第32話 2021年6月20日(日) 弔問と父の日
6月20日は今年の6月の第3日曜日にあたる。
世間一般には父の日だ。
前日の夜に実家に戻っていた私は、午前中にちょうど一週間前に亡くなった母の親戚の家を訪ねることにした。
故人の葬儀には参加できなかったが、やはり早いうちに線香ぐらいは上げておきたかった。
とは言え私一人では向こうの親族との会話を持たす自信があまりないため、母と一緒に向かうことにした。
あらかじめ先方には向かうことを伝えておいたので、快く迎えてくれた。
母と共に仏間に入り、祭壇にある蝋燭の火を線香に移す。
祭壇の遺影のすぐ下に、葬儀の後のなので当然のことだが、骨箱が置かれていた。
写真での故人の表情は穏やかに微笑んでいたが、白髪の様子からここ1年以内に撮影されたようだった。
私が最後に会った時には、まだ写真ほど白髪は多くなかったからだ。
祭壇には遺影や花、お供え物の他に目を引くものがあった。
縁が真っ白に加工されたタブレットである。
タブレットは本体と同様に白く加工された専用の充電台に固定されていた。
タブレットでは画像がスライドショーとして表示されていた。
画像の内容は、故人の写真だった。
見慣れない場所で撮影された写真が多いことから、内容的には恐らく旅行やイベントで撮ってもらったデータだろう。
なるほど、最近では葬儀業者からはこんなサービスも提供されているのか。
確かにアルバム等を置いておかれても、実際にこの場で手に取るのは中々難しいところもあるが、この形式であれば画像を見ることは、心理的なハードルはアルバムよりも低い。
故人の家族から話しながら私はタブレットの画面を眺めていた。
家族と一緒に写っている写真が大半を占めていたことが印象的だった。
時折、タブレットに表示されている写真に話が及ぶこともあった。
故人の年齢が90近いせいもあってか、懐かしむことは合っても家族、今回の場合は妻と娘に当たる方からの悲しみはそれほど感じなかった。むしろ寂しさの方が強く感じられた。
そしてその時、心の片隅で私は故人にうらやましさを感じていた。
もちろん当人は末期の癌だったということもあり、自宅を中心とした闘病は並大抵のものではなく、私の想像を超えるほどの大変なものだっただろうことくらいは分かる。
だが、私の母も平均寿命以上に生きて欲しいし、子供や孫たちと日常やイベントの思い出を共有して残して欲しいし、肉親と最後まで一緒に過ごして欲しい。
亡くなった親戚はそれを全て満たして旅立ったのだ。
親戚の家に車で向かう途中、私はドラッグストアに立ち寄り、お供え物として故人の好きだったお菓子を購入した。
その時、店内では「父の日」コーナーが設けられており、そこで父の日用のプレゼント候補の商品が何種類も陳列されていた。
それを見て私は父の日であったことに気が付いた。
私の父は、私が二十歳になる前に母以外の女性を作り、家から出て行った。
自立する前の子供が3人もいるのにも関わらずの浮気してからの離婚だ。
ちょうど大学が夏休みに入る前の時期に、急遽実家に呼び出されて家族会議で打ち明けられたのだが、それが私が父と言葉を合し、顔を見た最後だった。
それ以来一度も連絡は取っていないし、顔を見てないし、会う気もない。
今でも私の家で父の話はタブー扱いであり、昔の話になっても話題に出ることもない。
父はその浮気相手と結婚したらしいが、その後のことは聞いてないし、私の人生に関わって欲しくないから聞く気もない。
仮に父が死んでも葬儀はおろか線香を上げに行くことさえないだろう。
亡くなった親戚は最後に妻が傍らについていたが、母が同じ状況になることは、私の父がもう戻ってくることはあり得ないし、私が絶対に許せないので絶対に起こらない。
だから、亡くなった親戚が羨ましい。
私は今後、いや、あの日から自分の人生の中で父の日に何かを「する」ということはあり得ない。
あり得るのは、私が父の立場になり、子供から何かされる側になることだ。
そして、それは納得のできる最期を迎えるためには必要不可欠なことだ。
しかし、今のままだとそれは達成できないことになってしまう。
だからこそ私は強く意識を持って行動をしなければならない。
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