第23話 Last Episode

 家の前に着くと、先程は聞こえなかった怒声が聞こえて来た。


「何度も言わせんな!」


 紀子は、ビクッとして肩をすくめた。あの父親の声だ。


「早く上に行け!」


 紀子は、インターホンを押そうか悩んだが、それではさっきと同じことなので恐る恐る門を入った。不法侵入だ。と頭を過ぎったが、美奈が心配でそれどころでは無かった。


 家はぐるりと塀で囲まれていて庭には雑草や木があらぬ方向に生えている。


 居間の明かりが付いているので紀子は音を立てないようにこっそりと窓に近付いた。窓が開いていて網戸になっていたので声が丸聞こえになっていたらしい。こっそり中を見ると横になって声を殺すように泣く美奈の頭を父親が掴んで床に叩きつけていた。紀子は息を呑んだ。


「あんな、園に行きやがって。もう二度と行くな!」

「……はい……」

「声が小さい!」

「……わかりました……」

「言うこと聞かなきゃ殺してやるからな!」


 紀子はその言葉に固まった。


「やめて! 痛い!」

「痛い!」


 父親は何度も美奈の頬を張って最後に拳で殴りつけていた。


「躾だ!」


 もう一度美奈の頬を張ると美奈はぐったりと床に倒れた。


「お前はいい子にしてればいいんだ! 早く上に行け!」


 紀子はスマホを取り出し警察に通報しようとしたが父親がドタドタと階段を上がって行くのを見た瞬間紀子は窓を開けた。


「美奈ちゃん!」


 小声で美奈を呼ぶ。


「……え?」


 紀子は靴のまま居間に上がると美奈の怪我を確認した。かなり打たれたようで頬が腫れている。美奈は紀子が一瞬誰かわからなかったようだが、紀子の服を握りしめた。


「……助けて……」

「外に出ましょう」


 紀子は美奈の肩を担いで外へと歩き出した。


「美奈!」


 父親の声が2階から響きドカドカと階段を降りてくる音が響く。紀子はギョッとした。


「急いで!」


 美奈は歩くのがやっとで足が震えだし泣き出してしまった。


「何してるんだっ!」


 振り返ると父親が顔を真っ赤にして立っている。


「出ていけっ!」


 大声で怒鳴ると同時に紀子は突き飛ばされていた。窓ガラスを突き破り外に飛び出した。


「痛っ……!」


 受け身も取れずに庭に倒れ込む。鋭い痛みが走った。ガラスで切れてしまい腕や頭から出血している。


「お前! 不法侵入だぞ! ガラスも弁償してもらうからな。」


 幸いガラスは体には刺さっていなかったが額をパックリと切っていた。


「美奈ちゃんと園に帰ります」


 自分でも驚くほどハッキリと、告げていた。


「は? 美奈は俺の子だ!」

「父親はこんなことしない!」


 そう叫んだ瞬間、父親が外に飛び出してきて紀子に殴りかかった。


「死にてぇのか?!」

「お父さんやめて!」 


 美奈が大声で叫ぶ。


「誰か!助けて!警察に通報して下さい!」


 紀子は父親に組み敷かれて殴られながらもなんとか逃げようと抵抗した。何かないかとポケットに手を入れた瞬間。


(あれ?)


 ポケットに何かが入っている。

 紀子はそれを手にすると思い切り突き立てた。


 一瞬、間が開いた。


「ぎゃぁぁぁぁぁっっ!」


 意識が朦朧としながら目を開けると、黒い色鉛筆が父親の目に突き刺さっていた。美奈が外に出ると紀子を助け起こしてくれた。二人ともとても歩ける状態ではなかったが、必死に外に出ると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。 

 

*****


 たんぽぽ園に紀子が復帰すると園長が涙ながらに出迎えてくれた。父親はすぐに救急車で搬送されたので視力は回復し、紀子は正当防衛が認められ事なきを得た。美奈はすぐに退院できたが、精神的に疲れていたので暫く学校を休んでいた。


「美奈ちゃん? 入っても良いかな?」

「どうぞ」


 美奈は須藤を見ると泣き出しそうな顔をした。


「須藤さん……もう辞めちゃうと思ってた……私のせいで……ごめんなさい……」

「美奈ちゃん、あなたは何も悪くないでしょ?」


 泣き出した美奈の隣に須藤は座った。


「あのね、須藤さん……お父さんは義理の父なんです」


(やっぱり……)


 須藤は黙って話を聞いた。


「……お母さんは死んでも私のこと恨んでるんです……。お母さんはあんなお父さんをすごくすごく愛してたから」


「えっ?」


 意味がわからず紀子は美奈を見つめたが美奈はそれ以上は話さなかった。美奈の隣に画用紙が置いてあるのが目に止まった。 


「そうだ、約束していた鉛筆持ってきたわよ」


 須藤はファーバーカステルの色鉛筆を取り出した。

 美奈はそれを見て目を丸くした。


「それ! お母さんが同じもの持ってました。」

「え? 同じもの持ってたの?」

「はい。家のはもう処分したと思うけど……。よく薔薇を描いてました」


 美奈は嬉しそうに笑ったが須藤はその言葉にゾワッとした。


「須藤さん、良かったら今から一緒に絵を描きませんか?」


「え……えぇ、もちろん」


 須藤は黒の入っていない色鉛筆の蓋を開けた。


「嬉しい。今日から黒以外の薔薇が描けるわ」



*****


 久間はお店をオープンする前に棚を磨きながら鉛筆のあった場所を見た。そこにはまだ新しい商品は置いていない。


「黒薔薇で永遠に娘を恨み続けるつもりか?」


 久間はポツリと呟いた。


「お前が恨むべきは、娘じゃなくて父親だろう」




                了

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