第25話 顕現

 鞘の後ろから現われた刀身を見て、弥助は仰々しく天を仰ぐ。

 美しい地金には封印の呪言が黒々と書かれており、ところどころに接着に使ったと思われる膠が付着していた。

 誰もがいったいどんな細工がされていたのか悟らざるを得なかった。

「…………これはどういうことか、説明してもらえるのだろうな?」

「私は知らない! 先代以来、この女郎兼光は一度も抜かれたことはないんだ! 私のしたことではない!」

「天目家当主、ヒノモト刀鍛冶の首座たるこの天目透の目を欺けると思うなよ!」

 天目透は自らも白洲に下り、柄と刀身だけになった偽女郎兼光を手にとった。

「…………無銘ではあるが、初代貞宗の大太刀とみた。神具としても一級品といえるだろう。しかし兼光とは似ても似つかぬ」

「うぐっ」

 天目透ならずとも、貞宗と兼光では、同じ正宗十哲とはいえ沸も違えば刀文も違う。多少刀に関する目が利けば誰でもわかることだった。

「――――我が鬼山家の恥となることゆえこれまで伏しておりましたが……家宝女郎兼光は強奪されていたのです! ほかならぬそこの小僧によって!」

 女郎兼光が偽物であったことはもはや隠しようがない。

 せめて少しでも自分の罪を軽くするには。咄嗟に魁は、一連の選定の儀偽装について取り繕うことを諦め弥助に罪をなすりつけることにした。

「もともと女郎兼光は俺のものだ。正当な持ち主に返してもらったのを強奪とは言わんだろう?」

「ふ、ふざけるな! あれは鬼山家の当主が持つべきものだ!」

「順番を間違えるな。女郎兼光の主が鬼山家の当主になるんだ。鬼山家の当主だから女郎兼光の主になるんじゃない」

「どこの馬の骨の種とも知れぬ貴様が女郎兼光の主になるはずがなかろうが!」

「そうかな? 逆にいえば、女郎兼光の主になるということは俺が鬼山家の血筋であることも何よりの証明になるということか」

「そんなことはありえないっ!」

「嘘か本当か、試してみればすぐにわかることさ」

 弥助が視線を向けると、葉月が両手で女郎兼光を捧げ持ち、するすると白洲へと降り立った。

「おおっ…………」

 以前の女郎兼光を知る魁を含めた鬼山家の男たちの口から、悲鳴ともため息ともとれる声が漏れた。

 まさに鬼山家の力の象徴、長い歴史を体現する唯一の当主の証。

「そ、それをよこせ!」

 必死の形相で手を伸ばす魁を鼻で嗤って弥助は葉月の手から女郎兼光を受け取る。

 刹那、抜く手もみせずに抜刀し弥助は魁の鼻先に兼光の刃を突きつけた。

「ひ、ひぃっ!」

 チクリ、と兼光の先端が鼻に突き刺さり、血が流れ出したのを自覚して魁は転げるようにして弥助の前から飛びずさった。

「な、何をする!」

 しかし魁の叫びに誰も応えることはない。

 それどころか魁の悲鳴を無視するようにして、彼らの目は弥助が右手に持つそれに吸い寄せられていた。

 すなわち、見事に引き抜かれた女郎兼光の圧倒的なまでの美しさと艶やかさと威厳に目を奪われていたのである。

「――――女郎兼光が……」

「抜かれた…………」

 たとえ女郎兼光の姿を見たことがない者でも、弥助が持つ刀から発せられる格の高さと内包された力の強さを感じられないほどの素人はここにはいない。

 むしろこのなかでもっとも鈍感なのが魁であると言えるかもしれない。

 少し遅れて弥助が抜刀していることの意味に気づいた魁は、それでもなおそれを認めることができず弥助に詰め寄った。

「よこせ! それを私によこせ! それは貴様のような小僧が持つべきものではない!」

「まだわからないのか? それでよく仮とはいえ鬼山家の当主が務まったもんだな。お前には刀を持つ資格すらない」

 権謀術数には長けているのかもしれない。

 金勘定は得意かもしれない。

 だが武人が持つべき覚悟と誇りと実力が魁には決定的に欠けていた。

 その場にいた全ての人間がそう確信するほど、魁の欲望に塗れた見苦しさは明らかだった。

「主を決めるのは人間じゃない……兼光の意思が主を決めるんだ。――――高尾」

(呼ぶのが遅うおすえ、主様)

「――――これが高尾大夫!」

「まさか多聞にもなしえなかった顕現を為しうるとは!」

 天目透と九鬼正宗が期せずして感嘆の声をあげて立ち上がった。

 いや、侍従長や安倍宗甫に釈佑も目を見開いて全身で驚きを表していた。

 最高級の対竜神具に宿る精が現世に顕現するということは、それほどに貴重で重要な意味を持つことなのだ。

「――――な、なんだこの場違いな女郎は? いったいどこから現われた?」

「おいおい、仮にも当主なのに精霊化も知らんのか」

 これには弥助も呆れるしかなかった。

(全く、野暮も野暮、塩次郎も形無しでありんす)

 一流の対竜神具は精霊化することができる。それは神具を扱うものなら常識の話であった。

 魁は神具を扱う器が最初からないと思われていたので、それを知らなかったのだ。

 すなわち、魁は鬼山家の当主の座を務める資格などないとみなされていたことの証明のようなものであった。

 塩次郎は花魁言葉で、うぬぼれの強い中身のない男のことで、今の魁はまさにそうした道化そのものに見えた。

 魁の後ろに控えていた鬼山一族の間にも動揺が走る。鬼山家の一族のなかでも長老に近い人間は精霊化の何たるかは知っていた。

 語り継がれるその美しい太夫の姿のことも。

「魁、貴様――――!」

「なんだ叔父――ぐはあっ!」

 憤怒で全身を真っ赤に染めた一人の男が、魁の顔面を力の限りに殴りつける。

 武人らしい巨躯から繰り出された拳に、魁の鼻はあっけなく骨折して鼻血を噴き上げた。

「な、当主に向かって何をする!」

「貴様など当主ではないわ! よくも我らを謀ってくれたな!」

「た、謀ってなどいない! いいがかりはよせ!」

「女郎兼光を引き抜き精霊化させた。それこそその御方(やすけ)が鬼山家の血を引いている何よりの証! 先代を裏切りどこの馬の骨とも知れぬ種を孕んだなど濡れ衣もいいところであった、ということだ!」

「あっ…………」

 これには咄嗟に魁も二の句が継げなかった。

 弥助が本物の女郎兼光を持っているとつい先ほど自分は訴えたばかりである。

 その女郎兼光を弥助が抜いたならば、それはこれ以上ない弥助が鬼山家直系の血を引いていることの証明なのである。

 弥助に女郎兼光を奪われたと訴えたのは早計であったと魁は己の失言を呪った。

「どうやら化けの皮が剥がれたようだな」

「この……爺いが余計な真似を!」

 してやったりとばかりににやりと嗤う正宗の顔に、だいぶ前から今日この絵図面が引かれていたことを魁は察した。

 おそらくは海防艦波照間の一件より前に、すでに百目鬼将暉あたりの入知恵で自分は陥れられていたのだ。

 なんとか反論したいが術がなかった。

 ここにいる人間のほとんどは、鬼山家の権力が全く通用しない権力者ばかりなのである。

 ましてヒノモト刀鍛冶の頂点、天目透がいる以上、女郎兼光や偽女郎兼光のことで言い訳をすることは不可能だった。

「――――血迷ったのか女郎兼光! こんな餓鬼を主に選ぶなど!」

「おいおい、高尾が貴様のようなクズを選ぶはずがないだろう? いい女を振り向かせる実力もない男が。分際を知れ」

 弥助に鼻で笑われ、明らかに見下されていることを悟って魁は激高した。

「小僧め! 貴様ごときが鬼山の名に相応しいはずがないのだ!」

「ならばひとつ試してやるとしようか」

 弥助は兼光を鞘に納めると、魁に向かって言い放った。

「これから面を打つから、防ぐことができたら鬼山家当主の座は譲ってやろう。簡単なことだろう?」

「ふん! その言葉、忘れるな!」

 藁にも縋る思いで魁は偽女郎兼光――無銘貞宗大太刀を手に取った。

 一流の武人にはほと遠いとはいえ、鬼山家直系に生まれた男子として、恥ずかしくないだけの剣術を魁も幼少から仕込まれている。

 予告された面を防げぬ道理がなかった。

 ゆっくりと弥助が兼光を鞘ごと振りかぶる。その無造作な動作に見ている正宗たちがハラハラしたほどであった。

(――――大丈夫、なんだろうな?)

(竜殺しの実力を疑うわけではないが…………)

「――――面」

「ぐがっ!」

 振り下ろされる弥助の一撃を、魁は認識することすらできずにまともに食らい、何があったのかわからぬままに昏倒した。

 見ている者にとっても、意外でわけのわからぬ一撃であった。

 目に見えぬほど早いというわけでもない。特殊な技巧を凝らしたというふうにも見えない。ただ魁が防ごうとも避けようともしなかったのだけが事実であった。 

「見事である。鬼山弥助――――朕が幼少より耳にいたした高尾太夫の姿そのままぞ。さすがは竜殺し、鬼山家の当主に不足あるまい」

 そして天子自らの言葉が決定打だった。

 その言葉に法的な拘束力はなにひとつない。だがしかし逆らうことは決して許されなかった。逆らうことはヒノモトの国を敵に回すことを意味していた。

「この愚か者(かい)にはいろいろと聞きたいことがある。憲兵総監に引き渡せ。よいな?」

 正宗の最後の確認の言葉は鬼山家の一族に向けられていた。

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