第30話「セラの欲しいもの」
生まれてこの方、セラはお金を持ったことがない。
人里離れた山奥の猟師の娘として育ったせいもあって、お金を払って物を買うという習慣がそもそもなかった。
収穫祭の頑張りでお小遣いをもらい、今またジローに「欲しいものがあったら買ってやる」と言われたものの、いまいちぴんと来ないのはそのためだ。
「うーん……」
どうやって使うのだろう、どんなものを買えばいいのだろう。
途方に暮れたセラは、みんなの様子を観察することにした。
「うーん……」
シスターたちは黄色い声を上げている。
お目当ての品を見つけては手に取り指差し、販売員と値引き交渉をしていく。
商談がまとまれば購入だ。
戦利品を山と抱えたシスターたちが広場のあちこちに陣取り、褒め合いうらやましがりの大騒ぎが始まった。
「うーん……」
なるほどと思った。
お金というのはああやって使い、楽しむものなのかと。
しかしじゃあ、実際に自分で使ってみようという気にはなれなかった。
取り立てて欲しい物が、セラにはなかったからだ。
「うー……」
「何をまたうーうー言ってるのよ」
後ろ手に手を組んでぽてぽてと足踏みしているところへ、フレデリカが話しかけてきた。
「あら、何も買ってないの? なんで?」
そう言うフレデリカ自身は、今さっき買ったところなのだろう灰色のケープを身につけている。
首元の毛皮がもこもこしていて、実に暖かそうだ。
「お金、持ってないわけじゃないんでしょ? 単純にまだ見てないだけ?」
「うー……」
「ああもう、わけわかんないコね。ほら、うだうだしてないで見に行くわよ」
フレデリカに手を引かれ、セラは馬車を順番に見て回った。
キラキラ豪華な装飾品や貴金属、すべすべ滑らかな衣服に珍しい工芸品、異国情緒溢れる雑貨や本の
それぞれは凄いし、たいしたものだなあと感心はするものの、セラの心はそれほど浮き立たなかった。
「ほら、ね? ランペール商隊の扱う品の質の良さは王都でも有名なんだから。こんな機会、なかなかないんだから。……あ、これなんかいいんじゃないの?」
「おー……」
帽子をかぶらせられたり、コートを着せられたり──
「あら、これもなかなかいいじゃない」
「おおー……」
靴を履かされたり、ハンドバッグを持たされたり──
「ほら似合う。あなたもともと素材はいいんだから、もっとおしゃれしなさいな」
「おおおー……」
フレデリカに着せ替え人形にされているところに、それぞれの戦利品を携えたマリオンとルイーズがやって来た。
「あら、どうなさったのフレデリカ様?」
「まあ、なんだか楽しそうなことをしてらっしゃいますわね」
3人はきゃっきゃとセラに服を着せて楽しんだ。
やがて誕生したのは──
大きなつば付きの赤い帽子に黒いリボンのついた赤いコート、フリル多めの赤いシャツと黒いスカート、足元は黒い革靴と白いソックスというゴスロリチックな衣装に身を固めた美少女であった。
「あら、素敵じゃない」
「ホントホント」
「さすがはフレデリカ様のお見立てね」
思ったよりも遥かに高い完成度に、3人は「きゃーっ」と声を上げ大興奮。
「早くジローに見せないとだわ」
「そうよ、それがいい」
「あ、あそこにいましたわよっ」
「えっと……その、今ジローは……」
3人に背中を押されたセラは、転げるようにしてジローの前に出た。
「わっとっと……」
「どうした、大丈夫か? ええと、どこのお嬢さんで……っておまえ、まさかセラか?」
ヴェルナー商隊長と一緒に行動していたジローは、突然目の前に現れた美少女の正体に一瞬気がつかなかった。
それがセラであることに遅れて気がつくと、目を丸くして驚いた。
「はあー……ずいぶんとめかし込んだもんだな。フレデリカたちにしてもらったのか?」
「……うん。そうなの……」
今まで年頃の女の子らしいおしゃれを一切してこなかったセラは、いつもとは違うジローの視線がこそばゆくて、ひたすらもじもじとした。
「いいんじゃないか? 可愛くなってるよ」
「…………うん。そうなの…………」
恥ずかしさのあまり帽子を目深にかぶって顔を隠すと、フレデリカたち3人が「きゃーっ」と歓声を上げるのが聞こえた。
「……あのね? ジロー」
「うん、それいいな。約束通り買ってやるから、包んでもらいな」
「ジロー、聞いて? セラはね?」
「……っと、商隊長を待たせてるんだった。話はあとで聞くからさ。悪いな、セラ」
すまなそうな顔で謝ると、ジローはそそくさとランペール商隊長のところに戻って行く。
「あ……」
ジローを捕まえようとしたセラの手は、むなしく空を切った。
「セラはね……ジローと一緒に……」
伝えられなかった言葉を噛みしめるようにして立っていると、3人がすごい勢いで駆け寄って来た。
「やったじゃない、褒められたんでしょ?」
「今、買ってくれるって言ってなかった? すごい、ずるーいっ」
マリオンとルイーズが称賛と羨望の言葉を口にする中……。
「……どうしたの? 何かあった?」
フレデリカだけが、セラの変化に気づいた。
「何かジローに言われたの?」
「ううん」
セラはかぶりを振った。
「その服、気に入らなかった?」
「ううん、違うの」
再度かぶりを振ると、セラは帽子を脱いだ。
「帽子とかコートとか、シャツとかスカートとか、靴とか靴下とか。全部すごいなあと思うの。ちゃんとしてて、綺麗ですごいなって。けど違うの。セラが欲しいのはこれじゃないの。セラはね? 今わかったの」
そう言うと、セラは先ほど見て回っていた馬車のうちの一台に向かって歩いて行く。
貴金属に衣装、装飾品に雑貨、そういった女子向けの馬車ではない。
その馬車に積載されていたのは……。
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