく、あそこの店長は女性に弱いから、お給金はそれなり、とのこと。だが一人だけならともかく、二人の生活を考えれば限界はある。『知り合い』にはこれ以上の迷惑はかけたくないし、レインも基本的にはそれを嫌がる。

 彼女は日頃、酒場の店員として。オレはこの街の代名詞ともいえる冒険者稼業を営み、どうにかこうにか日々を生き抜いていた……。 

 冒険者。

 人呼んで冒険者アドベンチャー

 この国の『ギルド』で発行された資格ライセンスがないと就けない立派な職業であり(もっとも取得自体は言語が通じさえすれば余裕らしいが)、命の危険があるものの、手っ取り早く稼ぐならこれを置いて他にないというほどの、ハイリスクハイリターンな仕事だ。

 それでも……いや、だからこそ。

 レインを、冒険者にはさせなかった。

 かつて彼女が、とある小国の『死神』と呼ばれた存在だということは聞いている。

 力の代償として、手足が腐り落ちてしまったことも。

 にわかには信じがたい話だが、かような嘘をつく意味もない。……実際、本能ではその『現実』を理解しているのだろう。なんとなく、彼女が言ってることを信じるのに抵抗はなくて。

 そんなレインに、かたや記憶喪失の病人が偉そうな口を叩けたものじゃないが、たとえどれだけ彼女が強かろうと、傷つく姿は見たくなかった。

 レインには、ただ笑っていてほしかった。

「そっか。じゃあ、ゆっくり休んどけよ」

「もちろんそのつもり。それはそうと……ヒロ、時間を気にした方がいい」

「げ、もうこんな時間……」

 レインの言葉に、ふと立てかけられた時計を見やると、もう六時を半分も回っている。

「それこそ今日の稼ぎがなくなる。早く準備して」

 唯一のパーティーメンバーとの待ち合わせ時刻は、七時。ここから落ち合う場所には走っても四〇分以上はかかる。

 こうしちゃいられねえと、急いで身支度を整え……さあ行こうかと玄関に向かおうとすると、

「今日は帰りを楽しみにしていて」

 どこか得意げにレインは言い放った。

「……なんだよ? 実は本日のギルドの営業はお休みです〜、みたいな情報が来てたりするのか?」

「雨が降ろうが、槍が降ろうが、彼らが休みなく働いているのは、冒険者のヒロがよく知っているはずだけど。自分が言いたいのは……今日の夕飯を楽しみにしていろということだ」 

「夕飯って……何か美味しいものでも食べにいくってことか?」

「違う。……久々に自分が食事を作ると言っている」

「……あー、なるほど……」

 レインの食事……か。

「存分に腕を振るおう」

 オレの逡巡とは対照的に、レインはただでさえ大きい胸を張りながら手を当てていて。 

 ……言っちゃあなんだが、ここに住み始めた当初は、彼女の料理の腕は壊滅的だった。

 レインが初めて手料理を振舞ってくれた際、一口だけ食べて言葉を失ったオレを見て、彼女も自らの料理を口にしたが、数回にわたり咀嚼したあと、『しばらく食事はヒロが作ってほしい』とだけ告げて、一人で黙々と『料理(?)』を片付け始めた(もちろん手伝ったが)。その時のレインの眦には、若干の涙が滲んでいた。そんぐらいやばかったのだ、要は。

「食べられるものにしてくれよ? うちには食材を粗末にできる余裕なんてないんだから」

「……できれば、過去のことは忘れてほしい。あれから店で調理の練習をしたから、心配しなくて大丈夫。ヒロは無事に帰ってくることだけを考えれてればいい」

「わかってるって。楽しみにしとくよ」

 言う。

 と、レインは、それでいいといった顔をして。

「ならいい。——いってらっしゃい」

「おう、行ってくる」 

 ちょっと乱暴だけど心地よい言葉に背中を押され、オレは部屋を後にした。

 …………ちなみにレインの料理の腕は、彼女の言う通り必死の練習の甲斐あり、『なんとか食べられるレベル』までは上達したはずなので、家に帰ると異臭が立ち込めているということは、さすがにない。

 ないが……ただ、それだけだ。

 見た目は美味しいそうなんだがなぁ……。


 堅牢な外壁に円形に囲まれたこの都市には、内なる壁に囲まれた区域がある。

 その名も第零都区。王城を中心とした貴族街だ。

 そんな内壁の外を十字になった中央通り(セントラルストリート)が四つに区切っており、さらにそれを区切った八つの区域が、

 北側を西から第一都区、第二都区、中央通り(セントラルストリート)、第三都区、第四都区。

 南側を西から第五都区、第六都区、中央通り(セントラルストリート)、第七都区、第八都区。

 ……と配列されており、各区画ごとに役割を持っている。

 一方で、オレが居を構えるのは第四都区。一般の労働者たちの多くが住む広域住宅街が広がっている区画だが、オレたちのログハウスは住居が密集している区の中央ではなく、東側の緑地だ。外壁よりも標高が高い場所も多く存在し、眺めもいい。

 ログハウスのある丘を下り、ふもとにある迷宮街ラビリンスと呼ばれる地区を駆ける。その名の通り非常に道々が入り組んでおり、一見さんはお断りの様相を見せるが、その実はなんて事のない貧民街(スラム)だ。

 貧民街といえば陰鬱なイメージがあるが、この都市ではむしろ活気がある。生活が苦しかろうが楽しんで生き抜こう! という意思を感じさせてくれるので、オレはここが結構好きだ。

 そんなささやかな幸せを噛み締めながら、入り組んだ住宅群に突入する。初めてならいざ知らず、三ヶ月も過ごせばさすがに道も覚える。近道である裏通りをほいほいと進んでいく。

 やがて第四都区の突き当たり——運河にたどり着く。壁にある水門を通した河が、第三都区と第四都区の間から第七都区を貫いて南北に流れており、アドベントの水の大半をまかなっているのだ。

 いつもならばここまで来る必要はないのだが、今日はこれよりちょうど南下した先が目的地である。オレは川沿いに進み始める。そう時間をかけずに交通の要、中央通りセントラルストリートに差し掛かった。

 何せアドベントも広大な街なので、お金に余裕がある者は交通手段として馬車などを用いることも多い。現に、ひっきりなしに蹄が地面を叩く音が鳴り響いている。

 もちろんオレみたいな貧乏人は、馬車で移動なんて贅沢なことはできないので、こうして走っているわけだけど、交通量が落ち着くのを待っていては日が暮れてしまう。

 ……だから、中央通りセントラルストリートには歩道橋が複数建てられている。交通整理に人員を割くのは面倒だろうし、効率的なのだ。

 東の中央通りセントラルストリートの数ある歩道橋のうち一つを渡って、冒険者地区とも呼ばれる第七都区に突入する。武器屋などの冒険者アドベンチャーご用達の店が立ち並んでおり、この街の代表と呼べる都区だ。

 ……ただ、「冒険者」なんて呼ばれていても、毎日毎日、山のように届けられるギルドへの依頼クエストを各々で見つけ出して解決する、という便利屋のような職業である。

 しかし——ある者は名声を求めて、ある者は富を求めて、そしてある者は出会いを求めて……と、頭の悪い触れ込みを信じ込んでやってくる人も多いと聞くがはてさて。

 かくいうオレも、食いぶちを稼ぐためには地道に働くよりも、感覚に刻み込まれた剣を使う方がいい、と消去法で選んだ職業なので馬鹿にはできないけれど。

 喧騒に満ちた人混みの中を、縫うように駆けていく。

 ありふれた市民に始まり、まさに冒険者然とした装備を固めた男たちの他には、流麗なたたずまいで談笑する森人エルフや、なにやら必死に荷運びをしている地人ドワーフなどの『亜人デミ・ヒューマン』。ちょっと変わり種では、過去に絶滅したと言われている「獣人ビースター」の子孫である、狼人ワーウルフ竜人ドラゴニュートなどもちらほらと見かける。他の国では見られないほど、さまざまな種族が一堂に会していた。

 ……やがてそこそこ大きな通りを抜けると、開けた土地に出る。

 冒険者を始めとした、都市で働く人々を統括する「ギルド」を中央に据える広場。

 その名を、職業広場ギルドサークル。名の通り、円形に広がる土地だ。

 その中央に、そびえるように建つ豪奢な石造りのギルド本部は、王城と学院の次にでかいだけあって壮観である(ちなみにギルドには支部もあり、各都区にも点在している)。

 届けられた膨大な依頼クエストの依頼・受注などの手続きは、全てこの場所で行なっているのだ。

 ギルド職員が朝から晩まであくせくと働いているのを見て、冒険者と比べてどちらがしんどいんだろうか、という会話が酒場で交わされるくらいには大変な仕事であるらしい。

 冒険者の仕事は、ロビーに所狭しと並べられた掲示板から好みのものを探し出し、ギルド職員に提出、そして依頼クエストをこなしていく、というのが大まかな流れだ。依頼クエストが完了すれば相応の報酬がもらえ、それが直接の収入源となる。

 細かい話をすればまだまだ規定はあるみたいだけれど、最低限これぐらい理解していれば十分だ、とりあえず生きてりゃいい、と先人の冒険者たちは言う(街の有事の際、原則強制参加の任務ミッションとやらが発令されるらしいが、当然、オレは未経験だ)。

 ギルドはこの都市のちょうど中心でもあるため、すごくわかりやすい目印となり、ここを待ち合わせ場所にする者がほとんどだ。もちろんヒロもそのうちの一人で……。

 明らかな遅刻でちょっと気が引けながらも、待ち合わせの場所に向かう。

「おせーぞ、ヒロ」

 そこには当然ながら先客がいた——。

 気さくに悪態を漏らすのは、垢抜けた薄い茶髪を遊ばせた美青年、アッシュ・グラハム。オレの記憶喪失のことを知る数少ない知り合いの一人は、自身のチャームポイントだと言って憚らない右目の泣きぼくろを強調するような形で、ウインクをかましてきたのだった。

 …………なんか無性に腹立つなぁ。遅れてきたのはこっちなのに。

「悪い、待ったか?」 

 会って早々、なにやってんだこいつはみたいな感想しか出なかったが、とりあえず謝る。こういうのは言っておくことが重要なのだ。

「待ちくたびれたっての。寝坊か? どうせレインちゃんと、中級冒険者ランク2への昇格の祝いでもしてたんだろ?」

「惜しいな。昨日じゃなくて今日やる予定だよ。……ていうか、暇だったってことは、依頼クエスト選びはもうやってくれたのか?」

「おうよ。やっぱ、中級冒険者ランク2にもなると討伐依頼キルクエストがすぐ見つかるぜ」

「なっ、本当か? 初級冒険者ランク1だと、くまなく探してやっと一件程度だったのに」

「ぜんっぜん、ちげえよ。具体的には初級冒険者ランク1の時の一〇倍くらい。階級ってのがどれだけ大事か、ほとほと思わされるな。ほんと、早く昇格できて良かった」

 階級。

 有り体に言えば、冒険者の強さを表す指標だ。

 階級が高ければ高いほど、高位の依頼クエストを受けることができる。

 初心者は当然、初級冒険者ランク1から始まり、中級冒険者ランク2上級冒険者ランク3超級冒険者ランク4、そして最高ランクの、絶級冒険者ランク5と、実績を積み重ねていくごとに上がっていく。

 階級は、ギルドの運営の「核」とも言える数多の依頼クエストこなせる器かどうかを判断する指標なので、ランクアップ審査はかなり厳しい。何せ実力が足りなければ、依頼クエストが達成できない可能性も増えるのだから無理もないが。

 総合報酬額や、街の外部からの評判などなど。ランクアップ審査の項目はさまざまである。

 ランク=戦闘力ではないため、一概には言えないが、やっぱりランクを問わずで戦闘を必要とする依頼クエストは少ない。実際、弱い異形ヴァリアなら各国の軍隊なりで退治できてしまうことが多く、わざわざ冒険者の手を借りる必要性がない。

 そんな感じだから、実績を重ねたい腕には自信がある初級冒険者ランク1たちには、ランク不問の討伐依頼キルクエストは大変な人気であり、手っ取り早いランクアップへの最短ルートなわけだ。

「たしかに……調合素材の採取依頼コレクトクエストなんて、野山を駆け回って、野生動物や雑魚異形ヴァリアに追いかけ回されたあげく、その報酬が、たった八〇〇〇ヴェンだからな……」

 まだこの街の『冒険者』としての勝手がわからない時、初心者向けだからと軽い気持ちで受注したが、えらい目にあった。危険は伴うにしても、ある程度戦えるのなら異形ヴァリアを相手にする方がはるかに稼ぎがいい。

「そんなこともあったなぁ……。あの時は、ひどかった」

 初級冒険者ランク1のクエストに関しては、異形ヴアリアとの戦いなどとは無縁の素材の採取作業に始まり、土木工事のバイトまで、『冒険者』がやることなのかよというの依頼クエストもたくさんあった。

 だが、決して依頼クエストだけが全てじゃない。そっちの方が成功すれば報酬が確実というだけで、稼ぐ方法は他にもある。

 一昨日のこと。オレとアッシュは、好みの依頼クエストが見つからなかったため、換金すればある程度の高値がつく戦利品ルートを目当てに、アドベント外のとある山岳地帯で異形ヴァリアを狩りまくっていた。

 その帰り道。いかにも駆け出しといったパーティーが、『初心者殺し』で有名な『ヘル・オーガ』に運悪く襲われている——しかも六体。大抵は単独での行動が多いのに——場面に遭遇した。囲まれて追い詰められていた彼らとオーガ共の間に、すんでのところで割り込み、連携して一体ずつ倒していった。

 いかに『初心者殺しヘル・オーガ』と言えど、オレたちは戦いにおいて初心者などではない。

 案外、あっけないもので、助けた冒険者たちの報告もあり、初心者殺しをたやすく屠ったと実力を認められたオレとアッシュは、昨日にようやくランクアップすることができた。

 オレの場合、期間的には二ヶ月余りで中級冒険者ランク2に昇格したことになるのだが、ギルドのお姉さんによると、結構早い方らしい。中には、三日としないうちに中級冒険者ランク2に昇格した者もいるらしく、どんな手を使ったんだと言いたくなる。

 しかし、今のオレにとってアドベント最強の絶級冒険者ランク5だろうが、駆け出し冒険者の初級冒険者ランク1だろうが、そんなことはどっちでもよかった。

 明日を生き抜くお金。

 無事に帰ってくること。

 それ以外の多くは望まない。

 ……ともあれ、中級冒険者ランク2以上の冒険者しか受注することのできない討伐依頼キルクエストは、全冒険者アドベンチャーのランク割合から見て圧倒的にギルド本部に集中しやすい(全体の約半分が初級冒険者(ランク1))。そのため、今まで通い慣れた支部ではなく、こうして本部に訪れたわけだ。

「そういや、さっきから気になってたんだけど、頬の傷というか、赤くなってるのはなんでだ? コケたってわけでもなさそうだし」

 なぜだがわずかに腫れているアッシュの頬に言及する。無視してもいいくらいの怪我だとは思うが、一応これから戦いの場に行くのだから、パーティーメンバーの状態は把握しておかねばなるまい。

「ん、あー……これはな。お前が来るまで暇だったから、受付のお姉さんとちょいとばかしお話してたら、ちょっとな。そのあと警備員のごっつい男どもが寄って来やがって……散々だったけど」

「なっ、お前! 警備員って……大丈夫なのか? 捕まるとか勘弁してくれよ。たしか取締り厳しいんだろ?」

「そのおっさん共とは幸運にも顔なじみだったから問題ねえよ。現に依頼クエストはバッチリ受注してきてるわけだし、これほど大丈夫な証拠はねえだろ?」

「……ったく、ビビらせるなよ」

 アッシュが馬鹿なのは間違いないけれど、頭が悪いわけじゃないから、たぶん大丈夫だとは思うが……。それでも焦る。

 ……とにかくまあ、この軽率な発言からもわかるように、彼は女の人が大好きだ。容姿は美形だが、その軽薄さから察するのか特定の相手はいないらしい。

 もっとも本人に言わせれば、本命はもういるとのこと。

「受付嬢に引っ叩かれるとか、そんなことばかりしてたら、・シーナさん・にも相手にされないぞ」

 シーナさんこと、シーナ・シルヴァレン。

 その本命の相手とやらだ。

 オレにとって、一連の騒動の際、辺境の小国ノールエストから、レインと一緒にこの都市まで連れてきてもらった恩人でもある。少し……いや、かなり変わった性格をしてるが、オレやレインが今を生きていられるのは彼女が助けてくれたからであり、一生頭が上がらない。


『私とあんたの関係性は、あんたが記憶を失う前と変わらないわよ』


 ……そう言っていたが、どうなんだろうか。良くも悪くもつかみどころのない人だった。

「そりゃあ、俺が遊び人で女の子のケツを追いかけ回してることは自覚してるし、シーナさんが、このアドベントでも七人しかいない絶級冒険者ランク5……なんて、とんでもない高みにいることは知ってるぜ? 

 ——でも、好きなんだよ。相手にしてみせる」

「……。やっぱり、アッシュの性格はほんと尊敬するぜ」

 あっさりと彼女への恋慕を語るアッシュ。

 こんな風に、自分の気持ちを素直に伝えられるなんて、なんでもないことのようだが、すごく難しいことをオレは知っていた。 

「褒め言葉ってのはなんとなくわかるが、皮肉にしか聞こえねえぞ、おい」

「深く考えすぎだ。ほら、早く行かないと陽が暮れるぞ」

 ……そうして、くだらない話をしながら。

 中級冒険者ランク2になって初めての依頼クエスト——近隣で目撃されたナイル・ワイバーン(飛竜に似た小型の竜系異形ヴァリア討伐依頼キルクエストへ向けて、オレたちは出発した。


 陽が東の空へ沈もうとする頃合い。

 街ではポツポツと魔光石の灯りが輝き始めた。

 今日一日の仕事を終えた労働者や冒険者たちが、ほんの少しづつ市街に集まりつつある。あと一時間もすれば、あちこちの酒場から景気のいい声がいくつも上がることだろう。

 討伐依頼キルクエストを終えて、ギルドで戦利品ドロップアイテムの換金と依頼クエスト報酬の受け取りを済ませたオレとアッシュは、懐を少々あったかくして、第七都区の大通りを歩いていた。

「交通費もろもろを除いた利益が二人合わせて一〇万五〇〇〇ヴェン……。半分で割っても、こんだけあれば三日は遊んで暮らせるぜ!」 

「おい待て。そんなことはさせられねえ。お前が唯一のパーティーメンバーなんだから」

「冗談だっての。……でもよ、ヒロなら別に俺がいなくたって、中級冒険者ランク2相当の討伐依頼キルクエストぐらいなら一人ソロでもこなせるんじゃねえのか? 一人なんだから報酬も丸ごともらえるし」

「できるけど……レインと約束したんだよ。依頼クエストを受ける時は、どんな奴でもいいからパーティーを組んで受けろって」

「そりゃまた、なんで?」

「おまえを一人で行動させると不安でしょうがないから首輪が必要です、だとよ」

「ヒュ〜、なるほどなぁ。愛されてるねえ」

「うるせえ。そんなんじゃねえよ。……とにかく! すでにさんざん迷惑かけてるのはわかってるけど、協力してくれ。オレらには借金だってあるし、生活が火の車なんだよ……」

 そう、オレには……正確に言うと『オレたちには』、実はかなりの借金がある。

 何せ、三ヶ月間も眠りこけていた自分の入院代は馬鹿にならないうえに、資材運搬の難易度から値がつり上がっている住居マイホームを、無理を押してまで購入したのだから、当たり前といえば、当たり前だ。

「わっかりましたよ。乗りかかった大船ならぬ飛竜。親友の頼みとあらば引き受けましょう。……ちなみに、お前らの借金っていくらだっけ?」

「諸々合わせて、一二〇回払いの一〇年ローン……しめて一億二〇〇〇万ヴェン。入院代もそうだけど、やっぱ家を建てるにはだいぶとお金がかかるみたいだな」 

「わお……想像以上だったぜ……。機会がなかったから聞いてなかったけど、シーナさんもよくそんな大金を立て替えられたよな」

「知り合いの大工に『自分が保証人になる』って、直談判してくれたんだよ。もし返せない場合は、返済できるまで『烈風の魔女ブラスト・ウイツチ』をタダ働きさせることができるんだから、保証としては十分だろうって」

「……なんつーか、めちゃくちゃかっこいいな」

「レインも珍しく、『あの人にだけは感謝してもしきれない』って言ってたよ」

「強さいかんにかかわらず、あの人には勝てる気がしねえな」

 アッシュの顔には、妙な生真面目さがあった。

「ああ……あの人には世話になりっぱなしだからな。恩を返すためにも、これからもよろしく頼むぜ、アッシュ」

「なんだよ、改まって。気持ちわりいな。今更だっての」

 アッシュは破顔すると、顔の前で手を振る仕草をするが。

 なんだかんだ……本当になんだかんだ、アッシュと一緒にいれば、気が楽になるのだった。

「しっかし、中途半端な時間だな。飲みに行くにはちっと早いし、帰るにしても暇だ。ヒロは、レインちゃんとパーティだったか?」

 本日の予定は、あらかじめ話しておいてある。

「パーティなんて、大げさなものじゃねえけど、ちょッとだけ豪華な食事を楽しもうかなって」

「はっ、羨ましいねぇ。恋人がいる果報者の余裕ってか」

「……恋人、なんかじゃねえよ、別に」

 恋人、という表現に改めてどきりとさせられる。

 外から見れば、もはやそうとしか思えないのだろうけど、当事者から言わせて貰えば、めちゃくちゃ複雑なんだよ、って話だ。どうにも他人に言われると落ち着かない。……我ながら小心者だった。

「他にどういう呼び方があるんだっつーの 」オレをキッと睨んだ後、沈みかけている太陽を見上げながらアッシュは、「……しゃあねえなぁ。今んとこ独り身の俺は、リンちゃんに癒されに行くか」

「なんだ、また新しい女の子でもひっかけてきたのか?」

 聞き慣れない名前だ。……というか、こんなだらしない表情をしていても不思議とイケメンに見えるのだから、世の中とは理不尽にできている。

「人聞きの悪いこと言うなって。行きつけの店で最近仲良くなったんだけど、マジで優しい子なんだよ。どれだけ遊んでもシーナさん一筋ってのが俺の信条なんだが、この鋼の意思が揺れるくらいに攻撃力が高すぎる」

 ……オレは、アッシュに少しでも尊敬の念を抱いた自分がバカらしくなってきた。

 ただまあ、リンちゃんとやらは、十中八九は営業スマイルなのだろうけれど、人の変化によく気づくアッシュがあそこまで言うなら案外本当なのかもしれない。

 ……、騙されてないことを祈る。

「……アッシュまで、借金を背負うことにならないでくれよ」

「どんな悲惨な想像したよ、お前。大丈夫だって、癖の強い人ばっかだけど、怪しいお店じゃねえんだから。大体、そんなとこでレインちゃンが働いてたら嫌だろ?」

「そうか。お前の行きつけってことは、レインの同僚でもあるんだよな……。その……レインの様子はどうだ? 他の店員とうまくやれてるのか?」

「お前は過保護な親父かよ! いや ……あの子も母親みたいなこと言ってるっぽいから、どっちもどっちか……? そんなに知りたいんだったら、本人に聞けばいいじゃねえか」

「なんか直接聞くのは、ちょっと気がひけるんだよ……」 

 それとなくどうなのか聞いたことはあるが、普通の職場だ、と答えるだけだった。

「なんつーかよ……お前らしいな。……まあ、正直なところ、最初は俺も気にしたりしてたけどよ。特にぎこちなさはなかったぞ。ヒロが思ってるより、あの子はヤワじゃねえってこった」

「人を見る目だけはあるお前が言うなら……そうなんだろうけど」

「心配しすぎなんだよ。実際、レインちゃんはウェイトレスとしてはかなりの逸材だぜ? あの凛々しい顔立ち、引き締まった肉体と溢れんばかりの爆乳、男を歯牙にも掛けない強気な性格、それでもって、裏にはヒロにしか見せないだろう素顔が隠れているって考えれば、そこがまた可愛いんだよなぁ……」

「…………おい、アッシュ。レインに余計なこと言ったりしてないだろうな……」

 なんでこいつはレインの良さを的確に捉えてやがるんだ。

 ……よくよく考えてみれば、アッシュは女との関係だけは信用ならないことが多かったのだった。

「落ち着け落ち着け。さすがに人様の女の子に手を出したりなんかしねえよ。ま……向こうから寄ってきた場合は別だけどな」

「お前なぁ……」

 軽薄そうにニヤつく目の前の男には呆れることしかできない。

「はは、だから冗談だって。レインちゃんに関しては俺が付け入る隙なんて微塵もねえよ」

「たしかに……下手に手を握ったりしたとして、えげつない力で握り返してきそうだけどよ」

「なんでお前知ってんだよ⁉︎ 見てたのか?」

「すでに体験済みかよ!」

 どこまで攻められるかのグレーゾーンでも確かめていたのかもしれない。

「そりゃ、俺には妥当な対応だとしても……なんだかんだお前もやることはやってんだろ? どんな感じだ?」

 いたずらな笑みを浮かべるアッシュに、そこはかとなく嫌な予感。

「やることって……?」

「やることと言ったらそりゃあ……あれやそれやだよ。わかるだろ?」

「あー、わかるけど……さあ。オレたちは今そーいうのをできる関係じゃねえんだよ」

「おま……お前ぇ! それでも男かぁ!」

 信じられない、といった様子で大声をあげるアッシュ。一応、周りに結構な数の人がいるのに……お構いなしだ。

 普通に恥ずかしいからやめてくれよ。その……いろいろと。

「うるさいうるさい、恋人じゃねえって言ってんだろ。オレたちは一緒に住んでるだけ。あくまで仲の良い友達的な感じ。オーケー?」

「あのよぉ……。レインちゃんがどれだけお前のこと想ってんのか知らねえわけじゃねえんだし、そろそろ応えてやれよ」

「難しい関係だ。これで察してくれ」

「はあ……。本当にはあ〜、だぜ」とんでもなくこれ見よがしにため息を吐くアッシュ。「俺もできる限り協力してやりてえが……全く。なーんでピンチじゃないと積極的になれないのかね」

「ピンチなんてない方がいいに決まってる」

「ギリギリでしか力を発揮できない奴もいるの。そんでもって余裕がある時は無駄に消極的なの。それがお前! だいたい考えすぎなんだよ。もうちょっと気楽に生きろよ」

「……簡単に変えれたら苦労しねえだろうが」

「たしかに」

 あっさり同調し、すっかり諦観する。まあ、本当に、今更なお話なのだから。

「……あ、もう俺は例の店に行く気だけどお前も来る? レインちゃんと予定があるとか言ってたけど、今がそのレインちゃんのことを聞くチャンスかもよ」

 思い出したように言うアッシュに、

「店主の筋肉ジジイは少しばかりムカつく野郎だが……まあ、基本的には話好きの気のいい奴だ。レインちゃんの恋人だって言えば、気軽に教えてくれるだろ」

「え、そこでも恋人設定でいくのかよ。別に同居人だとかでいいだろ」

「それこそ馬鹿かお前。女と一緒に住むとか普通は同棲って言うんだわ。今すぐ図書館で意味調べてきやがれ」

「あー、はいはい。ちょっとは付き合うけど、飲みはしねえぞ」

「わかってるわかってる。そこまで求めてねえよ」

「んじゃ、行くか」

「おう」

 そんなこんなで、案内をするアッシュに着いていくこと数分……。

 何か、不穏な空気が流れているのを感じた。

「……そういや、えらく人の流れが集中してるな。何かあったのか?」

「………………。さあ……な。想像はつくが、あまり見たくはねえもんだ」

「見たくねえもん?」

「……見たくはねえが、・俺たち・には見ておく必要があるんだ。悪いが、ちょっと守護者(アテネポリス)の詰所前に寄り道させてくれ」

「あ、ああ」

 ほんの一瞬アッシュが、珍しく苦虫を噛み潰したような表情をしたのが、どうにも強く残った。


 守護者アテネポリス、とは。

 端的に言って、アドベントの治安維持組織だ。

 この街でまず一番有名な職業は間違いなく冒険者アドベンチヤーなのだが、彼ら……特に上位の冒険者とあっては、荒くれ者が多い。ちょっと荒れてるだけならいいが、現実問題、犯罪は起こるし、その犯罪者が高い戦闘能力を持っている場合は、制圧にもそれ相応の戦力を必要とする。

 要するに、そういった奴らの抑止力として存在する、他の国でいう『軍』と『警察』を掛け合わせた戦闘のエキスパートたち、といったところだろうか。もちろん通常の犯罪(窃盗や殺人)なんかも取り締まっているが、主な任務は外敵の排除と内乱の鎮圧だ。

 国を脅かす者はもれなく極刑だというのは、耳が痛いほど聞いていたが——、

「なにしてやがんだ、あれ」

 オレが目の当たりにしたのは、磔にされた人々だった。

 一糸纏わぬ姿で、十字の鉄板に固定された老若男女が、詰所前広場の台にずらりと並んでいる。

「……公開処刑ってやつだ。一ヶ月に一回、見せしめとして各地の詰所で行われてる」

「そりゃこの街が厳しく取り締まられるとは知ってたけど、なんで……あんな残酷なことを……」

 普通、公開処刑といえば、一般的に斬首や銃殺を思い浮かべる。

 共通点はできる限り速やかに殺すこと。

 そう、・普通は・せめてもの情けというべきか、一瞬のうちに命を奪われる。

 だが、今目の前にいる彼らは、・まだ・生きていた。

 ・執行中・だった——。

「凌遅刑……。肉体に少しずつダメージを与えて苦痛を長引かせるとかいう、考えうる限り最悪の死刑方法だ」

 ぽつりと聞こえてきた呟きに、生唾をごくりと飲む。

 苦痛。

 想像を絶する苦痛。

 目を潰されている者。手足を切り落とされている者。生皮を剥がれている者。

 既に事切れている者もいるが、大抵はまだ痛ましい苦鳴をあげていた。

「誰だよこんなクソみたいなこと考えた奴は……! 正気じゃねえよ……」

「監獄にいる超サディストの署長が考えたらしい。……言っただろ。これは見せしめなんだ」

「……っ! なんでお前はそんなに冷静でいられるんだよ!」

 妙に冷たいアッシュの言葉に、オレは驚きを隠せない。

 だって、なあ。こんな残酷な殺し方がまかり通っていいのかよ!

「……慣れたんだよ。お前が目を覚ます前にこっちは何回も見てんだ。最初に見た時はもっとグロい状態だったし思いっきり吐いた」

「……っ」

 なお冷静に紡がれる言葉に、答えを返せない。

「それにな、こっからなんだよ」

 アッシュが言うと同時、処刑台で動きがあった。

 黒い覆面を被ったいかにもという処刑人らしき男が、戦いで使うような大きな槍を持ち出してきた。……なに、する気だよ。

 …………なんとなく想像はついた。

 既に右腕が欠けている女性の前に近づいた処刑人の男は、なんの戸惑いもなく左肩口に突き刺した。

「ぎゃあぁあああいいいいいいっ!」

 悲鳴とも絶叫ともいうべき声が、響く。処刑人がグリグリと槍をねじ込むたびに、質の悪い楽器のように女性の声が呼応していた。

 とても見ていられない痛ましい数秒が過ぎた後……ボトッと彼女の左腕が落ちる。 

「うっ……」

 どうにも気持ち悪くなって目を逸らすと、暗い表情のアッシュが見えた。

「前にも説明したが、この街では反乱分子に対する処罰が異常に厳しい。反逆罪で捕まった日には、よほどの要人でもなけりゃ、裁判なしで死刑が確定してるんだ」

「じゃあ、あの人たちは噂の反乱軍ってことか……?」

「反乱軍……まあ、そうだな。世間ではそう呼ばれてるし、そう呼ばされる」

 世間ではという言葉に、初めてアッシュ以外の周りの市民たちの声に耳を傾けた。


「人統……名ばかりの反逆者が。毎度毎度、こんな地獄みたいな死に方するかもしれないのによくやるよ」

「妙な格好した女が家の窓に突っ込んできた時はどうしようかと思ったよ。怪我して気を失ってたから、そのまま守護者アテネポリスに通報したけど」

「夜半に襲撃してくるからな……。時々聞こえてくる戦闘音がうるさくて敵わん」

「でも、着々と勢いを増してるらしいわよ?」

「敵わんね。でかい面してほっつき歩いてる冒険者アドベンチヤーにも頑張ってもらわないと」

「まったくだ」

「にしても……そこまでこの世界態勢が不満かねえ」

「よくわからん部分ではある。我々市民にだって、そりゃあ多少の理不尽はあるかもしれないが、特別な不満はないしな。あんな風に晒し者になるくらいなら、そりゃあ慎ましく生きるさ。

 ——『奴ら』に勝つため、なんて、所詮は戯言だろうに」


 ……・普通の・会話が、交わされていた。

「ま、ああいうのが大体の市民の意見だ」

 再び呆然と「なれ果て」を見つめるオレに、アッシュは首だけを向ける。

「胸糞悪いことに付き合わせて、悪い。どうしようもないほどくだらねえ見せもんだけど、『現実』くらいはよく知っておいた方がいいと思ってな。昼間に騒ぎを起こしといてなんだが、『奴ら』には下手に逆らうなよ」

「……わかってるよ」

「じゃ、店に行くか」

「ああ」

「さっさと行こう」 

「だな」

 …………さすがのアッシュも苦い表情だ。もはや怒りさえ感じるほどに。

 もちろんオレだって、あんな非道なことを見過ごしたいとは思わない。……しかし、あの残酷な処刑方法は許しがたいが、あくまでも表向きには国に逆らっている犯罪者には変わりないし、彼らも理由はどうあれ人を殺したりして捕まっているのだろう。

 罪には罰を——。

 そんな、当たり前のことなんだ、と自身の感情は押し殺す。

 第一、残酷な処刑は許せないなどと思っていても、オレが表立ってそれを非難することもない。結局、怖いからだ。ようやく落ち着いてきた生活を、他人のために壊したくない。

 自分は臆病な性格なんだなと思うが、残虐な仕打ちを受けている対象が犯罪者であるという点が、オレのか細い自尊心を保たせていた。

 クソくだらねえ。ほんと、くだらねえ話だよ。

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