第142話 ヌルの事情
「ウルガーは俺だよ、嬢ちゃん。悪ぃが名前を聞かせてもらえるか?」
「やっと姿を見せてくれたわね。…兵士にたてつく悪党とは聞いてたけど、随分とだらしない格好ね」
「手前ぇ!」
「ティーチ!!!黙ってろ!!!」
「っ!…へい、兄貴」
ウルガーへのけなし言葉に暴発しかけたティーチを、ウルガーが一喝する。その轟音とも呼べる咆哮に少女と兵士たちはすくみ上るが、辛うじて踏みとどまった。
「…私はユーノ。領主の娘よ」
「領主の娘?また偉い身分の嬢ちゃんが、ご苦労なこった。で、その領主の娘様がド田舎のヌルの、貧民街くんだりまで何の用だ?」
「とぼけないでちょうだい。用件は分かっていらっしゃるのでしょう?ヌルの貧民街には再三の退去命令が出ています。この辺りの住民達に兵士が通達を出してるのに、貴方たちタイガーファングが悉く邪魔をしているようですわね?」
「さて、なぁ?心当たりは無いが、だとしたら何だ?」
「ヌルの貧民街は取り潰すことが決まっています。改めて貴方に説明するまでもありませんが、この一帯に住むみなさんは税を納めることもできていません。これまでお目こぼしされてきましたが、もはや猶予はありませんわ。一刻も早く、立ち退きなさい」
「ふん。国からの補助が出なくなったってのは本当らしいな。補助が無けりゃ貧民も養えないとは領主さんも甲斐性の無いこった」
「っ!?貴様!!」
ユーノの傍に控えていた兵士達が色めき立つ。中には武器に手をかけるものさえあった。だがそれは、ウルガーの指摘が正しいことも証明していた。
ヌルは元々、街と呼べるほど大きくはない村だった。周囲に魔物が出没しない、そのこと自体は喜ぶべきことだが、逆に言えば魔物の素材の売買や加工などの産業が育たないことを意味する。
周辺は丘陵が多い地形で、なおかつ土そのものも農業には向かない。大きな
川も無く、海に面しているわけでもなく、林業に向いた山々が近いわけでもない。
そのため、元は細々と小さな畑を作り、小動物を狩り、山でいくらかの木材を
採取してどうにか成り立っていたのだ。そんな平和で平凡な村に、転機が訪れた。
転生者の出現である。
女神の難解な予言から、この世界のスタート地点として大量の転生者がヌルに現れることを知った国王は、受け入れ態勢を整えるためにヌルを整備することを決める。村およびその周辺を整備して、教会やギルド、店舗を維持するための補助を行い、外壁や噴水などの施設設備も整備し、始まりの街としての体裁を整えた。
それを受けて、ヌルの街は急激に活性化することになった。一時は土木工事や店舗などでの働き手が不足し、街の外から移住してくる者が現れるほどだったのだ。
しかし年月が過ぎ、転生者が姿を見せなくなるとヌルは急激に活力を失っていく。さながら観光目当ての旅行客が大挙して押し寄せていた街から、突然、人の波が消えて行ったかのように。
さらに悪いことは重なる。新たな転生者の発生が認められなくなったため、国が補助を打ち切ることを決めたのだ。元から独自の産業があるわけではないヌルは補助が打ち切られれば、現状の規模を維持できる環境ではなかった。
このようなヌルの急速な発展と衰退は、その流れに追いつけなかった住民たちを生み出した。そういった者たちは目立たない街のはずれの一角に集まるようになり、貧民街が形成されていったのだ。
貧民街の住民たちは新たな仕事を見つけることもできず、国の補助を受けた教会の炊き出しやギルド経由でのささやかな援助を受けて何とか生活を維持していた。しかし、その補助が打ち切られることになったのだ。
「争いごとは止めなさい!…ウルガーさん、貴方も分かっているのでしょう?転生者の出現がおさまった以上、国にヌルをこの規模で維持する理由はありませんわ。おと…領主様も同じです。働かない方をどうして養う必要がありますか?」
「その働く場所が無いから困ってるんだろうが。転生者が来るから見栄えを良くしましょ、居なくなったから用無しだぁ?どいつもこいつも勝手なこった」
「貴様!これ以上の暴言は許さ…」
「許さねえってんなら、どうすんだ?力づくで排除しようってんなら…グルル、容赦ぁしねぇぞ?」
高圧的な兵士達を威嚇するかのように、ウルガーの気配が膨れ上がる。つい先程までは身体が大きいだけの、ただボヤキ癖のあるだらしない獣人といった風情だったのが、一目で危険な生物と判る雰囲気を纏い始めた。
殺気さえも感じられるほどの圧は明らかに兵士たちへと向けられてはいたものの、傍らに立つユーノもその余波を受けざるを得ない。膝から崩れ落ちそうになる小さな身体を無理やり奮い立たせ、気丈にも話を続けた。
「ウルガーさん、落ち着いてくださいませ。今日のところは、私は話し合いにきただけのつもりですわ」
「今日のところは…か。で?」
まだ幼さの残る少女が己の威圧に抗い、懸命に発した声に、多少の勇気を認めたのか。ウルガーは気配を抑えてあごをしゃくり、続きを促す。
「でも、令状と檻は脅しではありません。領主命令に対するいくつかの妨害行為により、タイガーファングの首領を捕縛して連行できるだけの状況は既に整っていますわ」
「俺を捕まえたところで、手下も貧民街の連中も居座り続けるだろうよ」
「ですが、少なくとも貴方が居なければタイガーファングは活動できないでしょうし、住民の立ち退きも進むでしょうね」
「ふん…」
その可能性が高いことはウルガーも分かっている。タイガーファングの連中は性根は悪くないが頭が良いとは言えない。成り行きでヌルのあぶれものをまとめてはきたものの、ウルガー自身、後進を育成して組織を強固にまとめあげるような適性は無いと自覚していたし、そんな面倒なことに力をいれてもこなかった。
「明日、もう一度来ます。その時までに、手下の皆さんと、住人の皆さんと、良く話し合ってくださいませ」
「手下どもは腕っぷしもある。どこぞの街で冒険者稼業でもやってりゃあその日暮らしくらいはできるだろうよ。だが住民どもには女子供も多い。追い出して、どこに行けっていうんだよ。その辺で野垂れ死ねとでもいうのか?」
ウルガーの目線を追ったユーノの目に、人々が映る。いつの間にかタイガーファングの面々と兵士たちとの集団を取り囲むように、近隣の住民たちが集まっていた。
貧しさの表れか、着ている服のみならず髪や肌にも汚れが目立つ。食事も足りていないのだろうか痩せている者が多かったが、体調を崩しているというわけではないのだろう。
目には光があった。その多くの視線が、ユーノに向けられている。老若男女、それほど数は多くは無いが、中には自分とそれほど歳の変わらないであろう少年少女の姿もあった。
「…っ。とにかく、伝えましたわよ!」
その視線に怯むというよりは一瞬、憐れむような表情を見せたが、ユーノはすぐに表情を消して身をひるがえす。動揺を悟らせないよう落ち着いて、堂々と、馬車へと乗り込もうとして…馬車の天井のきわに頭をぶつけた。
ふぐっ、というくぐもった声は聞こえなかったことにされたようだ。兵士たちが素知らぬ顔で周囲を警戒する中、馬車はゆっくりと大通方面へと動きだす。
後に残されたのはウルガーを始めとするタイガーファングの面々。それと、不安そうな表情を浮かべる住民たちの姿だった。
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