第29話 重吉の決断

 このところ定俊はおりくと過ごす時間が多くなっていた。

 いつもなら一人で訪れる日課の釣りも、今日は傍らにおりくを伴っている。

 特に話すことがあるわけでもない。ただお互いに傍にいるだけで、風の音やふとした指先の仕草にも過ぎ去った記憶を呼び起こすには十分だった。それだけで二人は懐かしい思い出と互いの深い愛情を交歓しあった。

 ――あえて何も語る必要はなかった。寄り添う互いのぬくもりが、息遣いが、触れあう目と目が、言葉よりも雄弁に心を通わせていた。

 定俊の姿を探していた重吉は、猪苗代湖の畔で肩を並べた定俊とおりくを見つけて、思わずその光景に立ち尽くしたまま心を奪われた。二人の濃密な魂の交歓が可視化したように感じられたのである。男と女というものはかくも深い絆を結べるものか。人と人というものは、かくも言葉なくしてわかりあえるものなのか。

 アダミのためならば命もいらぬと思い定めたはずの己の覚悟が、まるで取るに足らぬもののように思えて重吉は必死に頭を振った。そんなことがあってよいはずがなかった。

 関ケ原を生き延び、主の教えに導かれて幕府の目を逃れ仲間たちとの信頼を頼りに生きてきた。神が与えてくれた、かつて小西家に仕えていたときには得られなかった魂の充足感は決して取るに足らぬものなどではない。

 しかし定俊とおりくほどに自分たちは信頼しあっていたか。相手の心を慮るっていたか? 現に重吉もアダミや藤右衛門に本心を隠し、あのアダミですら我々に秘密を抱えていたではないか。

 では人と人の繋がりとはいったいなんなのだ? そんな根源的な疑念に捕らわれ重吉が途方に暮れようとしていたとき、期せずして定俊は重吉の名を呼んだ。

「こっちに来ておぬしも一杯やらぬか」

「…………お邪魔をいたします」

 本気で無粋な真似ではないかと心配してしまうほど、定俊とおりくの佇まいは一幅の水墨画のようであり、恐る恐るといった風情で重吉は定俊の隣に腰を下ろした。

 つい先ほどまで定俊とおりくの逢瀬に見蕩れていただけにいささか居心地が悪い。その居心地の悪さを振り払うように顔を俯かせたまま重吉は問いかけた。

「私はどうすればよいのでしょうか?」

 重吉が追い求めた百万両は泡沫の泡のように消え去った。数十万両という金額はそれだけでも十分に大きな額ではあるが、手の出せない国外にあるのでは重吉にはどうすることもできない。

 いったい何のために自分はここまで来たのか。

 アダミと藤右衛門はこの猪苗代でその命尽きるまで布教を続けるという。この猪苗代がキリシタンの楽園である時間は残り少ない。それでもなおこの地に信仰の種を撒き続けるのだと藤右衛門は笑っていた。

 自分にも同じ主に対する信仰心があると重吉は信じていた。しかしこうして目の前の目標が失われてみれば、アダミや藤右衛門と同じ気持ちになれない自分がいた。

 はたしてこのまま猪苗代で布教三昧の生活を送っていていいのか。座して滅びを待つ受け身でいてよいのか、という疑問は日ごと重吉の胸で大きくなっていくばかりであった。

「殉教が嫌なわけではありません。いつでも命を捨てる覚悟はできている。それでも今ここで滅びを待つのは嫌です」

「――――それがお主の答えではないか」

 優しく定俊は答えた。同じような葛藤を幾度も繰り返してきた定俊だから言える言葉だった。

「お主が本当に悩んで心の底から出した思いを恨みに思うような方ではあるまい。アダミ殿も、藤右衛門殿も」

 重吉はまだ戦うことを諦めていないのだ。それがどんなに奇跡のような見果てぬものであっても、敗北を座して受け入れることを認められない。正しく戦人の心意気であった。

 アダミや藤右衛門とはそこが違う。定俊はほとんど直感でその魂の在りようを見抜いていた。

「馬鹿なことを考えているのはわかっています。戦うということは犠牲を増やすということです。勝ち目のない戦いに信者を駆り立て、死ぬ必要のない民草を殺すことになる。悪魔の所業でありましょう」

 すでにこのとき、田崎重吉の胸のうちには後年、江戸期最大の大乱である島原の乱を引き起こす萌芽があった。数万を超えるキリシタンの蜂起となった島原の乱は、幕府に内通した一部の農民を除き、一切の降伏も許されず参加したキリシタン全てが皆殺しにされるという悲劇となった。別して板倉勝重を殺された幕府の怒りはすさまじく、島原の城跡からは死後も遺体を石で砕いたと思われる遺体が数多く発掘されている。そんな地獄に駆り立てようともキリシタンの敵である幕府と戦いたい。そんな悪魔のような衝動を受け入れるべきか受け入れざるべきか、重吉は葛藤しているのだった。

「人は生まれ培ってきた本来の自分には抗えぬ。いや、抗うことはできるのかもしれないが、それは生き方として正しくないと俺は思う」

 どれほど愚かに思われようと、誰が指をさしてあざ笑おうと譲れぬものが定俊にはある。そしておりくにもアダミにも藤右衛門にもあり、重吉にもそれがあったというだけの話だ。

「金のために年来の仲間を見捨てたと人は嗤うでしょう」

 徒手空拳で幕府と戦えるとは重吉は思っていない。残り少なくなったとはいえやはりイエズス会の隠し資産は必要であった。そのためには日本を捨て、海外へ逃れる必要があるだろう。それも一年や二年の話ではない。だがそこに望みを託したいと今の重吉は考えている

 間違いなくその間に、国内ではキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れるはずであり、重吉の直感ではアダミと藤右衛門の命もない、と思われる。

 事実、アダミと藤右衛門は寛永十年、捕らえられて厳しい拷問の末信仰を貫いて殉教する。むしろ十年近くも生き延びることができたのは僥倖とすらいえるであろう。寛永二年にはすでに会津でキリシタンの弾圧は始まっており、定俊の財布を知り尽くした林主計はその資産をめぐり斬首の刑に処せられている。その未来が見えるだけに重吉は二人を置いていってよいのか、という疑念がぬぐえないのであった。

「所詮、他人は他人だ。親も、兄弟も、友も、言い訳にするな」

「アダミ殿と藤右衛門殿を他人と申されるか!」

「魂とは神と己のもの。神と語る術を持たぬ以上、我らは己の魂に忠実でなくてはならぬ。己の魂を見出すことができるのは他人ではない。己のみぞ」

 どうしてそこまで強くいられるのか。否、あそこまで心を通わせていたおりくもまた、他人と切り捨てることができるのか。これが歴戦の戦人たる定俊と自分の差なのか、と重吉は正しく絶望した。

 ふと、重吉の視線がおりくへと向いたのを敏感に感じ取ったのだろう。いささか極まり悪そうに定俊ははにかむように笑う。

「俺は死ぬまで戦人だし、おりくは死ぬまで忍びとして生きる。夫婦(めおと)になることはできずとも惚れて生涯を共にすることもできるというわけだ。己の魂に忠実に生きるということは、何も他人を捨てるというばかりではあるまい」

 重吉が見てきたどの夫婦よりも夫婦らしい定俊とおりくである。この齢にしてまだ若々しい恥じらいを残したままの二人に、唐突に重吉のなかで笑いの衝動が爆発した。

「なんともお若い! 私もぜひ肖りたいもので」

 孤高ともとれる定俊の決意が、これほどまでに爽やかで温かいのは、おりくを筆頭に定俊の生き方を理解し、許してくれる存在がいるからであろう。

 神は愛であり、愛は許しである。許してくれる仲間がいるからこそ、自分が本当に目指すところへ踏み出せる。そんな単純な事実に重吉はようやく気がついたのだった。

 アダミや藤右衛門を捨てていくのではない。自分の本義へ戻るのだ。それを温かく理解してくれるからこそ仲間なのである。顔も見たこともない世間の有象無象が何を言おうとそれがどれほどのものだろうか。

 同時に、重吉は定俊という戦人の本当の恐ろしさを見た思いであった。領地も名誉も財産も、この男にとってはそれほど価値のあるものではないのである。それらは生きるための方便であり、装飾品であり、本当に大切なのは己の魂に従って生きること。 

 はたしてそこまで己を割り切って生きることができる人間がどれだけいるだろうか。かつての主君、小西行長がそのように生きていたか。あの太閤秀吉にしてそこまで魂が自由であっただろうか?

 人は生きていくうえで、苦労して手に入れた成果や経験を手放すことは難しい。いってみれば、天下人となった秀吉が、かつて成り上がりの小者であったころのように自由で身軽に賭けにでることができたか。答えは否である。むしろ手に入れた権力を守るために明るさを失い自由を失い、陰険な独裁者として晩節を汚したことを重吉は知っている。

 利殖家として蓄えた大金も、猪苗代一万石の領地も、そしておそらくはアダミや重吉でさえもその気になれば定俊は軽々と捨てることができるのだろう。戦人としての生き方を全うするためならば。

 だからといって重吉は定俊を憎む気にも恐れる気にもならなかった。なるほど人には自分の魂が命じる生き方があるのかもしれない。しかし人はたった一人でその生き方を貫くことはできないのだ。誰かがその生き方を理解し、肯定してくれなければ。定俊にとってその相手が誰であるかなど、物心ついた子供にすら一目瞭然であった。

 強かで、勇ましく、千年も生きた狸のように賢い。そんな歴戦の戦人たる定俊もまた、誰かに背中を押してもらうことで胸を張って立っていられる。そのことが重吉にはたまらなくおかしかった。

 ――こんな楽しく愛しいことに今まで気がつかずに生きていたとは。

「ふん、悔しかったらお主も見つけて見せろ」

「残念ながらおりく様のような女性はとても手が届きませんな。私のような武骨者には気安い男同士が性に合うようでして」

 わずかながらあの定俊が照れている様子が見て取れて、重吉の笑みはますます深くなった。

「寧波(ニンポー)へ行きます」

「そうか」

「幕府と戦うには十分な資金です。このまま滅びを迎えるくらいなら、せめて足掻いて戦った先に受け入れるのが戦国を生きたキリシタンであるべきでしょう」 

 このとき重吉は、はっきりとアダミや藤右衛門と袂を分かった。このまま猪苗代で布教に尽くすより戦うことを選んだのである。

 すでに幕府と戦ってキリシタンの王国を打ち立てられるとは重吉は考えていなかった。しかし弾圧に屈して滅ぶより、抵抗して抵抗してこの世に痕跡を留めるのには意義があると重吉は思う。

 ――事実、後年重吉たちが中心となって引き起こされた島原の乱が終息した後、領民の半数以上を失った地域は荒れに荒れた。とても年貢を集めるどころではなく、入植者を募り人口が再び回復するのは半世紀以上経ってからのことである。幕府はあまりに地域被害が大きいのを恐れ、過激ではない隠れキリシタンをキリシタンではなく宗門心得違いの者として、その信仰を黙認していく方向に舵を切る。全国各地に隠れキリシタンの痕跡が明瞭に残されているのはそのためだ。

 島原で無惨にも皆殺しにされた数万の命は決して無駄にはならなかった。

 無論、それを非道といい、外道の兵法と呼ぶこともできよう。罪のない民を犠牲にした悪魔の所業といえるかもしれない。その非難もそしりも重吉の戦う覚悟を止める理由にはならなかった。

「楽しめ、若者(わけもん)」

「楽しむ、ですか?」

 自分の心のままに生きるなら、空腹も痛みも疲労もすべからく楽しい。死すら楽しむのが戦人の流儀であろう。この太平の世にまだ戦人の心意気を持つ若者がいることが定俊はうれしかった。それがたとえあだ花であるとしてもである。

「では、お別れまでに今一度戦を楽しむといたしましょう」

 すぐには旅立たぬ。再び襲い来るであろう伊賀組を一掃し、置いていくアダミたちの憂いを少しでも解消してから出ていく。それが重吉の最後の義理の返し方であった。

 憑きものが落ちたように晴れ晴れとした顔で帰る重吉を見送った定俊は、静かにおりくの肩を抱き寄せる。おりくの芙蓉のような体臭に包まれて、定俊は太いため息を吐いた。

「戦はいいのう」

 戦は容赦なく人の命を奪い、そのあまりに身近な死が人をより成長させる。たった一度の戦が若者を一人前の兵(つわもの)に変えることもある。死こそが人を成長させ、死こそが人の生きざまを美しく際立たせるのだ。生は死のためにあるのであって、生自体は決して目的にはなりえない。

 重政や町野幸和は尊敬すべきよき男ではあるが、お家の存続のために醜くとも生を選ぶという覚悟は戦人の覚悟とは似て非なるものであった。

「ええ、大坂城が陥ちてからの定俊様とは別人のように幸せそうです。困ったお人」

 全く困っていない顔で優しくおりくは微笑む。戦のない世におりくがどれほど献身的に尽くしてもついに取り戻すことのできなかった本当の定俊であった。そのことを喜びこそすれ恨むつもりは毛頭ない。やはり戦あってこその定俊、そしてその定俊に忍びとして仕えることこそおりくの喜びなのである。

「すまんなおりく。どれだけ惚れていてもこの性分だけは抑えられん」

「定俊様が定俊様らしくいられることがおりくの幸せでございます」

「――――おりく」

「はい?」

 何かを伝えようとして定俊がその言葉を飲みこんだのが、おりくにもわかった。伝えることを潔しとせず定俊が飲みこんだ以上、それを尋ねるのは無粋であった。

「おりくは幸せでございます」

 忍びとして、女として、夢のように幸せな時間をおりくは生きた。定俊がどう思おうともそれがおりくにとっての真実だった。

 定俊は何も言わない。ただおりくの肩を抱いたまま、猪苗代湖の水面に揺らめく十六夜の月を眺めて静かに時を過ごすのだった。

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