第15話 テンシちゃん
「南さん、それ片づけたら休憩入っちゃってー」
客足が遠のき始めた午後二時、店長にそう言われて、テーブルのコップやらを片づけると休憩室に入ろうとした。
「あ、これサンドイッチ作ったから、よかったら食べて」
そう引き止められて、店長からお皿を受け取る。
「やった、ありがとうございます」
店長の作る料理はどれもおいしい。サンドイッチがのった皿を持って、休憩室に入った。皿をテーブルの上に置き、ロッカーの中からスマホを取り出す。パイプ椅子に腰かけると、スマホを片手にサンドイッチを頬張った。
普段から休憩中は配信サイトや動画サイトで何か見ながら食事をしている。今日は何を見ようかな、と画面をスクロールしていると、テンシちゃんというワードが目に留まった。
VTuberの「テンシちゃん」。二年ほど前に活動していたVTuberで、私がVTuberを始めるきっかけになった女の子だ。
その名前の通り、天使という設定で、ピンク色の長い髪と大きな羽が特徴のキャラクターデザインに惹かれて見始めた。彼女は今では珍しい最初から3DモデルのVTuberで、しかも動画勢だった。五分程度の動画で彼女が楽しそうに画面内を歩き回るのが可愛くて、一時私は彼女の配信をずっと見ていた。
「……久しぶりに見たな」
テンシちゃんは、もうずいぶん前に引退している。動画でも、時々やる配信でも何か問題があるようには感じなかったのに、ある日突然SNSで「本日で引退します」と書かれた画像を投稿し、消えてしまった。
その画像内の文章には今まで楽しかった、とか、私がやりたいことは全部やった、など前向きなことが書かれていたけれど、その頃の私は上手に送り出せず、ただただ泣いていた。つらくなるから、彼女の動画はそれ以来ほとんど見ていない。
久しぶりにおすすめに現れたその動画をタップする。二百万回以上再生されているその動画は、テンシちゃんがただ真っ白い背景の中を歩きながら雑談をするだけというなんとも他愛のない内容だった。
「それ、一時千尋さんがずっと見てたやつじゃないですか」
動画を見ている間に、休憩室には柳くんが入ってきていたらしい。突然後ろから声をかけられて、危うく左手に持っていたサンドイッチを落とすところだった。
「あ、すみません。びっくりさせましたか」
「いや、ううん、大丈夫。柳くんも休憩?」
はい、と頷いて、柳くんは私の向かい側に腰かける。柳くんのまかないはカルボナーラだった。
「千尋さんすごいハマってましたよね。テンシちゃん、でしたっけ?すごいおすすめしてくるから俺も見てましたよ」
柳くんは笑いながら、カルボナーラを口に入れた。それを見ながら私は苦笑いをする。あの頃は本当にテンシちゃんに夢中で、ひたすら周りの人に彼女を勧めていた。
「ここでバイト始めたときは千尋さんのことオタクだと思ってなかったなあ。まあ、別に気持ち悪いオタクって感じじゃないんで、気にならないですけど」
「いや、別にオタクってわけじゃないよ……」
私はオタクじゃない。今までの人生でアニメや漫画にはまったことはないし、二次元にも興味がなかった。それに、テンシちゃんに出会うまでVTuberという存在すら知らなかった。テンシちゃんがたまたま動画サイトのおすすめに出てきて、見てみたら彼女の明るくて可愛いところにあっという間にハマってしまったというだけだ。後にも先にも、こんなに好きになったのは彼女だけだと思う。
「そういえば、めっきりテンシちゃんの話しなくなりましたね。飽きちゃったんですか?」
「いや……えーっと、引退した、って言ったらわかるかな」
VTuberをあまり知らない人に引退と言って通じるだろうかと心配だったが、柳くんは怪訝そうな顔すらせず、ふーん、とつぶやいてまたカルボナーラを口に運んだ。
「なんかアイドルみたいですね」
「……うん、そうだね」
確かに、VTuberはアイドルのようなものだと思う。リスナーのために頑張って、リスナーを喜ばせるためにいろんなことをやって、そして人気になるのが目標。
時々思う、アイドルや私たちVTuberの行く果てはどこなのだろうと。人気になりたくないわけじゃないけれど、人気になってどうすればいいんだろう。人気になって、みんなに見てもらって、それから?
もしかしたらテンシちゃんもこんな風に悩んでいたのだろうか。そう考えたりもするけれど、もう彼女の気持ちなんて一生わからない。
「千尋さん?大丈夫ですか?」
「えっ、ああ、うん、大丈夫。休憩終わっちゃうから戻るね」
空になったお皿を持って立ち上がる。さっきまで見ていたスマホをロッカーに放り込むと、店内に戻った。
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