第32話 魔の手は緩やかに侵食する《Erosion is Slow》



「やっぱりお前、調子悪いだろ。治療院行った方がいいんじゃねえか?」


「ばか言うな。他意はない。あーもう、説明するとだな……」


 今日は本来、アイネとライネを連れて食べに行く予定だった。でも、あの子たちに急な「予定」ができたんだ。

 じゃないと、誰がアンタなんて誘うかっての、と。

 ニアは偉そうに説明した。


「誰かと食べるつもりだったのに、一人なのは落ち着かないからな。だからだよ。それにおれは、一日三食ちゃんと食べるって決めてる」


「そりゃ真面目なことで」


「で、行くのか、行かないのか?」


 顔をずいっと突き出すようにして問いかけてくるニア。

 彼のいつもの言動を見る限り、なんか裏がありそうで正直怖いのだけど、有無を言わせぬ迫力と同時に、妙に陰りのある表情が気にかかって。


「じゃあ、せっかくだから……ご馳走になろうか」


「そ、ならさっさと行くぞ」


 レインもどうせ仕事だし、昼飯は適当なものを露店で買うつもりだったから、まあいいだろう、と。

 目的地も言わずに歩き出すニアを追いながら、オレはどこか懐かしい感じがするのを不思議に思っていた。



 向かった先は第四都区の比較的繁華な地域。やはり行き先は決めていたみたいで、ここでいいだろ、と家族向けのカジュアルな料理店に入った。

 いらっしゃいませー、と業務用の声が響き渡る(一部店員がギョッとしてニアを見ていたが、ご愛嬌だ)。

 昼時であるからして混雑しており、目まぐるしく従業員が動き回っている。すぐに案内してもらえそうにない雰囲気であったが、首尾良く一組の家族連れが席を立ったため、ものの数十秒で席に落ち着くことができた。

 どうせ奢ってもらうならと比較的高めのハンバーグステーキセットを注文したが、さすがは絶級冒険者ランク5、眉ひとつ動かすことはなかった。


 ……んなケチくさいこと言うなら、いちいち誘ったりはしてこないだろうけど。

 それでも、いちゃもんをつけてこられても大して不思議ではないだろうというのが、オレが抱いているニアへの印象だ。

 こいつは逆に数分間も何にするかを迷っていたが、結局は同じセットを頼むことに落ち着いた。


「……そういや、アンタ。なんであんなとこうろついてたんだ?」


 香ばしい匂いが運ばれてくる前に、頬杖をつきながらニアは尋ねた。


「図書館で借りた本の返却日が今日だった。アッシュは午前中で帰りやがったし、空いた時間にってわけだ」


「その帰り道ってわけか……。たまたまだったんだな」


「ったり前だろ」


「いやなに、てっきり忠犬は主人を探していたのかと」


「そもそも連絡先知らねえから、ああなったんだろうが」


 ……と、まあ、当たり障りない会話で、それなりに盛り上がった。

 店内はやはり家族連れや同年代くらいの少年少女が多く、雑踏の声でオレたちの会話も掻き消えていたが、それはつまり溶け込めているということである。

 会話が微妙に途切れたちょうどいいタイミングで、鉄板に乗せられたハンバーグステーキセットが到着した。肉汁の香りに鼻腔を刺激されたヒロたちは、すぐに食らい付き、しばらくは舌鼓を打つ……。


「……にしても図書館かぁ。おれも一時期は世話になったな……」


 そう、ポツリと呟くニア。


「意外だな。お前、本なんて読むのかよ」


「あん?」ねめつけるような視線を向けたニアは、「どういう意味かな」


「まんまだよ。読書を楽しむタイプには見えねえ」


「お生憎様」チロっとニアは舌を出して、「読書は習慣づいてる」


「だから、意外だって話だろ。どんな本読んでんだ?」


 問いに、ちょっとニアは考え込んで……、「…………ジャンルでいえば……童話、あたりだな。最近読んだので言えば、『仮面の騎士』という作品だ。知ってるか?」


 その題名には、ピンとくるものがあった。


「あー、いや。知ってるも何も、さっきオレが返しに行った本の内の一冊だからな」


「ほう? 珍しいこともあるもんだな」


「借りたのはレインの方だけど、オレも読んだぜ。ありきたりっちゃ、ありきたりだけど、熱くなれる物語だよな」


『仮面の騎士』。

 題名から察せられる通り、仮面を被った騎士ナイトが主人公だ。悪い奴に連れ去られてしまったプリンセスを、颯爽と駆けつけて救うお話。

 ——陳腐で、使い古された、物語。


「こういう話にハマる気持ちは、正直オレ、わかるぜ」


 王道の物語は、面白いから王道なのだ。


「ハマるってのは、ちょっと違うな。どっちかといえば勉強のためだ」


「勉強? 読書が?」


 それこそ、内容なんて、あってないようなお話なのに。


「ああ。勉強だ。おれは読み書きが不得意だからな。最初から大人が読むようなもんを読んでも頭に入ってこない。これくらいの児童書の方がちょうどいいんだよ」


 ——オレが、甘かった。

 あっさりと語られた事実は、自分の浅慮さと視野の狭さを否応でも突きつけられる。……そもそもヒロ自身、気が付いたら文字が書ける状態だったという感じなので、何も言えるわけがないのに。


「読み書き、か。まあ、地域によっては学習施設がなかったりするかもだしな」


 不自由なく生きていく分に必要最低限なスキルを身につけていることに、「顔しか知らない」両親に感謝しなければなるまい。


「…………喋りすぎた。忘れろ」


 一方で、明らかに余計なことを喋ったと苦々しそうに頭をかきながら、顔を逸らすニア。


「無理言うな。でも……児童書や童話だっていろいろあるのに、こういう英雄譚が好みなのは男なんだよな。やっぱり、憧れが大きいのかもな」


「そりゃあ、男ならこっちだろ。絶対にこっちの方がかっこいいし、


 一転、笑ったように同調するニアは、男らしい、を強調する。

 ……こうやって腰を落ち着けて会話をしてみると、今までと異なる人物像も見えてくるものだ。

 最初は急に斬りかかってくるやばい奴……いや本当に危ない人物だという印象しかなかった。が、幼い子供しまいから信頼されてることと言い、なんだかんだで礼儀を重んじることと言い、プライドが下手な山よりも高いことを除けば普通の人なのかも、と思えた。



 腹を満たしたオレたちは、特に居座る理由もないので速やかに店から出る(料金は占めて五〇〇〇〇ヴェンなり。肉のせいか、クソ高かった)。

 どちらかが話題をするわけでもないので沈黙が続いていたが、ふと、ニアが重い口を開いた。


「なあ、明日の依頼クエストなんだが、実はもう既に決めてあるんだ」


「へえ。もう取ってきたってわけか」


「いや、正確には……時にアンタ、最近この街で子供の行方不明が多発してるのを知ってるか?」


「ん? あー、そういやギルドの職員が話題にしたのを聞いたな。たしかまだ誰も見つかってないとか……って、それがどうした?」


「その人探しが、明日の依頼クエストだ」


 平坦に、ニアは言う。


「はあ。そりゃ親からすれば溜まったもんじゃねえだろうし、そういう依頼クエストも来るだろうな」ヒロはなるほどなと適当に頷いていたが、「…………つーかお前、そういうタマじゃねえだろ。まさかアイネ……だったか? あの子たちが行方不明になったってんじゃないだろうな」


 予定がどうのという話は聞いているものの、時系列が、繋がる。

 が、


「それは違う」


 即答。声にも、表情にも、変化はない。

 そこだけが妙に気にかかるが……まあ、かような嘘をつく意味もない。


「……ただ、アイネたちくらいの年齢の子が連れ去られてるのも事実だ。そんなクソ野郎共をぶっ潰すのは当然だけど、まずは子供たちの保護が優先……そうだろ?」


「違いねえ」


「はっきり言って、報奨金がそう多くあるわけじゃないから、『仕事』としての効率は悪い。せいぜい配分は……初級冒険者ランク1あたりの額だ」


 一気に言葉を捲し立てるニアは、……だから、と。


「その、それでも……アンタらは、受けてくれるのか」


 徐々に声のボリュームが下がっていく彼に…………ヒロは。


「……っ」


 思わず吹き出してしまう。


「な、アンタ! 何がおかしい! ああ⁉︎ 子供を探すことのどこがおかしい⁉︎」


「いや、違うっての。今お前、どういう顔してんのかわかってんのかよ」


「顔……?」


「まあわかんねえだろうけどさ。塩らしい顔してたぞ、お前。そもそも、奴隷だとか散々言ってる奴に命令じゃなくてお願いとか、そりゃ笑うだろ」


 目を逸らしたり、言い詰まったり、普段の傲慢さがかけらもない。


「な……だって、しかし……」


「とにかく捜索の依頼クエストはやるよ。報酬はあれだが、場合が場合だしな。アッシュも別に文句言わねえだろうし」


 これが赤の他人であったのであれば、正直迷ったかもしれない。行方不明になった子供の親の心境は推して知るべしだろうが、それでも他人事の域を出ない。同情はするが、するだけだ。

 でも、そんな打算的な感情を抜きに、他人のために働きたいと言った奴がいた。

 そしてそれは、この街で最も力を持つ七人の一人で、さらに言えば自分の仲間だ。


 手を貸すのに、これ以上の理由がいるのだろうか。


「……言ったぞ。二言はないな」


 自分の中ですぐに折り合いをつけたらしく、もうニアが動じることはなかった。


「当たり前だ。……ちなみに何人集まりそうなんだ?」


「おれが聞いた限りでは、当事者の親を含め五〇人余りらしい。……ついでに言えば、いなくなった子供は二一人だ」 


 関係者が加わるのは当然として、同志が少なくとも数人はいる規模だ。


「そこそこ心強い数だな」


「行方不明者の捜索は、時間との勝負だ。一般的に言われている制限時間リミツトは三日。だが……中には一週間近く経っている子もいる」


 ギルドで聞いた話をオレも思い出すが……特に身代金目的のような事件でもないらしい。


「とにかく、見つけてやらねえとな」


「そういうことだ」


 たとえどれだけ残酷な結末が予想できたとしても、諦める理由にはなり得ない。


「さーて」ニアは切り替えるように首を捻りながら、「これからどうする。まだ陽は高いし依頼クエストでも受けるか? 簡単なものならあるかもしれないぞ」


「あー、今日はもういい。オレも考えてたけど、久々に自己鍛錬で自分を追い込むことにする」


「追い込む……何をするんだ?」


「素振りだ。正確には、敵がいるつもりで斬る練習って感じだが」


「へえ……」ニアは興味深そうに、「何かを斬った方が成長は早いと思うけど」


「実戦は時として基礎を忘れちまう。いろいろあんだよ、秘剣の練習もしたいしな」


「秘剣……? ……まぁいい。今日はおれも時間が空いている。自己鍛錬とやらに付き合ってやろう」


 不敵に笑って宣言するニア。


「……疲れたんじゃなかったのかよ」


「腹一杯食べたら疲れが取れた。アンタとは鍛え方が違うんだよ、鍛え方が」


「はあ……別に構わねえけど、ただ剣を振ってるだけだぞ?」


「何言ってる。せっかくおれがいるんだ。戦えばいいだろ。その秘剣とやらをおれが受けてやる。これも『主人』の務めだ」


「だから、実戦と目的が違うって…………あー、もういいや。めんどくせえ」


 こういった言葉が出てくるからにはいつもの調子に戻ったのだろうが、それはそれでムカつくというのがオレの本音だった。

 こいつ極端なんだよなぁ、情緒が。


「でもよ、実力が揃ってねえんだから、勝負になるのか怪しいぞ」


「大丈夫だ。アンタはおれの剣を受け止めることができた。この事実だけで、おれにとっては十分だ。最低限の『勝負』にはなる」さて、そうと決まれば、とニアは身を翻しながら言って、「模擬戦をするのに適した『店』を知ってる。馴染みの武器屋だが、試用部屋があるんだ。いくらでも暴れられるぞ」


 そうと決まってねえ、とは思いつつも。

 すでに走り出しているニアを、ため息をつきながら追いかけた……。



 結果から言ってしまえば……ボコボコにされた。

 前は反応できただろうと聞かれて、強化魔法によるものだったと説明するも。

 つまらないな、鍛え直してやる。

 そう言って目が本気マジになったニアと、結局は一日中斬り結んだ。

 ——果てなき鍛錬を終えて夜遅くに帰った後、レインには割と本気で怒られたのだが、それはまた別のお話。



   ***



 二日間。

 六〇人ほどに膨れ上がった捜索隊が結成され、一斉に都市の捜索に当たった。家族からの事前の情報を元に、子供の行動心理とやらに詳しい専門家の意見をいただいたり、人身売買ルートを徹底的に洗ったりと、捜索隊以外の人員も割いた。


 ……が、たった一つの成果も挙げることはできなかった。


 完全なる行方不明。

 防犯上、至る所に監視装置が配置されているのだが、その「目」に引っかかったような形跡もなし。足跡を辿っていくのはもう、手詰まりであった——。



 陽は、落ちた。

 夕闇に暮れつつある第四都区の、とある公園で。

 幼女が一人、遊んでいた。

 幼女は鉄棒で遊んでいる。ある「技」の練習をしているのだ。その名も逆上がり。彼女の友達の中でこの技を成功することができるのは、男子だけだ。女子では一人もいない。であれば、自分が一人目になってやろう。そう思った彼女は、日が暮れるまで練習に勤しんでいた。

 幼女の名は、アイネ・シークリット。

 …………これは余談ではあるが、彼女は最近、大事な大事な「家族」を危険に晒された。

 未遂で終わったけれど、

 許せない。ただただ、許せない。

 彼女の心は、いま、正義に燃えている。


「ねえ、君。ちょっといい?」


 妖艶な声が、幼女の耳に届く——。

 アイネの目の前に佇むは、金髪を緩くウェーブさせた少女。黒いドレスにはところどころフリルがあしらわれている。綺麗な薔薇には棘があるという言葉が何より似合う、そんな少女だった。

 そして奥にいる、色素の薄い髪をした青年。彼は薄ら寒い軽薄な視線を常にアイネに向けている。が、視線はあくまで冷たいのに、そこいらにいる夢見る乙女であれば、見つめられただけで卒倒しかねない色香をも、醸し出している。

 とにかく、人の目を惹きつけることに特化した二人の男女。

 声をかけられた時点でアイネは直感する。


 ——こいつらだ、と。


 即、防犯用に販売されている「警報ブザー」の紐を引き抜く。けたたましい警戒音とともに、彼女は叫ぶ。



「えーいへーいさーん‼︎ ゆうかいはんに、おそわれるぅ————‼︎」



「……っ」


 さすがに想定外の行動であったのか、男女には動揺が走る。二秒ほど迷った後、彼らは素早く身を翻したが……公園の入り口より二人の守護者アテネポリスが駆けつけてきた。


「大丈夫か⁉︎ 誰か襲われているのか!」


 運がいい。警戒令が出ているのもあってか、たまたま近くを哨戒していたようだ。


「助けて衛兵さん! この人たち、アイネのこと連れて行こうとしたんです!」


 アイネは青年と少女を指差して、守護者アテネポリスに訴えかけた。夕暮れ時に子供がいなくなるという情報、明らかに誘拐しやすい子供が一人の状況、現行犯で逮捕とはいかないだろうが、確実に奴らはマークされる。あわよくば情報を引き出せるし、少なくとも抑止力にはなる、と。

 アイネはこの年代の子供にしては、四、五歳は思考力が上だった。

 守護者アテネポリスたちは割り込むようにアイネたちの間に入り、アイネを庇うように立ち塞がる。


「この青年たちが噂の……本当なのかい?」


「ほんとです! 急に話しかけてきて、ぐいって腕を掴まれたんです‼︎」


 泣きそうな声をあげて言う。演技は得意だ。


「ほう……これは、誘拐の現場に遭遇したということでいいのかな」


「いや待て、ローガン。一応、もう片方の言い分も聞く必要があるだろう」


「……ああ、そうだな」


 仲間にローガンと呼ばれた守護者アテネポリスの男は、先程から固まって動かない青年と少女に問いかける。


「あの女の子は、君たちに襲われたと怯えた様子で言ってるんだが、君たちはここで何をしていたんだ? 場合によっては……手荒な手段を取る必要がある」


 いくらか穏やかな口調ではあるが、それはあくまで青年たちが「容疑者」であり、「犯罪者」だと断定できていないからだと、容易にわかる冷たい声音だった。


「あら、誤解よ。衛兵さん。私たちはただ、頑張っている子供たちを応援したいだけ。私たち、『芸』をお仕事にしているの。——そういう『仕事』なの。わかってくださるかしら?」


「…………そうか」


 短く答えたローガンは少し困った顔をして、アイネの方に向き合う。


「ごめんね。君は怖い思いをしてしまったのかもしれないけれど、私たちは君が襲われるところを見ていないんだ。だから……彼らを捕まえることはできないんだよ」


「ほんとに襲われたんだもん! アイネ嘘なんてついてないよ!」


 わかっていたことだが、だからといって引き下がるのは子供らしくない。


「ごめんね」もう一度ローガンは言って、「ちゃんとあの人たちのことも調べるから。今日のところは、もう一人のアレンお兄さんと一緒にお家に帰ってくれないかな」


「でも……、」


「ごめんね」


「…………うん」


 でもまあ、ここいらが潮時だろう。これ以上粘っても、事態が好転しそうにない。泣き疲れたようなフリをして、大人しく頷いておく。

 だが——。

 アイネは、青年と少女を見据えた。

 逃がさない。顔は覚えた。誰にも言っていないが、自分は似顔絵が得意だ。この澄ましきった顔を正確に描いて皆に広めれば——そこまで考えて。


 プスッ。


 乾いた音とともに、アイネの首筋にチクリと痛みが走った。


「え……」


 振り返ろうとするが、力が入らない。ドタっとアイネは崩れ落ちた。

 かすみゆく視線の先には、液体滴る注射器を持ったアレンと呼ばれた守護者アテネポリスの男が、無機質な表情で自分を見下ろしている。


(……ああ、やっちゃった。まさか、守護者アテネポリスまで、お仲間さんだったなんて……)


 自分の甘さをアイネは呪った。この街の闇を甘く見すぎていた。

 結局——子供には荷が重すぎるお話で。

 もともと体力が多くない女の子、意識が消えるのに数秒しかかからなかった……。


「手際は悪くねぇ。このままウダウダ絡んできたらぶっ殺してやるつもりだったんだが……この方が穏便ではあるわな」


 青年の喧嘩でも売るような口調に、ローガンは頭をボリボリとかいて、「……あんたは、最近、捜索隊だかを結成した奴らが、都市中を嗅ぎ回ってやがるのを知ってるか?」


「当然」


「今日の捜索ではもう、八つの都区はあらかた洗い出したそうだ。残りは第零都区のみ。平民の手が及ぶことは断じてないが……誘拐の現場を目撃されたとなると、また話が変わってくる。『息』がかかっている人員が近くにいたことに感謝こそされど、煽られる謂れはない」


「気にしちまったか? 悪いな。俺は口下手なんだ。許せよ」


 全く悪びれない青年の言葉にローガンは呆れるが、強大な力を持つ者というのは、総じて頭のネジが二、三本は外れているものだ。気にするだけ無駄、だった。

 あくまで冷静にと自制しつつローガンが口を開こうとすると、無口なアレンが急に口を挟む。


「……今回は詰めの甘いガキの背伸びだったようだが、今後、頭の回る奴に似たような事をされないとも限らんぞ」


「あぁ、大丈夫だ心配すんな」青年は風に揺れる前髪を整えつつ、「このガキでちょうど二四人目。『上』からのノルマはこれでクリアだ。テメェらはさっさと『守る側』に帰ってやれよ」


 相変わらず挑発するような口調。無機質なアレンはともかく、直情傾向なローガンには来るものがあった。

 が、ここは抑えて、


「……っ、まあいい、わかった。こちらも『上』に報告しておく。時に…………こちらも言っておくが、。なんのことを言ってるかはわかるな?」


「それも心配すんな。じゃ、何回やっても俺には勝てねぇ」


 と、青年は、実験に利用されるモルモットを見るような目で聡い幼女を一瞥した後、言った。



「テメェらは、絶級冒険者ランク5に序列が存在する理由がわかるか? ——そこにどうしようもねぇ隔絶があるからだよ」



   ***



アイトスフィア歴六三五年四ノ月二八日



 丸一日の捜索を終えたオレは、よろしければ明日もお願いいたしますという捜索隊のリーダーの言葉を受けた後、帰路についていた。

 今日の一日は、飾らずにはっきり言って徒労だった。まだ何か痕跡でも見つけようものなら救いはあるのだが、目撃情報すら挙がらない始末。悲観に暮れる親たちの顔を見るのはとても忍びなく、また余計な気を遣わせるのもなんなので、素早くその場を去ったが、どうにも彼女たちの表情は頭にこびりついている。


 ……それはそうとして、オレは今、一人ではない。

 横にはニアが並び歩いている(アッシュは例のごとく帰った。おそらくシーナの泊まる宿にでもご機嫌を伺いに行っているのだろう)。


「で、アンタはどうしておれについてくる?」


 と、痺れを切らしたみたいに、ニアが突然言い出す。


「今さら何言ってんだお前、昨日も一緒だったろ」


「あれは訓練後の『指導』があったからな。今日はその必要がないだろう」


 昨日の半ば強制的な立ち合いの後、ニアからは「指導」と称したさまざな意見を頂いていた(相変わらず口は悪かったが鋭い意見も多く、得るものは大きかったと言っていい)。


「あのな、第四都区の構造上、橋を渡るまでのルートが限られてんだぞ? それこそ別々に帰る謂れもねえだろうが」


「それはわかってる……ただ、こうして誰かと帰る機会がないから……その、気まずいんだよ」顔を背けて口をすぼめるニア。


「はあ……。ということは、お前、オレら以外とパーティーを組んだことないのか?」


「ないな。何しろおれはつよ……まぁ、そこらの雑魚に負けることなんてない。自分と組んでくださいって頭を下げにきた奴はいたが……ボコボコにしたら逃げてったしな」


 そう考えるとアンタはよく耐えた方だ、と悪びれる様子もなくニアは宣う。

 容赦ねえな……。

 オレと戦闘中もなぜか奇妙なほどに笑っていたぐらいなので、きっと嬉々として希望に溢れた冒険者たちをいたぶっていたに違いない。


「どおりで、無茶苦茶なことしか言わないわけだ」


「おいアンタ、言い方に気をつけろ。人に気を遣うっていうのは弱者の生き方だ。わかるか?」


「いや、わかんねえよ」


 こちとらそんな傍若無人な生き方はしていない。


「簡単に言ってしまえば、自分の思うままに生きて、自分は飾らない。人に感謝したいと思えば感謝するし、謝りたいと思ったら謝る。——それが、強者の生き様だよ」


 まぁ、今まで人に頭を下げたことなんてないけどな、とニアは付け足した。


 そうしてくだらない会話をしつつ、昨日も通った道をゆく。やがて別れ道に着いた。


「……じゃあな。明日は……いつも通りの討伐依頼キルクエストだ」


「いいのか?」


「いいさ。……もともとおれたちは善意の第三者。協力するもしないも自由。違うか?」


 薄く笑っているニアは、どこか諦観した表情で。


「違わねえよ、違わねえさ」


 だけどお前、それは矛盾してるんじゃねえか?

 その言葉は口の中に押し込む。


 数日間とはいえ、彼と関わってきてわかること。彼はとても繊細なのだ。強い言葉を吐いて、それで、人をなるべく寄せ付けようとしない。そんな生き方。

 でも、そんな彼にも、大切なものがある。

 あの姉妹たちだ。

 見目からして明らかに血は繋がっていない。しかし、彼女らをみる視線は兄そのもの。……気恥ずかしいが、シーナから向けられる視線に似ていた。


「……もう行くぞ?」


 何か言おうとしたオレをあえて無視するように身を返したニア。


 ——と、暗闇から何者かが駆けてくる。


「っ……!」


 即座に警戒するが、


「待て」


 ニアが手を水平にして、それを制す。


「おれの知り合いだ」


 明らかに走り慣れていない様相で駆け寄ってきたのは、青い顔した中年女性。それなりに歳を食ってはいるが、若い頃はさぞ美しかったであろう面影がある。ぜえはあと息をつく女性をニアはすかさず介抱して、


「どうしたマチルダ、こんな時間に。アイネたちが心配するだろう」


「はぁ……はぁ……それが、その……はぁ、アイネが、帰ってこないの……!」


「……ッ!」


 彼女の言葉にニアの表情が激烈に変わった。


「マチルダ。大きく息を吸え。そうだ、深呼吸だ。…………落ち着いたか?」


 マチルダと呼ばれた女性は、ようやく息を落ち着け、こくりと頷く。


「よし。……それで、アイネが帰ってこないんだな?」


「ええ、逆上がりを練習をするからって……。今は一人で遊ぶのはやめなさいとは言ったんだけど……ニアと一緒だと言うから。ねえ、ニア。あなた一緒じゃないの?」


 ニアは本当にわからないといった様子で、「いや……そんな話はしてない。逆におれも、しばらくは大人しくしておけと忠告したんだ」


「……ああ、どうしよう。どうしましょう。やっぱりちゃんと止めるべきだったわ。あの子は賢いから、私も信頼しすぎてた……」


 オロオロと再び不安定になってきたマチルダを、落ち着け、もう一度深く息を吸え、とで彼女を落ち着かせるニア。

 目の前で繰り広げられる緊迫した空気に、わずかばかり置いていかれていたオレは、「おい」という強い口調により戻される。


「アンタに頼みがある」


「……なんだ」


「マチルダを家まで連れ帰ってくれ。すぐ近くだから時間は取らせない」


 平坦な言葉にオレは気圧されつつも、「お前はどうすんだよ」


「……いつもは散々言ってるが、アンタがどんな奴かは剣を見てればわかる。とりあえず信頼するから——頼む」


 オレの疑問を全く無視して己の言葉を突き通すニア。並々ならぬその意思力に、頷かざるを得なかった。

 ニアは再び表情をかすかに緩ませて、マチルダに寄り添う。


「マチルダ。アイネは必ず無事に連れ帰ってくる。約束しよう」


 言って、彼女の反応すら見ずに駆け出した。

 いきなりの行動に思わず、


「おい! だからお前は何しに行くんだって聞いてんだろ!」


 叫ぶ。

 彼をこのまま放っておくといけない。ロクなことにならない。オレの第六感は、この街に来て一番大きく震えていた。


「——、クソ奇術師様をぶっ潰しに行くんだよ!」


 風に乗って声が聞こえたと同時、ニアの姿は見えなくなった——。

 クソ、相変わらず説明もなしに勝手しやがって……。一瞬追いかけようと本気で考えたが……足元に崩れ落ちている「母親」を目の端で捉えて、思いとどまる。


「その……大丈夫ですか」


「あなたは……」


「ニアの仲間です。あなたのこと任されたんで、家まで送ります」


 手を貸すために屈むと、ありがとう、と一応は手を取り立ち上がってくれた。

 おぼつかない足取りながらも進む彼女に、ゆっくりと歩みを合わせる。ニアが時間は取らせないと言った通り、別れ道から一筋分進んだ突き当たりに目的地はあった。なんてことのない、石造りの家屋だった。

 ありがとうね、と再びマチルダは言う。


「いえ……」


 送れと言われたから送ったものの、このまま彼女を放っておいていいのかどうか。見たところ、屋内に明かりはついていない。せめて夫でもいてくれればと思うのだが……もしかすると、アイネを探すため駆け回っているのかもしれない。


「ええと、妹の方……ライネさんはご無事なんですか?」


「ええ。しばらくは守護者アテネポリスの詰所で保護してもらっているわ。家にいるより安全でしょうから」


「そう、なんですか。……じゃあ、オレはこれで……あの、ニアを探してきます」


 言い淀みながらも、なるべく安心させられるよう言葉を継ぎ足すと。


「……あの子は強い子なの」


 ぽつりと、声。


「……へ」


「すごく強いから……なんでも抱え込んでしまう癖があるみたいでね。あなたはニアのお友達、なのよね」


「まあ、はい。仲間です」


「よかった。恋人さんどころかお友達の話すら聞いたことなかったから、心配してたのよ」


「へ、へえ……」


 気丈に微笑む彼女に対して、ヒロは苦笑いを返すことしかできない。


「あの子のこと、よろしくね」


 己の娘の安否が心配でたまらないだろうに、それでも実子でないはずのニアの不安定さをも心配するマチルダ。彼女がニアに対して、実娘と等しい愛情を注いでいることが窺える。

 無碍にはできない。


「はい、任せてください。あいつはオレの——大切な仲間ですから」


 強く、頷いた。



 力なく手を振るマチルダから半分逃げるように、オレは走る速度を上げる。

 ああ、ちくしょう。

 オレは、曲がりなりにもニアのパーティメンバーだなんて名乗っておきながら、何も知らなかった。

 まあ、知らなかったこと自体は仕方ねえ。

 ただ、無意識のうちにあいつのことを盲信していた。

 あいつの強さは知っている。ニアなら問題ないだろう、と。



『そうだな……一方的な結果だった』



 その言葉の意味は、ニアが一方的に相手を圧倒したものだと、自然に捉えていたけれど。

 じゃあなんで、服があんなボロボロになってんだ……?

 あれがただ奇襲された際についた「汚れ」なのではなく、勝負に敗れた際の「傷」なのだとしたら——。

 ……問題、ありまくりじゃねえか。

 たしかにニアは、この街でたった七人しかいない最強の冒険者の一人だ。でも、

 つまり、今日ニアが「喧嘩」したという相手は——、


絶級冒険者ランク5……か。あいつ、いったい何があったってんだよ」


 やはりニアは、何かとてつもないトラブルに巻き込まれてる。

 ……もともと、半ば無理やりに組まされたパーティーだ。いっつもいっつも無茶苦茶やって、とんでもない依頼クエストに駆り出されたりもしたし、散々振り回されたけれど……。


「やっぱり、ほっとけねえよな」


 マチルダから頼まれた以上に、この事件に干渉せず経過を見守ることができないくらいには……自分はニアと関わってしまっていたらしい。

 …………レインには後で、謝らねえとな。


 オレは、「情報」を集めることにした。


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