第16話 舞台裏

 望月にそう答えて森山は受話器の向こうで内心舌を出した。

 すでに初音は解放どころか、最初から捕らえられてすらいない。

 アジトは弥助たちに占拠され、これまでの後ろ暗い工作の証拠まで押さえられてしまった。

 そのなかには、弥助を鬼山家の血を引いていないと証言させるために、帝国医大の医師に証言を強要したものも含まれており、それだけで鬼山家の当主の座が弥助に返還されるのは確実であった。

 あらゆる意味で鬼山魁は終わってしまったといってよい。

「こんな感じでよろしかったでしょうか? お坊っちゃま」

「貴方が言うと不愉快だから止めなさい」

「わかりました弥助様」

 媚びるように手を揉んで笑顔を浮かべた森山に、葉月は心底不愉快そうに絶対零度の視線をむける。

 しかしそんなことは全く意にも介していない森山の変わり身も、ある意味非常に力関係的にわかりやすいと言えなくもない。

 だから葉月も森山を引き入れることに表立って反対できないのだろう。

「御爺様は大丈夫でしょうか?」

「兼光の偽物ができるまで殺すわけにはいかないしね。今すぐ助けに行ってもいいんだけど、選定の儀は成立してもらわないと困るらしいから……ごめんね?」

「いいえ! 私は弥助さんを信じていますから……!」

 一見して明らかなほど恋する乙女の貌(かお)で、初音はあっさりと納得してしまう。

 初音に対しては少々思うところもあるが、さすがにそのチョロさはどうなのかと思ってしまう葉月であった。

 女学校で鍛冶師として育てられた初音にとって、初恋の衝撃はそれほど大きかったというところであろうか。

 家格も、九鬼家には大きく劣るが、天目一族連枝に鍛冶主の孫であれば、なんとか釣り合わぬというわけでもない。

「ふう…………」

 ため息とともに葉月は瞳を閉じた。

 いけない。これは最初から覚悟していたことだ。

 ヒノモトに帰還し、弥助が鬼山家正統の主となれば、葉月の霧島家程度では到底釣り合わないことなど。

 もっとも、四鬼家をはじめ名門の当主には愛人がつきものなので、弥助が望むなら葉月としてもそれを拒む理由は…………。

「どうしたの葉月姉?」

「ひゃいっ?」

 少々危険な妄想に入りこんでいた葉月は、耳元で聞こえた弥助の声に文字通り飛びあがった。

 昨年ごろから声変わりをした弥助の声は低くて甘い。

 じんじんという甘い痺れを耳元に感じて、絶対に将来弥助は女泣かせになると葉月は確信していた。

 背を抜かされた当たりから、からかわれている感というか、乙女心をくすぐられる感というのが半端なかった。 

 弥助自身には女性経験はないはずなので、おそらくは前世での弥助が体験した手練手管というものなのだろう。

 やばい男にやばい武器を与えてしまったのではないか?

 葉月の懸念は正直なところかなり当たっていたといえるだろう。

 なんといっても仏生寺弥助は吉原の遊郭でそれなりに名を馳せた男であったし、幕末といえば新選組局長近藤勇は八人の妾を囲っていたと言われていて、初代総理大臣伊藤博文にいたっては二十九人の愛人がいたという。

 博文行くところ女あり、と噂され明治天皇に叱責されたのは有名な話だ。何の臆面もなく、「隠れてやるよりましでしょう」と答えた博文も浩文だが。(しかも女遊びがすぎて破産している。家を失った博文を野宿させるわけにはいかないと建てられたのが今の首相官邸)

 その倫理観を弥助が受け継いでいるとすれば由々しき事態である。

「顔が赤いよ?」

「だだ、大丈夫です! 顔が近いです! 弥助坊っちゃま!」

 至近距離の弥助の唇を見て、葉月の脳裏にダンプ諸島の最後の一夜で弥助から奪ったファーストキスの情景が浮かんだ。

 耳を真っ赤に染めたこの初々しい葉月の反応を見て、初音もまた葉月の秘めた想いに気づいた。

「弥助さん、この後はどうなさいますの?」

 弥助と葉月の甘い空気に割り込むようにして、初音は弥助の袖口を引いた。

 ちょうど背の高さが同じくらいのせいか、袖口を引いたはずみで弥助の整った顔がすぐそばに近づいてしまう。

 危うく唇と唇が触れてしまいそうな気がして、むしろ逆に好機かもしれないと思ったが、当然のように初音の思惑は葉月によって阻止されていた。

「いい加減連絡しないと九鬼様が痺れを切らしますよ?」

「ああっ! いかん! 急いで連絡しなくては!」

 口元だけで笑みをつくって見つめあう初音と葉月をよそに、弥助とそれ以上に剛三が大いに慌てた。

 四鬼家の筆頭格であり、統合参謀総長として軍部の頂点に君臨する正宗は、剛三にとってかつての上司百目鬼将暉以上に苦手な相手であった。

 慌てて剛三は正宗の屋敷に連絡を入れるが、すでにそのころには夕闇が近づいていた。

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