第37話 山田

 外はまだ明るく、日差しがアスファルトをじりじりと強く照り付けている。こんな日中にびくびくしながら家に帰らないといけないことになるなんて、思ってもいなかった。柳くんは私に歩幅を合わせながらも、できるだけ早歩きで道を進んでいく。

 柳くんは私の家を知っていたっけ、とふと思ったけれど、そういえば少し前に忘れ物を家まで届けてもらった覚えがある。記憶力がいいな、なんて呑気なことを考えながら、無言で彼の後ろをついていった。

 お互いに黙ったまま、炎天下の中を歩く。話さないのはもし山田が近くにいたときに声を聞かれないようにするためだろう。どうしてこんなに怯えなくちゃいけないんだろうと少しうんざりした。

 十五分ほど歩くと、私が住んでいるアパートが見えてきた。周りに人影はない。山田はここまでは来ていないようだ。


「柳くんここまででいいよ。送ってくれてありがとう」


「ダメですよ、千尋さんが部屋の扉閉めるまで見送るんで。あいつどっかに隠れてるかもしれないし」


 でも、と言葉を続けようとする私の腕を引っ張り、柳くんは私の家の方へ早足で向かっていく。


「どうせ、ここまで来たら一緒です」


「……そうだね、ごめん、ありがとう」


 そう言って、柳くんに引っ張られるがままアパートへ向かう。アパートの外階段を上り、私の部屋の前で立ち止まった。私がカバンの中のカギを探している間、柳くんはきょろきょろと周りを見張ってくれていた。猫のキーホルダーのついた鍵を取り出して、カギ穴に差し込みガチャンと回す。


「柳くんありがとうね、送ってくれて」


「どうしたしまして。ちゃんと鍵閉めてくださいね。チェーンもかけて。

それと、もし何かあったらすぐ連絡してください」


「うん、ありがとう」


 そう言って手を振ったが、柳くんが立ち去る気配がない。どうやら私が家の中に入って鍵を閉めるまではそこにいるつもりらしい。大人しく家の中に引っ込み、扉を閉めて鍵とチェーンをかけると、遠ざかっていく足音が聞こえた。

 ほっと息をついて、リビングに入る。家はバレていないと思うけれど、もしかしたらと思い、閉め切ったままのカーテンをそっと開ける。アパートの裏庭が見える窓からは、誰の姿も確認できなかった。ただ伸びきったまま誰にも片づけられない雑草が目に入るだけだ。

 はあ、と深いため息と共にベッドに倒れこむ。これからどうしよう。もしかしたら明日も店まで来るかもしれない。家がバレるのだってきっと時間の問題だ。

 そもそも、なんで店を特定してまで「月島ヨナ」に会いに来たのだろう。引退配信のときだってほとんどコメントしていなかったし、SNSでも何も言ってこなかった。全く意図の読めない山田の行動に頭を抱える。


 私はベッドから起き上がると、久しぶりにPCを起動した。ブラウザを開き、SNSにログインする。もしかしたら、山田が何か書き込んでいるかもしれない。それに、店の場所がさらされている可能性だってある。恐る恐る画面を見ると、メッセージ欄に何やら大量の通知があることに気が付いた。

 開いてみると、そこには山田から、数えきれないほどのメッセージが届いていた。一番最新のものはついさっき送られてきていた。そこに並ぶ一方的な言葉の数々にぞっとする。


『なんで引退したんだよ』

『ドッキリだったら面白くないからな』

『返事しろ』

『見てんだろ』


 さっき店に現れた男性と山田が同一人物だとは思えないくらい、荒々しい暴言が並んでいる。この人は、一体私にどうしてほしいのだろう。ドッキリだとか、引退するな、なんてことが書かれているけれど、そもそも山田が私の引退を止める理由が見当たらない。こう言えば、私が困ってかまってくれるとでも思っているのだろうか。

 訳の分からない言葉は、引退したあの日の日付から、何スクロールにも渡って続いていた。

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