悔し酒

 手際よく修の奥さんがあれこれ準備してくれて、


「うちの主人は神保さんが来るのを楽しみにされてたのですよ。今日だって絶対に泊ってもらうから準備しとけってね。だからゆっくりして下さいね」


 まずはビールで乾杯して、


「永遠のリサリサにカンパイ」


 人が幸せになるって、こんなに難しいのかな。リサリサだったらいくらでも幸せな道を選べたろうに、なんと言う末路だよ。まあ他人の事は言えないけど、


「修はたいしたもんやと思うわ。あんなエエ奥さんもうて、立派な社長さんやもんな」

「社長はオマケやけど、エエ奥さんや。オレにはもったいなさすぎるわ」


 もしリサリサが修を選んでいたらどうだったろう。修ならリサリサを愛し抜いてたはず。その代わり社長にはなれないか。修は今の奥さんを選んだから今があるよな。人生の岐路は男と女の組み合わせが大きいよ。


「こればっかりは組み合わされてみんとわからんよな」

「そりゃ、組み合わされる時は絶対の正解と確信してるんやし」


 リサリサだって最初の失恋が平凡だったら運命が変わったはず。でもハズレを引くのも運命か、


「リサリサはそういう運命だったとしか言いようがあらへんのが悲しいわ。今の男の前に一本も当たりクジがなかったとしか言いようがあらへんやんか」


 当たりクジってそんなに少ないのかな。そうじゃなく、当たりクジに変える努力も加味されると思うけど、これはボクが言っても説得力ないよな。ボクの当たりクジってあったのだろうか。


 たとえば別れた奥さんを許していたらはあるけど、あれは無理だ。あの二時間の嬌声と絶叫を忘れるのは不可能だよ。あれはあまりにも衝撃的過ぎた。となるとだけど、あんまりないな。


「上村さんがいるやんか」

「今さらか? 未亡人やぞ」

「今さらでもや」


 智子は惚れてた、愛していた。でも、どうしてもあの最後の距離を縮められなかった。あれもまた運命の気がしてる。もっとも、高校卒業からが長すぎるから、どっちみち、智子とは無理だった。


 それは由佳にも言える。由佳にも夢中だった。智子が居ても由佳には夢中になったもの。それでも長すぎたよ。智子にも由佳にも出会うのが早すぎた気がしてる。もっとも二人とも結婚は早いから、どう組み合わせたって縁がなかったとしか言えないもの。


 それにしても美由紀に聞いた由佳の人生は壮絶だった。美由紀も全部は聞いてなさそうだし、ボクにどれだけ話したかも不明だけど、人として、とくに女として辛酸を舐め尽くしてるよ。


 それでも由佳はリサリサよりは幸せかもな。そんなことを言ったら由佳にぶん殴られるだろうけど、立ち直れてるもの。今からだって、これまでの代償を払ってもらえるチャンスがありそうだじゃないか。いや払ってもらわないと由佳の人生が悲しすぎるよ。


「ところでおるんか」

「なにがや」

「意中の人や」


 その前に再婚するかも決めてないけど、あっちが乗り気やないのよね。こればっかりは、向こうの好みだからな。でも、一緒に暮らしたら楽しそうな気がしてる。なにかそんな予感がする不思議な女だよ。


 修が見たら評価は低いかもしれないけど、心が綺麗な気がする。それも無垢の綺麗さというより、洗いざらしの綺麗さと言えば良いかもな。そうだな、たとえ汚れても洗濯したら元通りの芯の強さを感じてる。もっともだけど、だから正解かどうかもわからないのが男と女の組み合わせの織り成す運命かもな。


「やっぱり人の飽くなき欲望やろな」

「まあな。そこまで言わんでも、隣の芝生は青く見えるぐらいやろ」


 どんな男女の組み合わせでも不満は出ると思うけど、それをトータルで満足と思うか、その不満を重く見てしまうかの差かもな。別れた嫁やったら、寂しいが絶対的な不満になり、それを満たす行為が正当化されたのだと思う。


「外から見たら康太の奥さんやし、医者の奥さんやから、不満を言う方がおかしいと思われるやろけど、本人の価値観と、それ以外のメリットに目を向けられるかの差かな」

「修もなかなか言うな」


 それを考えると無理して再婚しなくてもの思いもあるんだよな。もう一度、あれを繰り返すより一人でいるのも気楽だし。


「最後は康太の意志やけど、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶとも言うやろ。最初の失敗を活かす選択をするのも人生やで」

「さすが社長やな。朝礼のために勉強しとるんか。ただ使い方を間違ってるで」


 このまま独りでいるのも寂しい気はどこかにあるもの確かなんだよな。結局、子どももいなくなったようなものだし、老後まではまだ言わないが、一人暮らしも侘しいと言えば侘しいし。


「康太、リサリサが現れてときめいたやろ」

「当たり前やろ。夢かと思たわ」


 離婚の代償と言うより人生の御褒美かと思ったもの。だってだよ、あのリサリサと二人っきりでご飯食べて、酒飲んでなんて、ボクの人生にあり得ないものな。それが実現した時間は、事情はどうあれ忘れられない時間だよ。


「迫られんかったか」

「実はあった」

「行ったんか」


 あの時ほど心が揺らいだことはなかったもの。夢なら醒めるなと思ったよ。でも断った。あれで良かったよな。すると修は遠くを見る目をして、


「抱いてやったら良かったかもな」

「エエことないで」

「実はな・・・」


 おいおいホンマかいな。リサリサがボクに気があったなんて、それだけはないだろう。リサリサなら誰でも選べたし。それにあの時に抱いたりしたら、もっと話がややこしくなるじゃないか。


「それはそうやけど、リサリサは最後の救いを康太に求め取った気がするんや。なんちゅうてもリサリサの初恋の相手やし」

「冗談は顔だけにしてくれ」

「いや、ホンマや。リサリサから聞いたんや」


 リサリサとは二年が同じクラスだったけど、そう言われてみればよく話をした気がする。でもあの頃のリサリサは修の仲間ともよく話をしていたし、とくにボクだけって感じもなかったけど。


「康太には上村さんがおったからな。リサリサはそれが終わってくれるのを待ってたわ。さすがに上村さんとの仲を壊してまでってな」

「ちょっと待て、二年の時にそう見られ取ったんか」


 修に笑われた。そんなもの一年からだって。誰も手を出せない公認カップルになってたって言うけど、


「ボクは言うたことないで」

「リサリサが上村さんに直接聞いたんや。そしたら認めたんよ」


 えっ、そっちの方がもっと意外。智子がそこまで言ってたなんて。そこまではっきり言われたらリサリサもあきらめそうなものだけど、


「リサリサに彼氏はおらへんかったんよ。リサリサやから言い寄る男は多かったけど、いっつもこう言うとったらしい、


『好きな人がいるからゴメンナサイ』


 どんな男に言い寄られても、ひたすら康太を待ってたんや。そりゃ、康太でもリサリサを救うのは無理やが、最後にあの頃の夢を叶えてやっても良かったかもってな」


 ボクのまったく知らなかった世界だ。見ようによっては、ボクは誰も幸せにしてないどころか、みんな不幸にしてるんじゃないか。由佳も、智子も、リサリサも、別れた嫁も。リサリサだって、あの時にボクと付き合っていたら、こんな事にはならかったかもしれない。


「それは考えすぎや。康太は医学部行ってもたから、やっぱり待つのは長いで。とくにあの頃やったらな」

「そやったな。それだけやのうて、カップルになっても続かへんのも多かったし」

「リサリサが待ってたのもそこやねん。一年も続くかいなと思とったんちゃうか」


 高校時代にも公認とされたカップルもいたけど、長く続いたのは少ないものな。早かったら三か月もたなかったし。卒業まで続いて結婚したのもいるけど、片手もいなかった気がするし。


「あの時に康太がリサリサと付き合ってても、大学行ったら終わってたで。そんなもんやで。そやからリサリサが大学で最初に付き合った彼氏を奪われてのストーリーは変わらへんと思うわ」

「リサリサの運命と言うんか。それやったら修が浪人せずに入学しとったら・・・・・・」

「言うな。オレがおったからってリサリサを守れるか」


 修は大きなため息を吐きながら、


「大きな運命の歯車の中では、オレや康太がいくら頑張っても手の届かへんもんは、いっぱいあるわ。それでもな、出来ることを精いっぱいやるのが人生ちゃうか。リサリサはオレらが救えん世界に行ってもた。そやから・・・」


 修の目から涙が、


「オレはたとえリサリサがどんな姿になろうとも・・・友だちや」

「ボクもや」


 修と二人で楽しかった頃、輝いていた頃のリサリサの思い出を、いつ果てるなく語り合い、ひたすら悔し酒を酌み交わす夜になったよ。なんか修と二人でリサリサの通夜をやった気分だった。

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