春、再来

「今日は晴れていますよ、蒼士さん」

「そっか」


 いまいちなんと言ったかも聞き取れなかったが、おそらく晴れていると伝えてくれたのだろう。視覚もまともな状態ではないが、聴覚も同様だ。そのわりに、思考は随分としっかりしている。

 今日は死神と出会ってちょうど一年となる日だ。それがなにを意味するかは、ソフィーのためにも考えないようにしている。

 結局、あの日から病状は悪化の一途をたどった。病院にいたところで何かが変わるわけでもないだろうが、気持ちの問題で入院することにした。それから、ソフィーはずっとここにいる。


「貴方が眠っている間に、佐野さんが花を置いていきましたよ。花瓶に挿しておきますね」

「ん」


 明るい色の花だ。概形もあやふやにしか確認できないが、綺麗な花なのだろう。


「なあ、ソフィー」

「はい、なんでしょう」

「最後だから、なんかしたいこと、ないか?」

「……それは貴方が聞かれるべきことでしょう」

「それもそうか」


 枯れそうな声ではあるが、なんとか発声はできる。死ぬ間際ですらこれなのだから、本当に未知で異常な病気ならしい。


「このまま、少し。話をしてたい」

「話、ですか?」

「ソフィーは、たのしかったか?」

「……ええ、とても。ほんの少しだけの魂が満たされる程に」


 声色は楽しそうで、なんとなく表情も明るく見えた。


「あ、見てください。窓の外に猫がいますよ」

「……ほんとだ」


 かろうじて黒いなにかが動いているのは確認できた。


「にゃーん」

「楽しそうだな」

「楽しいですよ。貴方といられて」

「そっか」


 恥ずかしいことをさらっと言うが、今は指摘する気力もない。願わくば、俺がいなくなった後でもこのままソフィーが素直にいてくれたら嬉しい。


「……いなくなるとか、考えないでくださいね?」

「そうだな」


 自然と暗い方向へ思考が向いてしまっていた。なるべくそういうことは考えないようにしているつもりだが、どうもうまくいかない。

 それから、ソフィーはいろいろなことを話してくれた。花が綺麗に咲いていることや、病院に入院していた小さい子どもが退院したこと。

 明るい話ばかりだった。暗いことは何も話そうとしなかった。


「……もう、話すことがなくなりました」

「ありがとう、十分だ」

「そう、ですか」


 重い腕をやっとの思いでで動かしてソフィーの頭を撫でる。


「……なんのつもりですか」

「いや、なんでも」


 寂しそうな顔をしていたから、なんてことは言わない。ソフィー自身が一番わかっているはずだから。


「もう少しだけ、身を委ねてもいいですか?」

「構わない」


 こてんと体を胸に預けてきたソフィーは、それ以上なにかを話そうとはしなかった。これ以上話してしまうと、何かが溢れてしまうことを自分でもわかっているのだろう。

 そうして、しばらくの時間が過ぎた。命日のその時間に全く意味なんてなくても、それでよかった。


「……私はこれで」

「ああ、うん。わかった」


 きっと、死ぬその時まで一緒にいてしまったら辛いだけだ。それなら、まだ離れていてくれた方がいい。


「では、また」


 それだけ言ってソフィーは去っていった。あまりにもあっさりと、最後の別れを告げた。

 でも、どこか引っかかる。ソフィーは『また』と言った。それがソフィーの現実から目を背けるための言葉だったのならそれでよかったが、どうにもそんな風には見えなかった。


「……ん……」


 頭に痛みが走った。そろそろかと思っていたから、それほど苦しむこともなかった。ただ、その感覚を一度味わっているような気がしただけだ。

 これは一体どこでの痛みだろう。似た痛み、というよりは全く同じものだ。さっきまではっきりしていた思考が急に混濁して、まともになにも考えられなくなる。


「あ……」


 思い出されるのは、ソフィーとの最初の出会いだ。自分が死神であると証明するために名簿を突き刺したときの痛みと同じ。

 確かあのときは、なにか大切な話をした気がする。頭が回らない。

 そして俺は、意識を手放した。

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