第45話 親と子

 竹永は正しく絶望していた。おそらくは防ごうとした刀ごと、竹永は一刀のもとに斬り下げられるだろう。下手をすると八文字に真っ二つにされるかもしれぬ。剣に全てを懸けた武芸者であるからこそ、自分が助からぬことが誰よりもよくわかってしまうのだった。

(――――生きたい)

 今まで竹永がもっとも恐れてきたのは死ではなく敗北だった。敗者となる屈辱が何より嫌だった。だからこそひたすら強さを目指し、そのために他人の命すらも犠牲にしてきた。

 しかし今の竹永は生きたいと願っている。

 情けない話だ。死を恐れる武芸者などなんの役に立つ。そんな腰抜けがいれば笑い飛ばして相手をする気にもならなかったであろう。その腰抜けに今は自分が成り下がっているのだが、腹を立てる気力もなかった。

 なにゆえにこれほど生きたいのか。歴戦の武士(もののふ)を相手に力の限り戦い、虚しく敗れることがあったとしても、それは誉れと呼ぶべきではないか。

 人生最後の戦いに、これほどの相手を迎えることができた、ともって瞑すべしではないのか。

 そこまで考えてはた、と竹永は気づく。

 ただ認めることができなかっただけで、強さを求めて路傍での死にも万金の価値を信じていた自分はもういないのだということを。

(そうか、もう終わっていたんだ)

 戦国という時代が終わり、武芸者の生きる時代もまた終わった。いや、変わった。日常から死という存在が遠くなってしまったことを、竹永の理性ではなく無意識がとうに受け入れていた。

(お師匠様…………)

 朧気ながら師宗矩が目指すものがわかったような気がした。死に場所を求める時代は終わり、もう二度と戻ってこない。

 たとえ醜くとも生きて生きて生き抜いた先を見たいと願ってしまう。そんな自分に竹永は気づいた。

 勝てるかどうか、できるかどうか、ではなく、ただ生きたいという意志が竹永を衝き動かしたのはそのときである。

 自ら倒れこむように背を逸らし、さらに相手に背中を向けるほど独楽のように回転しながら竹永は渾身の力で刀を振りぬいた。

 一生に一度できるかできないかほどの会心の一刀であった。不思議なのは、致命となる定俊の一撃がいつになってもこなかったことであるが、吹き矢の毒が回り始めた竹永はその理由を考え続けることができず、深い闇へと意識を飛ばした。


「――――定俊様!」

 ゆっくりと仰向けに倒れる定俊を見て、八郎は惑乱して飛び出した。

 自分を助けるために定俊が殺されてしまうなど、あってはならないことであった。どうして自分のような世捨て人の忍びのために、定俊のような大名格の貴人が命を落とさなくてはならないのか。答えの出ぬままに八郎は定俊の手当てをするべく酒と縫い糸を取り出した。

「措け、もう助からぬことはわかっておろうが」

「定俊様…………」

 定俊の言う通りであった。明らかに致命傷であり、こうして定俊が即死していないのが不思議なほどにその傷は深い。今さら手当てをしたところでなんの意味もないことは明らかであった。

「そんな顔をするな。俺は満足だ。武士として最後の戦いを楽しみ、こうして息子のために父の仕事まで果たせたのだからな」

「はあ?」

 八郎の反応はなんとも間抜けなものであった。言われた言葉の意味を本当に理解するまでに、さらに数秒の時間が必要であった。

「知っておられたのですか?」

 観念したような声でおりくが尋ねる。

「俺が愛する女の腹もわからぬ男と思うたか」

 おりくが頭領の代替わりで里帰りする以前から、おりくの体調の変調を定俊は承知していた。それを知りながらおりくの意志のままにさせていたところに、定俊の定俊たるゆえんがあると言えよう。

 わが子を見捨てたことに未練がなかったといえば嘘になる。しかし後悔だけはする気はなかった。

「すまんな八郎。俺もおりくもこの生き方以外はできなかった。言い訳をする気はない。ただこれだけは覚えておけ」

 血が流れすぎたことで定俊の血色はみるみるうちに青白くなっていった。それでも声には強い張りと意思の力があった。

「己の本性を貫けば、たとえ野垂れ死にでもその人生は美しい。しかし美しい死の花を咲かせる時代はもう終わりであろう。生ある者は醜くとも種を繋ぐために生きる。そんな時代になる」

 奇しくも定俊の言葉は角兵衛が方丈斎に語った言葉に似ていた。滅びゆく運命を受け入れた武士(もののふ)と忍びとしての立場が、互いに同じ結論に至らせたのかもしれない。

「季節外れのあだ花が咲くこともあるかもしれん。だが、お前が角兵衛殿から種を受け取ったのであれば、その種を繋ぐのもひとつの生き方であろう。まあ……お前の思うままに生きるのだ。後悔することのないようにな」

「はい」

 角兵衛を失い、今実の父である定俊も失おうとしている八郎は、まるで幼子のように素直に定俊の言葉に頷いた。

「――――我が子を捨てた情けなき父ではあるが、八郎よ。お前の成長と才を俺は誇りに思っているぞ」

 そこで定俊は疲れたように太いため息を吐いて、おりくのほうへと右手を伸ばした。その手を差し出されるのがわかっていたかのように、おりくは指を絡ませて固く握る。立ち上がることができないため、這うようにして定俊のすぐ傍まで移動していたのである。

「おりくよ。あの世では夫婦となるのを断るまいな?」

「あの世に忍びの生きる場所はございますまい」

 忍びでさえなければ断る理由はないと、おりくは笑う。

「そうか、武士(もののふ)も肩身が狭いかもしれぬな」

 衒いのない笑みを浮かべ、定俊は瞑目した。思うままに生きた。望みのままではないにしろ、生き方を貫き通せたことだけは胸を張って言えた。

「佳き人生であった」

 それが岡越後守定俊の最後の言葉となった。徹頭徹尾、武士(もののふ)として生きるために多くのものを捨て去ってきた。それを後悔しない潔さが、八郎にはうらやましくもあり、うらめしくもあった。

「……ひどい方、主が忍びより先に死んでしまうなんて」

 そう呟くおりくの顔はどこか晴れやかである。愛しい男に悔いのない人生を送らせた。そんな達成感が忍びとしては不名誉である最後に勝ったのだ。

「うらむなとは言いません。解れとも言いません。私は忍びであり続けるために母である自分を捨てました。それなのに女である自分は捨てきれなかった。忍びとしては未熟かもしれませんが、それが私です」

 忍びの子が物心つかぬうちに修行のため親の手を離れることは多くある。それは修行に親としての情が混じれば技が曇るからだ。

 しかし親子の関係を完全に断ち切ってしまうのはさすがに稀であった。甲賀では使い捨ての下忍の一部くらいなものであろう。

「ほ、本当に定俊様とおりく様が俺の親なのですか?」

 理性ではすでにわかっている。定俊が自らの命を投げ出し、八郎を助ける理由はそれしかないからだ。とはいえそれが受け入れられるかは別の問題であった。

「今の貴方の思いが答えです。たとえ血が繋がっていたとしても、貴方にとって本当の親とは角兵衛殿なのでしょう」

 八郎の技、八郎の性格、八郎の嗜好、その芯となる部分を形作ったのは角兵衛との日々であり、あの美しい日野の山で暮らした厳しくも穏やかな日々であった。もし自分が育てたら決してこうはならなかったことをおりくは承知していた。

「ただ、最後に言わせてもらえれば、八郎、お前に心に刃を隠し持つ忍びは似合わないわ」

 その点だけは角兵衛に感謝したいとおりくは思う。

 世捨て人として忍びであることを止めた角兵衛だからこそ、これほど八郎が伸びやかに健やかに育ってくれたに違いない。

 忍びは情を殺して刃を持つけれど、決して情を知らないわけではない。八郎が生きていてくれてうれしかった。本当はすぐにでも抱きしめて声をあげて泣き叫びたかった。そんな資格はないという思いと忍びの意地がおりくを思いとどまらせていた。

「――――定俊様、おりくも楽しゅうございました」

「あ―――」

 刹那、おりくが短刀で心臓を貫くのを、八郎は止めることができなかった。それどころか、おりくを一度も母と呼ぶことができなかった。いや、呼ぼうとしなかったことに八郎は呆然としていた。

 八郎の淡い母に対する思慕を知っていたからこそ、おりくはあえて八郎に多くの言葉を残そうとはしなかったのである。

「すまぬ、遅れた」

 重吉が沈鬱な声で現れた。もともと重吉の中条流は防御の剣であり、相手が隙を生むまで待ち続けるのが本道である。佐助という一流の伊賀組忍びが本気で死を決して戦っていることを考えれば、この時間で勝利した重吉の腕をむしろ褒めるべきであろう。だが、そんなことは仲間を死なせた重吉にとって何の慰めにもならなかった。

「みんな……いなくなってしまった」

 幼い日から八郎に肉親の情を与えてくれた角兵衛も、生き別れていた定俊とおりくという両親も死んでしまった。

 はたして自分はどう生きていけばいいのか。己の本性とは、後悔せぬ生とはなんなのか。聞きたくともその相手はもうこの世にいない。

「俺は……これから何をすれば……」

 仕えるべき主君もいない。守るべき家族もいない。愛すべき妻もいない。あるのはただ、角兵衛から伝えられた忍びの技があるのみだ。

 いつの間にか夕日が磐梯山の稜線に消えようとしている。夜の訪れとともにぞっとするほど冷たい風が山肌を舐めるように吹き下ろしていた。  

「その問いに答えるのは俺ではない――が」

 答えを他人に求めれば生きるのは楽であろう。アダミや藤右衛門の言葉に従って布教することだけを考えて居られたら、どんなに気持ちは穏やかでいられることか、と重吉は思う。

 しかし楽で穏やかな生と引き換えに、重吉は本当の望みに背を向け、己に嘘をついて生きていくことになる。

「俺はこれから寧波(ニンポー)へ行く。八郎も来るか?」

「よろしいのですか?」

「答えを出すのは一人でも、それを助けて悪いなんて思わないさ。俺だってアダミ殿と藤右衛門殿がいるから、胸を張って戦える」

「…………ありがとうございます」

 今の八郎には休息と時間が必要であった。角兵衛とたった二人で山で暮らした八郎には、まだこの世界がわかっていない。自分が何をするべきかなどわかろうはずがなかった。

 だがそんな八郎の、陰りこそあるものの、死線を潜り抜け一皮むけた漢の貌(かお)を見て重吉は確信する。

 角兵衛だけではなく、定俊もまた、八郎の心に種を残すことができたのだと。それはまぎれもなく、戦う男の顔であった。




 翌日、岡越後守定俊の死は病死として、家老町野秀和のもとへ届けられた。猪苗代城の領地は、紆余曲折の末、岡重政から他家に養子に出されていた甥の左衛門佐政俊が継ぐこととなった。

 定俊の遺言の通り、主君蒲生忠郷に三万両、忠知に三千両が献上され、借金は全て帳消しとして証文を焼き捨てた気前の良さに、定俊を知る者はさすがは越後守、武士の誉れを忘れず、と激賞したという。

 しかしこの散財は後継ぎとなった政俊の不興を買った。本来自分のものになるはずであった財産がなくなってしまったからである。そのため遺言を執行した林主計は政俊に疎まれ、寛永三年一月二十五日、横領の罪を着せられて斬首された。

 アダミと藤右衛門は、定俊の庇護を失ってからも、精力的に布教を続けたが、信者の一部は定俊の遺産から資金を手渡され津軽へと逃れた。そのうちの数人が、途上南部藩戸来村に土着したという。

 寛永二年にはキリシタンの受洗者は会津各地で数千を超え、金山(現会津金山町)においても三百数十名が受洗したと記録に残る。が、すぐに弾圧粛清の嵐が吹き、アダミと藤右衛門はともに寛永十年に殉教した。死に臨んだ二人の顔は、拷問を受けたとは思えぬほど穏やかで満ち足りていたという。

 間垣屋善兵衛は定俊の死後、堺を捨て、間垣屋の身代をアユタヤや澳門に移した。その後東南アジアの日本人町では有数の豪商となるが、間垣屋は山田長政の叛乱に巻き込まれ、店や手代ごと焼失してしまい、寛永二十七年以降は歴史からその姿を消した。



 そして寛永十五年二月二十六日――――

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