第19話 襲撃
いらいらと痺れを切らす思いで芳崖が作業を終了するのを待ち続けていた望月が、ついに限界を迎えたのは翌日の昼近くのことである。
「おいっ! まだか! これ以上はもう待てん! 入るぞ!」
勝手に入れば出来は保障できないと言われたから我慢に我慢を重ねていたが、もう限界であった。
選定の儀は明日の午前十時と決まっている。
一族の人間の招集や口裏合わせの時間を考えても、今日の夕刻までには魁のもとへもっていかなくては望月の首が危うい。
「…………何をしている?」
強引に鍛冶場に入った望月が見たのは、無銘貞宗の刀身を正座して凝視し続ける芳崖の姿であった。
見事な出来栄えの貞宗を手に取って見ていたら、ついつい目を逸らすのがもったいなくなってしまったのだ。
この貞宗を鬼山魁の手に渡すなどとんでもない。このままいっそ貞宗とともに逃げようかと思ったくらいであった。
「無銘貞宗大太刀……貴様らにはもったいないが、対竜神具としての格は一流だ。この俺でも同じことはもう二度とできまい」
言われて望月は貞宗の発する高貴でありながら猛々しい、正しく対竜神具に相応しい圧倒的な気の風格に気づいた。
望月の愛刀である備前長船康光とは比べ物にならない神格であった。
これなら女郎兼光に劣るものではないと望月が思うのも無理からぬことだった。
(これならば…………!)
明日の選定の儀も乗り越えられると思えた。
満面に笑みを浮かべて、望月は芳崖の手から無銘貞宗を奪い取る。
その瞬間、芳崖がものすごく嫌そうな顔をしたが、望月の知ったことではなかった。
「よい仕事をしてくれたようだな。孫のことは心配するな」
「当り前だ。孫のためでなければ誰がお前らのためになど槌を取るものか」
もし初音がからんでいなければ、どんな大金を積まれても芳崖は贋作など作らなかっただろう。
だが、結果として無銘貞宗の精霊化を達成することができた。
この矛盾が芳崖には悔しくもうれしい誤算であった。
そうした信じられない偶然こそが、精いっぱい努力してきた果てに神によって与えられるものであることを彼は知っているのだった。
「これならば魁様もご満足されることであろう…………」
見れば見るほど惚れ惚れとする逸品である。
もし選定の儀を乗り越えることができたならば、魁に願いでて自らの佩刀にしたいと思えるほどであった。
あの女郎兼光ですら、この素晴らしさには及ぶまいと望月は思う。
もっともそれは、望月が抜かれた女郎兼光の姿を一度も見たことがないからこそ言えることなのだが。
「さて、私は行かねばならん。あとは頼んだぞ?」
言外に命令があれば芳崖を殺せと望月は命令した。
こんな情報を握っている芳崖を生かして置けるわけがない。
だからといって、今この場で芳崖を殺してしまうのもまた問題であった。
万が一、魁がこの無銘貞宗を見て注文をつけた場合、それに対処できるのは芳崖以外にいないからだ。
まずは魁の命令を待ってから改めて芳崖殺害に着手すべきであろう。
ゆえに、望月は戦力確保のため一人の部下を呼び寄せていた。
戦闘力に関してだけは望月も一目おいている男である。信用はさほどしていないが、命令には従順な男であるとも思っていた。
ほかでもない、森山のことである。まず森山であれば、芳崖の殺害に失敗することはあるまいと望月は考えていた。
ちょうどそのとき、芳崖の家の前に森山の乗るフォードが到着した。
「来たか森山、私は魁様にご報告に行く。あとは任せたぞ。くれぐれも、な」
「万事お任せを」
慇懃に腰を折る森山に望月は満足そうに頷いた。
思っていたより使える男かもしれない。腕だけは認めていたが、どうしても忠誠心だけが信用できずにいた男である。
そんな風に望月が誤解するほどに森山は自然体であったのだ。
なんのことはない。望月のもとで出世する気負いがなくなったので、自然肩の力が抜けていただけのことであった。
逆にいえば、それなりに森山の上昇志向は隠せないほど表に出ていたのだろう。
そういう意味で、望月の森山に対する警戒感は間違ってはいなかったのだが、今の望月にそれを知る術はなかった。
大事そうに無銘貞宗を抱え、ほくほく顔を隠そうともせず足早に望月は天戸家を後にしたのである。
「――――手に入れるものを入れたからって、少し油断しすぎじゃないですかねえ?」
森山は望月の車が見えなくなるまで見送って、愉快そうに肩をすくめて舌を出した。
そんな森山の様子に気づいた者は誰もいなかった。もっとも、いたとしてもどうすることもできなかっただろうが。
「さて、天戸芳崖殿のところまで案内してくれ」
望月が森山に託したのが、芳崖の始末であることはわかっていたが、それはあくまでも魁の判断があってからの話である。
いきなり標的に接触しようとする森山に不審を感じた部下の一人が、森山の行く手を遮るようにして疑問を口にした。
「なぜ会う必要がある? 」
「そりゃ、標的の顔ぐらい見ておきたいじゃないか」
屈託のない森山の声に、男が不審の念を深くしたらしい。これは少し浮かれすぎたかな、と森山は内心で苦笑した。
実力は認められていても、森山は鬼山家の影としては新参者にすぎない。その森山が不審な行動をとれば例え仲間であっても警戒してしまうのだろう。
事実、森山はすでに仲間を裏切っているのだから、彼の懸念は全く妥当なものであった。
「ま、遅かれ早かれ同じことだがね…………」
「望月様からご命令あるまで、勝手な真似は許さんぞ!」
「生憎とそうも言ってられんのさ。俺も今後のために役に立つところを見せておかんとならんのでな」
不敵に嗤う森山の袖口から、さらさらと何枚かの札が零れるように落ちた。
「制圧しろ。愛宕童子、蔵王童子」
「御意」
「式神? 森山! 貴様、裏切るのか!」
それは実体化するほどの高度に編まれた式神であった。その出来栄えは現役の正統な陰陽師も感嘆するほどの見事なものだ。
この二人の童子は、森山が血反吐を吐く思いで練り上げた十年余の結晶なのである。
望月が去った今、この芳崖の工房に残った影の部隊はわずか七人にすぎない。
決して弱いわけではないが、森山と比較すればほぼ雑魚にも等しい戦力であった。
何より彼らは陰陽術との戦いをほとんど経験していない。
結局のところ、鬼山家影の部隊は暗殺や誘拐などに特化した非合法部隊であって、真の実戦部隊ではないのである。
自分より弱い相手としか戦ったことのない戦士など、森山にとって恐れるなにものもなかった。
もっとも自分もその一人ではあったが。
「望月様を、鬼山家を敵に回してただで済むと思うか!」
「お前さんたちの大事な鬼山魁はもう終わりなんだよ。説明する気もないけどな」
額に向かって飛んできたナイフを森山は軽く首を捻っただけで躱した。
「雷精招来急々如律令」
「ぐがっ!」
間髪おかずカウンターで森山の手から雷撃が放たれる。
これが刀やナイフの攻撃なら避けることもできたろうが、実体のない術との戦闘経験に乏しい彼らはまともにその攻撃を受けた。
全身に痺れが走り、行動が止まったその瞬間を二人の童子が的確に攻撃していく。
その連携は流れるように見事で、森山がいかに童子を育てるのに腐心してきたかが窺えた。
現在の陰陽師の宗家たる土御門家でも、これほどの式神を扱うものはかなり上級の術者になるはずである。
これほどの力を持つことを望月たちが知らなかったのは、密かに森山が下克上の機会を待っていたからだ。
ほとんど抵抗らしい抵抗もできぬままに、鬼山家影の部隊は意識を刈り取られ拘束されていった。
手際よく気を失った彼らの額に睡眠を促す札を貼り付けて、森山は彼らを広間に集めて手足を拘束した。
「――――そんなわけで助けにやってまいりました、と言って信じてもらえますかね?」
いつの間にか背後に立っている芳崖に向けて、森山は声をかけた。
「ふん、なかなか腕は立つようじゃが、まだまだ甘いぞ。ここはわしの工房のうち。貴様が敵であると判断していれば式神と術は発動しないところであったところだ」
「それは――――油断しておりました」
顔は笑顔を保ちながら、森山は内心で冷や汗をかく。
もし芳崖が森山を危険と判断して工房の結界を起動した場合、森山の術が発動しなかった可能性は高かった。
自分は芳崖を助けにきたのだから、という固定観念が抜けていなかったが一歩間違えれば今頃は返り討ちにあって死んでいたかもしれない。
「孫の初音はどうしておる?」
「とうの昔に……と、いうより最初から誘拐などされておりませんよ。危ないところだったのは確かですが」
「――――男に助けられたな?」
「まあ、そうなりますか」
「誰だ? どんな男だ?」
くわっ! と目を見開いて芳崖は森山の胸倉をつかみあげた。
可愛い孫をたぶらかす男は誰であろうと許してはおかん、とばかりに血走った目が恐ろしい。
「それは会ってのお楽しみにしておきましょう。ただ、言わせてもらえれば――この私が百人いても相手になりません。そんな化け物ですよ」
「そ、それほどか…………」
芳崖の見るところ、森山はかなりの腕利きの部類に入る。
百人いれば、竜を相手にもそれなりの戦いをするだろう。もちろん勝てるとは思わないが。
「だがっ!」
くわっと目を見開き、芳崖は拳を力のかぎりに握りしめる。
「どんな男であろうと、初音に手を出すのは許さん! 許さんぞおおおお!」
「あまり頑張りすぎると、お孫さんにも嫌われますよ? 恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られてなんとやら、です」
「むむむ……いや、しかし……まだ、まだ初音には早すぎる。だが初音に嫌われたら、わしは……わしは……」
「とりあえずこの騒動が済んでからにしましょうや。明日には全てが決着するはずですからね」
魁が余計な気を起こして芳崖を殺そうとしないとも限らないが、あの小心者が選定の儀が終わるまで芳崖を殺す可能性は低いと森山は見ている。
とはいえ、少なくとも明日の儀式が終わるまで、芳崖にはこの工房にいてもらう必要があった。
森山がいる以上、望月がわざわざ追加で戦力を送ってくるはずがない。
適当に命令を聞き流していれば、最悪嘘の報告をしておけば、あとは勝手に望月も鬼山魁も破滅してくれる。
「――――まあ、偽の対竜神具が天子様の御前で通用するはずもないか」
「もちろんそれはそうなのですが……こちらには本物の女郎兼光がありますのでね。最初からそんなごまかしが通用するはずがないのですよ」
偽物が本物に勝てる道理はない。
「なんと…………奴らもいらぬ苦労をしたものだな」
孫の命を狙われ、意にそまぬ槌を握らされた奴らが破滅の片道切符を握っているのはよい気分である。
自分で意趣返しできなかったのは残念だが、奴らが破滅してくれれば、ある意味芳崖には精霊化を成し遂げた分メリットしかなかった。
「奴らのほえ面を見れないのが残念だな」
得意満面で大切な無銘貞宗を奪っていった望月の顔が目に浮かぶ。
今頃は貞宗の格をもってすれば御前を欺けると皮算用していることだろう。
それが通用しないとなれば、もはや彼らには破滅する以外の未来は残されていない。
そう思うだけで芳崖も溜飲が下がる思いであった。
「――――それはそれとして、初音を助けた男について教えてもらおうか」
やれやれ、と森山は苦笑して肩をすくめた。
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