第21話 その夜の出来事

 床に就いた葉月の心境は複雑である。

 すぐ隣から弥助の寝息が聴こえる。手を伸ばせばすぐ届きそうな距離だ。

 また弥助と寝室を共にすることに歓びは確かにあった。しかしこのヒノモトではメイドとして弥助に仕えていくと決心した葉月である。

 葉月の霧島家は鬼山家の分家筋で、ちょうど中堅程度の家柄なので、弥助の妻として相応しいとはお世事にも言えない。

 ――ただ、このとき葉月が知らないことがひとつあった。

 第二次世界大戦、さらに続いた対竜戦役において男子人口が激減したヒノモトでは、一夫多妻制度が昨年から施行されている。

 同様の施策はアジアや南米圏において顕著であり、一部欧州でも検討されているという。

 それほどに大戦と竜との戦いが世界に与えた影響は甚大であったということだ。

 実に第二次世界大戦ではヒノモト帝国の陸海軍兵士二百万人以上が戦死し、さらに対竜戦役において百万人以上が戦死した。

 民間人の戦死者も二百万人近くに達しており、しかもその九割以上が男性であった。

 戦場で危険を犯すのは男性であるべきだ、という古き良き伝統が極端な戦死傾向になって現われたのである。

 そのため結婚適齢期の男性一人に対して、同じ適齢期の女性が五人近いというアンバランスな状況となった。

 戦後復興と竜の脅威に備えなくてはならない帝国は、やむを得ず天子の裁可をえて緊急に民法改正を行っていたのである。

 これは史実でも南米のパラグアイでも戦争で人口が三分の一まで減少し、男子人口が壊滅したため一夫多妻が黙認、奨励されたという前例がある。

 そんなわけで葉月が弥助と結婚する障害は、かなりのところ減少しているのだが、そんなこととは知らない葉月はあくまで自分の立場をわきまえるつもりでいた。いたのだが――――

(だめ、意識しちゃう…………!)

 あのダンプ諸島出の最後の一夜、最後の思い出のつもりで弥助にファーストキスを捧げた。

 その記憶が蘇り、布団のなかで葉月は密かに悶えていた。

 あれを最後に諦める、と決心していたはずなのに。初音が登場しただけでこんなにも動揺してしまう自分が嫌だった。

「――――葉月姉、起きてる?」

「ひゃいっ!」

 唐突な問いかけに変な声を漏らして葉月はびくり、と震えた。

 てっきり弥助は寝たものと思っていた。

 つい先ほどまで弥助のことばかり考えていただけに、心臓が飛び出るのではないかと思えるほど葉月の胸は高鳴った。

「――――寝たふりしてれば、また葉月姉がキスしてくれると思ったんだけどな」

「はにゃ? まままままさか、坊っちゃま、あのとき起きて……?」

 がばっと布団から起き上がって葉月は惑乱する。

 クールな美貌をもってなる完璧なるメイドの面影は欠片も残されてはいない。ただ恥じらう初心な乙女の姿がそこにあった。

(起きてた? 最初からわかっていたの? 島を離れてからずっと?)

 あまりの恥ずかしさに枕で顔を隠し、耳まで赤く染まって葉月はフリーズした。

 思考がまとまらない。

 ぶんぶんと首を振って現実逃避を図る葉月である。

(キスしたことがばれてる――――私が坊っちゃまを好きだってばれちゃってる?)

「そっちから迫られるのも悪くないんだけど――――」

「ふわっ?」

 気づいたときには弥助に抱き寄せられ、唇を奪われていた。

 温かい感触が唇から全身に広がり、葉月は無意識に弥助の背中に手を回し陶然とその感触を味わった。

「ふわあああああ」

 とろん、と瞳を潤ませ、葉月はキスの魔力に酔う。

 こんな刺激的なことをされて冷静でいられるはずがなかった。

「葉月姉、身を引こうとか思ってたでしょ」

「はうっ」

「俺のファーストキスを奪っておいてそれはないんじゃない?」

「だって、だって、まさか起きてるなんて思わなかったしノーカウントと思うじゃないの!」

「葉月姉にとってもノーカウントだったの?」

「そ、それは…………」

 ノーカウントのはずがない。この感触を生涯覚えて大事に守っていこうと思うほどの衝撃だったのだ。

「生憎と俺は葉月姉をほかの男に渡すつもりはないよ」

「でも……私は……」

 たとえ二人の気持ちがそうであったとしても、一族の人間が絶対に反対する。

 鬼山家の当主には無用の負担になってしまう。

 主を補佐すべきメイドが主の負担となることがあってはならない。

 身分違いの恋は将来的に二人や、二人の間の子供にも負担を強いるのだということを葉月はごく身近な人を通して知っていた。

 そう、あの叔父霧島剛三からである。

 とある御令嬢との恋に落ちた剛三は一度は彼女と駆け落ちをするも、結局子供の病気をきっかけに別れることを選ばざるを得なかった。

 鬼山家一族でありながら、彼がダンプ諸島で世捨て人同然の生活を送っていたのはそうした理由があるからだ。

「――――葉月」

 どくん、と心臓が跳ねた。

 同時にお腹の奥が、火がついたように熱くなる。

 近づいてくる弥助の顔から顔を背けるように形ばばかりの抵抗をするが、顎に手を入れられ無理やり正面を向けせられると葉月は観念したように目を閉じた。

「ばか! ばか坊っちゃま!」

「でもそんな坊っちゃまが好き」

「私の台詞をとらないでください! ばかぁ!」

 弥助が誰かと結ばれるのを見送ることならできただろう。

 一晩泣き明かすことになったとしても、その後の生活を受け入れることもできたはずだ。

 しかし弥助自身に迫られ、求められてそれを拒否することは恋する乙女には無理な話であった。

「もう取り消せませんからね! 一生いろんな意味でお仕えしますから!」

「そこは素直に愛してますと言おうよ」

「ばかばか! ……大好き!」

 その恥じらう表情と、どうしようもない本音が漏れてしまってようなか細い声に、弥助の理性は完全に焼ききれた。

 長年慕ってきた姉、成長に伴い色香に心を惑わせた少年時代の欲望を解き放った弥助は、今まさに野獣と化した。

「――――ごめん、優しくできない」

「きゃん!」

 強引に押し倒された葉月は短く可愛い悲鳴を上げる。

 そして二人が言葉に出さず、ずっと夢見ていたいけない行為に夜明け前まで没頭していくのだった。


「――――――獣(けだもの)、女の敵!」

「そんなぁ、葉月姉だって、結構積極的に…………」

「ばかばか! 言わないで! もう、知らない!」

 月明かりに浮かび上がる葉月の身体を凝視する弥助の視線から逃れようと、葉月は必死で布団を抱えこんだ。

 そして弥助と葉月は男と女の関係になった。

 それなのになぜかわからないもやもやが解け、再び幼かったころのような安心感を抱いているのを不思議に感じながら、葉月は弥助の腕の中で眠りについた。

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