第5話

 朝。

 ベッドの上で目を覚ました。


 生まれてから何千回と繰り返してきた儀式。

 それなのに、早く学校へいきたくてウズウズするような、非の打ち所がない目覚めだった。


 朝日のまぶしさに目を細める。

 映画の主人公みたいに。


 そうだ。

 昨日までのテツヤとは違う。


 恋人がいる。

 あの織部レイと今日こそ話せる。


 長いまつ毛に縁取ふちどられたら目元を思い出すだけで、テツヤの胸はドキドキして、レイの声が耳の奥からよみがえってくる。


「あら? もう出発しちゃうの? めずらしいわね」


 リビングのところで、カバンに弁当をつめていると、母親が起きてきた。


「ちょっと、野暮用やぼようがね。はい、これ。お母さんの弁当」

「いつもありがとう」


 母親は地元の銀行に勤めている。

 コストカットとかで、支店に置けるスタッフの人数を減らされたらしく、いつも夜遅くに帰ってくる。


 なにか助けになれば。

 そう思って毎朝弁当をつくっている。


 16歳の男子がつくる弁当だから、全然大したものじゃないけれども、職場ではけっこう自慢しているらしい。

 うちの息子、私なんかより器用なのよ、と。


「それじゃ、先にいくから。戸締りを忘れないようにね」

「は〜い、いってらっしゃ〜い」


 寝ぼけているのか、子どもみたいに甘えてきた。


「ちょっと、お母さん」

「テツヤ、亡くなったお父さんに似てきたわね」

「そんなことないよ。俺は俺で、お父さんはお父さんだよ」

「…………そうね」


 息子がいうのもアレだが……。

 母親は歳のわりに若く見られることがある。


 遺影の父が歳をとらない。

 その影響もあるだろう。


 今度こそ家を抜け出したテツヤは、ヘルメットを装着して、原付のエンジンをかけた。


 いつもの通学路を抜けていく。


 ありきたりな公園。

 昔ながらのガソリンスタンド。

 経営破綻してしまったボウリング場。


 オブジェの一つ一つが、いつもより何倍も色づいて見えた。


 教室に到着して、教科書とかを整理しているとき。

 普段はまったく話さない男子たちが寄ってきた。


「おっす、結城」

「昨日は寝られたのかよ?」

「織部さんとメッセージ交換したの?」

「そもそも、織部さんがOKしてくれた理由、何なんだよ?」


 一度にたくさん質問されると困るんだけどな。

 そう思ったテツヤだが、順番に答えていった。


 昨夜はよく寝られた。

 だから頭は冴えている。


 メッセージは交換していない。

 というより、まだ連絡先を知らない。


 OKしてくれた理由は……。

 むしろ、テツヤが知りたいくらい。


「なんだよ、普通だな」

「普通だなって……。むしろ、どんな俺を想像していたの?」

「肩で風を切って歩くような感じ。俺があの氷帝のカレシだぜ、みたいな」

「いつの時代のヤンキーだよ。しないよ、そんな自慢」


 アハハと笑い声が起こる。

 昨日まで浮いていたテツヤが、クラスメイトと談笑するなんて、これも氷帝に告白した恩恵というわけか。


「氷帝との惚気話のろけばなし、いつか聞かせてくれよな。みんな結城に期待しているんだ」

「あまりプレッシャーをかけるなよ」


 話が一段落したとき、廊下の方がざわざわした。


 レイだった。

 クラスの中をのぞいて、テツヤを見つけて、まっすぐ近づいてくる。


 歩く姿すら気品あふれる女王みたい。

 他の生徒たちが臣下のように道を開ける。


「おはよう、結城くん」

「うん、おはよう」

「なかなか素晴らしい朝ね。私たちが付き合って、はじめての朝日よ」

「そうだね。土砂降りの雨じゃなくてよかった。幸先さいさきのいいスタートだよ」


 ちょっと違和感がある。

 昨日のレイよりも声がいくらか硬い。

 テツヤを見下ろす視線に、優しさとは真逆のものが含まれている。


 ある意味、氷帝らしい淡白さ。

 だからこそ、引っかかるのだ。


 レイは何かをいいかけて、周りの視線を気にした。


「もしかして、私たち、目立っている?」

「もしかしなくても目立っているよ。彼らの興味の9割は織部さんなんだ」

「やだ……ごめんなさい」


 レイは本当に申し訳なさそうな顔をした。

 彼女の繊細せんさいさのようなものが発見できて、テツヤはバレないように笑った。


 けれども、楽しい時間はそこまでだった。


「これを渡すから」

「ん? 手紙?」

「一緒にお昼ご飯を食べましょう。いつもは何を食べているの?」

「俺は家から持ってきた弁当だけれども……」

「なら、メモの場所で待ち合わせね」


 レイは居心地が悪そうに鼻を鳴らしてから去っていく。


 ランチに誘われた?

 前向きに受け止めていいんだよな?

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