由佳の部屋

 それから数日してから、お願いして由佳の部屋を訪ねさせてもらった。ちょっと渋られたけどOKもらって部屋に入って驚いた。片付いているというより何にもないんだよ。


 そりゃ、商売用の衣装とかはあるけど、日用品が必要最小限しかなくて、テレビやビデオさえ置いてないのに驚いた。食器だって本当に一人分しかなく、ベッドさえ見当たらない。もちろんソファなんてなく床に座布団だった。


「外で食べることが多くて、ここは寝てるだけだから・・・」


 そう言うけど、食器だってたぶん百均じゃないかってぐらいのものだし、テーブルだって折り畳み式のホームセンターで買ってきたような見るからに安物。その代わりにどこもピカピカに掃除されてた。


「休みの日に他にやることないし」


 見せてもらったけど普段着の数もほんの数着だけ。お水ってそんなに儲からないのかと思ったけど、由佳は店の売れっ子で良さそう。


「あははは、ケチくさいよね。でもこれだけあれば暮らすのに不自由しないし」


 そりゃ、そうだけど、女の部屋だよ。恵梨香の部屋も女の子らしくないと言われたこともあるけど、由佳の部屋なんて殺風景としか言いようがないのよね。そうそう、由佳はお水やってるけど、愛想は良くとも男に媚びる感じがゼロじゃないぐらいかと思うぐらいないのよ。


 もちろん店では違うのだろうけど、恵梨香が見てるのは素顔の由佳だもの。素直に思った疑問は、由佳は何を楽しみに生きてるんだろうって。別に贅沢したいって思わなくたって、小物に凝るのは女の趣味の一つだもの。


 服だってそうだし、バッグとか、アクセサリーとかもそう。靴もだよ。もちろん由佳も持ってるけど、全部商売用。必要経費で落ちるそうだけど、普段は手も付けないとしか見えないもの。


 それと由佳の部屋を訪れたのは恵梨香が初めてみたい。そりゃ、男でも訪ねてくるのなら少しは飾り立てるよ。来る可能性があるだけでもそうするはず。男友だちどころか、女友だちも殆どいないみたい。


 それと由佳はグラマーで、綺麗で、愛嬌もあるけど、表情に翳がある。翳があると言うか人生を諦めてる感じがしてならないの。ただ食べて、寝て、人知れず暮らしているとしか思えないのよ。


「趣味とかは」

「別にないけど」


 切り出しにくいけど恵梨香が確認したいのはあいつへの由佳の本気度。気があるのは聞いたし、再会してるのも聞いた。知りたいのはこれからどうしたいか。


「男は」

「懲りた」

「でも初恋の人のことを思ってるのでしょ」


 由佳の表情が本当に寂しげになり、


「こういう商売って、女のプライドを切り売りしてるのよ。それで稼げるけど、失う物も多いってこと。前の時に夢って言ったけど、もう失った夢なのよ」


 心の中で『やったぁ』と思ったけど、由佳の寂しげな表情の前では素直に喜べない気分。そりゃ、水商売してるのが負い目になるのはわからないでもないけど、あいつがそこまで気にするかは疑問だよ。


 まあ、あいつだってお水の女をわざわざ選ぶ気はないかもしれないけど、由佳はあいつにとって特別の女。初恋でこそないものの、初恋人じゃない。初恋の智子並みに美化しきってる存在なんだよ。


 あいつの事だから、逆に水商売で苦労している由佳を救ってやろうの同情心が出ても不思議ないぐらい。由佳はそうさせるだけの若さと美貌と魅力は悔しいけどあるものね。由佳が負い目を感じて引き下がってくれたら万々歳とはいえ、どうにもすっきりしない気分。


「離婚した理由は色々あるだろうけど、もし再婚するなら、今度こそ幸せになって欲しいじゃない。それを邪魔しちゃいけないものね」


 ああ、もう見てられないほど寂しそうな顔。好きなんだ、あきらめられるような相手じゃないんだ。好きならばチャレンジ・・・して欲しくないけど。


「そんなにこだわる人なのですか?」

「どうかな。ずっと会ってなかったからね。でも、昔と変わってない気がした。ここまで落ちてるのに、わざわざ会いに来てくれて、今でも友だちだって言ってくれたもの。でもね、汚れすぎちゃった」


 恵梨香はピンと来た。由佳はラウンジ嬢だけど、もっとディープな仕事をやっていた時期があったはず。それも単に遊ぶカネ欲しさじゃない。それは今の暮らしぶりを見るだけでわかるもの。


 やむにやまれぬ事情で手を染めたに違いない。由佳は高卒のはずだから、なにかで大きな借金とか背負わされたら、女ならそこに勤めざるを得ないと言うか、勤めさせれたんだよきっと。由佳がもう泣き顔になってるよ。


「嬉しかったな。こんなに汚れてるのに、やった事に胸張って良いと言ってくれたし、心だけじゃなく体も・・・」


 由佳は目を真っ赤にて、嗚咽しながら、


「・・・・・・綺麗って言ってくれた」


 あいつらしいと言うか、あいつならそう言うはず。それが恵梨香が惚れたあいつなんだ。そりゃ、嫉妬はバリバリあるけど、こうなった由佳を見下すようなら、こっちからお払い箱だ。


「でも会いたかったな。今の彼女。きっと素晴らしい人だと思うものね」


 これも、あれからずっと気になってたんだけど、消去法で恵梨香しかいないのよ。もう我慢できない。どうなってもイイ、きっと後悔するけど、そうするのも恵梨香なんだ。


「西村由佳さんですよね」

「えっ」


 そりゃ驚くよね。


「由佳さんの初恋の話は神保さんから聞いているのです。それと、どれだけ由佳さんが素敵な人だったかも」


 由佳は恵梨香をしげしげと見直して、


「なるほど。そういうことなのね。康太にお似合いだと思うよ。恵梨香さんならきっと康太を幸せにしてくれる」


 どうして退いちゃうの。どう見たって由佳さんの方が、


「康太は内面重視と言ってたわ。この歳になれば、そうなる方が自然だし、そうならないのは相手にする必要もないの。だから恵梨香さんが選ばれたのよ。さすがは康太だわ」


 それほどでも・・・って喜んでる場合じゃないか、


「せめて由佳のお友だちでいてね。康太から候補がいるって聞いたときに、ひょっとして勝てるかと思ったりしちゃったけど、恵梨香さんが本命なら思い残すこともないわ」


 数日後にマンションの郵便受けに一通の手紙が入っていた。由佳からだった。手紙には神戸も厭たから気分転換するってだけ書いてあった。恵梨香は急いで由佳の部屋に行ったけど、もう引っ越した後だった。


 恵梨香はひたすら悲しかったよ。恵梨香は由佳ならば、あいつの先攻権を譲っても良いとまで思ってた。それぐらい女にとって辛い生活を送っていた時期があったとしか思えなかったもの。あれは体を売るところまで行ってたはずだよ。


 それだったら、由佳の最後の夢ぐらい叶えてあげてもイイじゃない。あいつを奪われるのは耐え難いけど、あいつが本当に恵梨香を選んでくれていたら、由佳が先にチャレンジしても恵梨香のところに来てくれるはず。


 それに由佳ならたとえ奪われても、なんとかあきらめが付きそうだったのよ。それが、それが、どこかに去って行っちゃうなんて。これは由佳が恵梨香に勝てないと思ったからじゃないと思う。


 むしろ恵梨香からあいつを奪ってしまうのを怖れたからの気がしてる。由佳はあいつに本当に相応しいのは恵梨香で、自分が下手に同情されて選ばれてしまうのを避けた気さえしてる。


 結果としては恵梨香にとって良かったけど、これが正解なのか恵梨香にはわからないよ。むしろ由佳の方があいつに良かったとしか思えないもの。由佳がこれまで苦労したことは、きっと活かされて、あいつを幸せにしそうだもの。


 どうして人生って、こんなに不条理なのよ。苦労は報われないの。一度穢れた女は永久に烙印を押されて、浮かび上がってはいけないの。アレやるって、恋人とか、旦那なら清潔で、生きるためにカネでやったら不潔で穢れてしまうっていうのかよ。


 恵梨香だって不倫やってるんだよ。そこでビッチにされちゃってるんだよ。お世辞にも綺麗な体とは言えないじゃない。売春が不潔で、不倫が清潔とは言えないだろうが。


 そりゃ、売春は胸張って威張れることじゃないけど、だったらさ、それを買った男どもはどうなんだ。そいつらにどうして穢れた男の烙印が押されないんだよ。だいたいだよ、買う男がいるから、買われる女がいるんじゃないか。


 買う方の男はお清潔のままで、買われる方の女は穢れた公衆便所ってどうなのよ。やったらどっちだって穢れるのが男女平等だろ。男が穢れないのなら、女だって清潔じゃなくちゃおかしいだろ。


 由佳こそ、ここで退いたらダメなんだよ。そこまで女の辛酸を舐め尽くしたからこそ、幸せをつかむべきだよ。恵梨香みたいな、なんちゃって不幸女と桁が違うのだから。それなのに、どうして、どうして・・・手紙を握りしめ呆然と立ち尽くす恵梨香がいた。

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