第261話 廊下の迷路

 「怪我はしなくても痛いのは嫌だな。ちょっとインチキするか」


 ユウキはエスピーダースーツに着替えて、開けている上空へ飛び上がった。迷路の上方向には空間は閉じていないらしい。上空から見下ろして見て分かったのだが、ユウキが居たのは迷路の入口から僅か数メートル程度の位置だった。そして周囲を見回すと、視界の先地平線の彼方まで迷路が続いている様に見える。


 「これ、空間が閉じていなくても攻略は無理じゃない?」


 空間に細工をしていない場合、この広大な樹海の様ないばらの迷路の深部まで入り込んでしまったら遭難確実だろう。寧ろ奥まで入り込まない様にとの配慮だったのかも知れない。

 上から見下ろすと、建物や庭の配置が良く分かる。建物を中心に円形に広い庭園があり、その外側360度に地平の彼方まで薔薇の迷路が取り囲んでいるのだ。つまり、広大ないばらの大樹海のど真ん中にポツンと円形に開けた土地があり、そこに屋敷が建っていたのだ。

 建物は石造りのロココ様式風の6階建て、左右の長さは約200m位なので、大体日本の国会議事堂位の大きさだろう。

 ユウキは、建物に背を向けて真っ直ぐに飛んでみる事にした。時速300kmなので、約20分飛行すれば距離は100km飛んだことになる。やはり予想通り、目の前の景色は延々と薔薇の迷路であり、振り返っても薔薇の迷路が続いている。360度迷路のど真ん中である。


 「ここから引き返して、元の建物の場所へ戻れるのか? 戻れなかったら最悪だけどね」


 そう、建物内の3階より上の廊下と同じとするなら、どちらの方向へ行っても延々とこの景色が続くはずである。1~2階の廊下と同じ構造ならば、引き返せば建物が見えて来るはずだ。どちらになっているのかは五分五分というところか。

 ユウキは引き返してみる事にした。約30分も飛んだのに建物は見えてこない。


 「最悪だ。こうだったら嫌だなと思った方だった。あの婆さん性格悪い」


 この空間から脱出する為の何らかの救済方法はあるはずだとは思うのだが、さてどうするか。ユウキはこんな状況でも変に慌てたりはしない性格だ。寧ろ困った状況を楽しんですらいる。我ながらお得な性格だと思う。サバイバルでパニックを起こさないのは良い傾向かも知れない。


 「あの月、ずっとあの位置に在るけど、本物の月じゃなさそう。あの月を目指して飛べば帰れるのかな?」


 月を真正面に見ながら20分程飛んでみたが、建物は見えてこない。じゃあというので今度は月を背後に飛んでみたのだが、これでもなかった。


 「そうは問屋が卸さないか……」


 RPGで行き詰った時にあれこれ考えて試してみるのは楽しいものだ。ユウキは今、思い付く限りの事を試してみていた。


 「さて困った。う~ん…… ん?」


 眼下に地平線の彼方まで広がる迷路を見ていて何か閃いた様だ。ユウキはスーッと高度を下げて、迷路の中へ降り立った。そして1歩あるき、再び上空へ飛び上がった。


 「やった! 思った通り元の場所だ!」


目の前には建物があった。迷路の中は、どんなに歩き回っても出口は無かったのだが、上へ飛び上がると迷路の入口から僅か数メートルの位置に居た事を思い出したのだ。もしかしたらこの広大に見える迷路も、入口から数メートルの範囲で空間が閉じているだけなのかも知れないとユウキは考えたのだ。そして、その考えは正解だった。

 ユウキは自分の部屋へ窓から入った。


 「この空間から出る方法は無いのかなー…… 入ったんだから出る事だって出来る筈だよね……」


 ユウキがここに来たのは自分の意思ではない。気が付いたら居たのだ。最初に居たのは、シェスティンお婆さんの研究室だった。そこから歩いてここへ来たんだけど、良く覚えていない。もしかしたら、あの時来た道順を逆に辿れば元の研究室へ戻れるのかも知れない。


 「よし! やってみるか」


 と、廊下へ飛び出てみたものの、どうやって来たのか、シェスティンお婆さんの背中しか思い出せない。自分の記憶を過去に遡ってリプレイ出来れば良いのにと、ユウキは心底思った。確かアキラはその様な事が出来るんだよなーとぼんやり思っていた。


 「何故同じ能力を持っている筈なのに、私は出来ないんだろう?……」


 それは多分、同じ物事に対する興味とか執着とか好奇心とかそういう部分の差なのだ。小中学校時代を思い出してみれば、得意科目とそうでない科目の成績の差とは、この興味とか好奇心を持てるか持てないかの違いでしか無いのだ。興味や好奇心を持つ事さえ出来れば、どんな教科でも楽しく面白く学ぶ事が出来、成績も良かったはずなのだ。どんな学問でも技術でも、知的好奇心を満たす喜び、謎を解き明かす面白さとして捉えられれば、この世界は無限の楽しさに満ちていると言える。


 「いや、出来ないんじゃなくて、やり方が分からなくてやる気が無いだけだった!」


 そう悟った瞬間、水門が決壊したかの様に、過去の知識と記憶が津波の様に押し寄せた。この怒涛のメモリーの洪水は、ユウキに立ち眩みを起こさせ、床に座り込んでしまう程だった。おそらく自らの能力を認識するまでスイッチが入らない仕組みだったのだ。アキラは知的好奇心が旺盛で、自分の能力に興味を持っていたのだが、ユウキの場合は、異世界の事柄、つまり自分の外の世界の事にばかり興味があったせいで、今まで自分の事をあまり知ろうとしてこなかった。この様な特殊な環境に一人で置かれて、初めて自分自身を見つめ直したおかげで覚醒の予兆を見せ始めたのだった。


 過去のメモリーは、まるで動画の様に任意の所で止めたり早送りしたり逆再生する事が出来る。しかも、自分の目線以外からも見る事が出来た。ゲームの様に自分の後ろから自分の姿を含めて見たり、上空から俯瞰で見たり、正面から自分の表情を見たりと自由自在の位置から見る事が出来た。驚いたのは、自分が失神していた間の出来事すら見えた事だ。失神してドロシーに攫われ、未知の空間の中を通ってこの屋敷の中へ出て目を覚ますまでの事柄も見える。これはどういった原理なのだろう?

 おそらくこの映像は、自分の脳の中に蓄えられた記憶メモリーなのではなく、時空間が記憶しているというか、所謂アカシックレコード的な所に記録されている情報なのだ。だから第三者視点からでも、自分の目の位置からでは決して見る事が出来ない角度からでも、更には自分が見ていない筈の映像ですら見る事が出来てしまっているのだ。


 ユウキは、これは便利な能力を手に入れたと思った。これならばシェスティンの研究室からユウキの部屋までの道順がバッチリ分かってしまうのだから。今度はそれを逆向きに辿れば良いのだ。

 そう思って廊下へ出たのだが、そこで行き詰ってしまった。というのも、記憶の中の順路は、『廊下の十字路を右へ曲がり、階段を一つ降り、また廊下をしばらく歩いた後今度は別の階段を二つ登り、しばらく歩いて十字路を左へ曲がり、角から二つ目の部屋』の筈なのだ。確かにこの順路で来た。しかし、今廊下へ出て右を見ても左を見ても、延々と廊下が真っすぐ伸びているだけで、決してこの部屋の位置が『角から二つ目の部屋』ではなかったのだった。これでは逆順で戻る事は出来ない。最初の部屋からして既に『飛ばされた先の何処かの部屋』だったのだ。これでは最初の思い付きの、逆順に戻れば元の部屋にたどり着くだろう作戦は成立しない。


 「困ったぞ、これは……」


 まずは最初の部屋を探す所から始めなければならなくなってしまった。十字路は確か何回か見かけたので、その角から二つ目の部屋を片っ端から試してみるしかない。十字路には角が4つあるので、部屋も4つあるのだ。それを一つ一つ確かめて行く。

 来た時と逆順だから、『部屋を出て右すぐの十字路を右へ曲がり、廊下をしばらく歩いて最初に見えて来た階段を二つ降り、またしばらく廊下を歩いて階段を一つ登り、十字路を左へ曲がった先』を、研究室の大きな扉が見えてくるまで全部の角で試すのだ。


 「まあ、時間はたっぷりあるからね」


 そう思ったのだが、これがなかなか手間のかかる作業だった。

 ユウキは近場の十字路から始めて、逆順のルートを実際に歩いてみた。すると、階段が見えてくるはずの所に階段が無かったり、位置が左右逆側だったり、登り階段のはずが下り階段だったりと微妙に違っている事に気が付いた。運良く最後まで行けるルートを見つけたと思っても、研究室の扉が無かったりするのだ。この屋敷の中には十字路に分かれた廊下が一体幾つあるのだろうか? ユウキは少し後悔しはじめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る