第40話 達介死す

 伊賀組の組頭である大善は火術を得意とする。特に火渡りと呼ばれる爆破術にその二つ名の由来となるほど熟達していた。それを定俊は知っていたわけではないが、戦国の武士は火薬の匂いにはひどく敏感である。たちまち地面に撒かれた火薬の匂いに気づいた。

「ほう……鉄砲ではなく火術とは……先日角兵衛と戦った男か?」

「よい鼻をしているな越後守。我の名は伊賀の火渡り大善、推して参る!」

 嬉々として大善は名乗りを上げた。かつて堂々と戦闘の前に名乗りを上げたことなど一度もないが、やってみるとこれはなかなか癖になりそうな爽快感であった。

「同じく、伊賀の伍平」

「同じく、伊賀の佐助」

「同じく、伊賀の勘蔵」

「同じく、伊賀の六郎」

「同じく、伊賀の孫六」

「同じく、伊賀の小六」

 秘匿すべき人数を明かしてまで、彼らは名乗りをあげることに拘った。人生の全てを闇の世界で過ごしていた彼らにとって、最後の戦いくらいは晴れがましい陽の下で堂々と死にたかったのである。

「確かに承った。相手にとって不足なし! いざ、尋常に勝負いたそう!」

「応!」

 殺しあう敵同士でありながら、定俊と伊賀組たちは意気揚々と鬨の声をあげた。なんとも晴れがましい、まるで祭りにでも向かうような明るい声であった。

 しかしこれほど哀しい祭りがあろうか。彼らは住む場所を追われ、人生の最後を迎えるために祭りを催しているのだった。戦国に生まれ、戦国に育ち、戦国で年を経た武士と忍びは、新たな時代を迎え生き方を変えるのではなくあくまで武士と忍びとして死にたかった。

 だからといって彼らに塵ほども悲壮さはない。なんとなれば死とは哀しいものではなく楽しむものであるからだ。たとえ泥に塗れようと死は美しく、その過程にこそ美を見出すのが彼らの流儀であった。

 そんな思いとは裏腹に、戦いは過酷で非情である。定俊に襲いかかろうとした小六が「ぎゃっ!」とけたたましい悲鳴をあげた。その目に吹き矢が突き刺さっている。もちろん毒入りの吹き矢であった。

「聞きしに勝る隠形だな」

 定俊の背後を守るくのいち、おりくの卓越した技量に大善は感嘆の声を漏らした。吹き矢の角度でおおよその位置はわかるものの、そこにおりくがいることを認識できない。これほどの隠形の使い手は伊賀の里でも見たことがなかった。

 視覚というのは人間が考えている以上に実はあやふやな処理が脳でなされている。まして動体視力を極限まで鍛えた忍びは、その情報量の多さを経験則という形で情報を簡略化しなくては脳が処理しきれない。おりくが使う隠形はその脳の処理をあえて誤作動させるものであり、優れた忍びほどこれにかかりやすいという始末の悪いものだった。

「だが、まとめて吹き飛んでしまえば問題はあるまい?」

 大善の余裕は破壊力の大きな火術を使えるという点にある。おおよその場所さえつかんでしまえばいいのだ。が――――

 殺気を感じて咄嗟に大善は身を伏せた。ちょうど先ほどまで頭のあったあたりを銃弾が通過していく。達介の銃撃であった。

「お嬢を狙うにはまずこの爺を倒しませんとな」

 本来火縄銃は装填に時間のかかるものだが、達介は早合と長年の修練でものの十秒ほどで次の装填を終了した。もちろん、その隙を逃すはずもなく卍手裏剣が四方から飛来する。

 ――――キン、と澄んだ音を立てて、達介を狙った卍手裏剣のほとんどを斬り落としたのは重吉であった。防御に定評のある中条流の二刀を突破するのは、手練れの伊賀組でも至難の技であった。

 厄介なことになった、と大善はそれでも楽しそうに嗤う。定俊とおりく、そして達介と重吉が互いに一体となって支援しあうと攻め手に勝る伊賀組も簡単には攻略できない。別して定俊と重吉の防御力の高さが問題だった。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 定俊といえば、太刀を肩に担ぐようにして大善めがけて吶喊していた。そのびりびりと痺れるような咆哮にも、全く動きを乱さぬのはやはり伊賀組がその名にかけて選んだ精鋭たちである。

 だがそれで定俊と対等に戦えるかといえば答えは否であった。まず真っ先に斬られたのは孫六である。定俊の西洋甲冑に隙間、あえて隙を見せていた腋の下に捨て身で身体ごとぶつかった孫六はあっさりと甲冑の下の鎖帷子に刃を弾かれ胴ごと定俊に斬り伏せられた。

 良質の鋼で鍛えられた西洋甲冑を貫こうとすれば、それは鉄砲を抜きにすれば槍か弓、あるいは間接の接合部を狙った刀による刺突以外にはありえない。

 鎖帷子は刺突に弱いものの、そんなことは少し角度をずらしてやるだけでよい。それだけで刃は鎖帷子を貫くことなく滑って終わる。もちろんそんな芸当ができるのはほんのひとにぎりの武士(もののふ)だけだ。

「――――鉄砲手を狙え」

 短く大善は命じた。

 対する伊賀組もまた一筋縄ではいかない歴戦の兵である。即座に定俊たちの弱点を看破した。達介は鉄砲の名人ではあるが、体術に関しては加齢によって相当に衰えていることを見抜いたのだ。それに達介の鉄砲の援護がなくなれば、大善の火術も心置きなく使うことができるであろう。

 たちまち配下の伊賀組忍びが達介を狙って殺到した。定俊は大善をけん制するために動けない。大善に自由を許して存分に火術を使わせるわけにはいかないからである。

「やれやれ、こんな爺に御大層なことで」

 端然と達介は火縄銃を構えたまま愉快そうに嗤った。すでに死など覚悟している。ただ娘とも孫とも思う弟子のおりくを守ることだけは諦めるわけにはいかなかった。

「中条流免許、この田崎重吉の守り、そう容易く超えられると思うな!」

 達介の前に立ちはだかったのは重吉である。打ち刀と脇差の二刀だけのはずが、まるで一糸乱れぬ槍襖のように守りが固い。攻撃よりも守りに定評のある中条流ならではの技で冴えで、四人中二人までをも抑え込む。

 しかし残る二人まで抑えきることはできなかった。重吉の左右をすり抜けたうちの一人、六郎が達介の銃撃によって眉間を撃ち抜かれ白い脳漿をまき散らして絶命した。唯一、守りを突破することができたのは衆の頭である伍平のみであった。

「――――もらった!」

 一気に間合いを詰めた伍平は勝利を確信した。もともと鉄砲は近接戦に弱い武器だ。連射もできないし、取り回しも利かない。中距離で伍平を阻止できなかった時点で達介はもう詰んでいるといえる。

「生憎と今少し寿命を迎えるわけにはいかぬでな」

 あっ、と伍平は声にならぬ叫びをあげた。達介の手に火縄銃ではなく短筒が握られているのを見たからである。短筒は射程も短く威力も劣るが、接近戦となったときの脅威は忍び刀の比ではない。

 伍平は心底驚いていたが、そこで当たり前のように覚悟を決めていた。というより考えるよりも早く身体が動いていた。今さら距離を取ることになんの意義もない。せっかく懐へと飛びこんだのだから己にできることをすると何の迷いもなくそう思ったのである。

 短筒の見た目よりも大きな轟音が響くのと、伍平が忍び刀を右に払うようにして投擲したのは同時であった。命中率の悪いはずの短筒は見事に伍平の心臓を貫いたが、伍平の放った忍び刀もまた、達介の肺を貫いていた。

 喉奥から血がこみ上げ、穴の開いた肺が正常な呼吸を不可能なものとした。それが致命傷であることは、誰の目にも明らかであった。

(――――それでよい。それでこそ忍びの道じゃ)

 満足そうに達介は笑った。その笑みはおりくがあえて達介を助けなかったことに対する称賛の笑みであった。事実、大善は伍平と達介の戦闘をいささか不満そうな目で見守っている。達介を守るために、おりくが背後から援護するものと考えていたからである。しかし定俊の背中を守ることを放棄しておりくが達介を助けることがあってはならない。弟子が正しく判断したことを達介は誇りに思った。

(最後までお供できなかったのが心残りじゃが、忍びとしての生きざまに未練も悔いもなし)

 震える右手を鉄の意思で制御し、達介は人生最後の引き金を引いた。

 まるで達介の意思が乗り移ったかのように放たれた銃弾は、重吉の左から間合いを侵そうとしていた勘蔵の臍下を撃ち抜いていた。

「――――達介殿!」

 絶叫する重吉の悲鳴を聞きながら、達介は七十余年の人生に幕を引いた。

 邪魔な鉄砲手がようやく除かれたとはいえ、この結末は大善にとって到底満足のいくものではなかった。逆にいえば、鉄砲しか使うことのできない老忍びに、手練れの伊賀者が三人までも倒されてしまったことになるからだ。残る一人、佐助はでは重吉の二刀流の防御を突破することはできない。

 ということは大善一人で定俊とおりくを相手にしなくてはならないのである。これが満足のいく結果であるはずがなかった。

「が、悪いことばかりでもない」

 大善の特技は火薬による爆破術にある。達介の鉄砲という驚異がなければ、思う存分その技を振るうことができるのだ。

 相変わらず刀を肩に担いだ介者剣術の姿勢で突進してくる定俊から、後ろに飛んで大善は距離を取った。すぐに定俊は距離を詰めてくるが、一瞬でも距離がとれればそれでよい。

「食らえ、蜘蛛縛り!」

 伊賀に伝わる特殊な配合によって蜘蛛の糸のように織り込まれた火薬を、大善は投網のように定俊へ投げつける。その網に捕らわれたときが定俊の最後であるはずだった、が――――

「なに?」

 必殺の火薬の糸が網のように広がるよりも早く、何か透明な壁にぶつかったかのように弾かれて地面に落ちる。その原因に気づいた大善は怒りに顔を歪めて即座に火薬を起爆した。おりくの仕業である。定俊の背中を守っていたはずのおりくが、いつの間にか姿を消したまま大善の傍まで迫っていた。だからこそ大善の技は完成する前に打ち落とされたのだ。案の定、十分に広がり切らなかったために爆発は想定されていたよりも遥かに小さな規模にとどまった。

 濛々たる爆煙のなか、大善は点々と続く血痕をみた。姿形は見えずとも、そこにいたおりくが爆発で負傷した証であった。これでもう隠形は通じない。あの血痕の先におりくがいる。だが、大善にその余裕はもはや残されていなかった。定俊が魂の半身であるおりくの身を捨てた献身を無駄にするはずがなかったのだ。

「うおおおおおおおおおおおおおおお!」

 甲冑の重さをも利用して加速した定俊は、右足がくるぶしまで地面にめりこむほどの踏みこみで、瞬きよりも早く大善の間合いへと侵入した。甲冑の重さがなんの枷にもなっていない苛烈で俊敏な動きであった。

 大善は咄嗟に後ろに飛ぼうとして苦笑する。間に合わないことがわかったからだ。おりくの血痕を確認したことで視線が落ち、やや前傾姿勢になっていたのが災いした。そんなわずかななんでもない差異が、闘争の場では途轍もなく大きいのである。

(ならば敵わぬまでも相討ちに――――)

 大善は最後に身に着けた火薬ごと自爆しようと試みるが、それより一瞬早く大善に右腕を斬り飛ばした定俊の愛刀が、大善の胸から上をまるで豆腐のように両断していた。

「――――大善様!」

 血しぶきの噴水のように噴きだす音に佐助は大善の死を悟る。

「どこを見ている?」

 不敗を信じていた組頭の敗北に取り乱した佐助の隙を見逃すはずもなく、達介の敵討ちに燃える重吉が左右から同時に佐助の首筋を切り裂く。

「うぬ!」

 首だけで宙を舞いながら、佐助は最後に無念の呻きを漏らした。

「――――おりく!」

 血相を変えた定俊が、負傷したおりくの姿を追って駆け出すのはそのすぐあとのことであった。

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