2021/5/10から始まったイスラエルとガザ地区間の戦闘の時系列順まとめ

扶桑のイーグル

イスラエルとパレスチナ(ガザ地区)の関係

ガザ地区とは

 ガザ地区は中東のシナイ半島の北東部、東地中海に面して存在する帯状の地域で、パレスチナの一角に位置する。東京の6割ほどの面積であり、200万人以上の人が住んでいる。失業率は40%、乳児死亡率は2.1%、供給される水の95%が汚染、電力供給は一日四時間程度とかなり悲惨。


 紀元前6000年頃から人間の定住者が確認されている。紀元前から大国の争奪の舞台となり、いくつもの国が支配した。1517年からオ第一次世界大戦までオスマン帝国が支配していた。

 第一次世界大戦以降、オスマン帝国を退けたイギリスが国際連盟の承認の下、委任統治領として占領した(イギリス委任統治領パレスチナ)。1929年に発生したパレスチナ人による暴動(嘆きの壁事件)により、ユダヤ人の居住は禁止された。

 1948年にイスラエルが独立し、直後に周辺のアラブ諸国との第一次中東戦争が勃発しエジプトが占領した。1967年に第三次中東戦争が勃発するとイスラエルにより占領され、イスラエル人の入植が進んだ。


 1993年の中東和平「オスロ合意」に続く1994年のカイロ協定によって、パレスチナ自治政府の統治下に置かれた。治安はパレスチナ政府の治安部隊および市民警察軍によって維持されているが、現在も航空管制権と沿岸航行権はイスラエルが保持している。

 また、自治政府発足後も、入植者保護の為にイスラエル軍が駐留し、しばしば空爆を行っていた。


 2005年8月までにイスラエルは全てのユダヤ人入植地を撤去、9月には全陸軍部隊をガザ地区から撤退させた(ガザ地区撤退計画)。しかし、直後にイスラーム過激派ハマスが選挙で勝利してパレスチナ政府の与党の座に就くと、イスラエルは態度を硬化した。

 2006年6月末にはハマース系武装勢力に拉致されたイスラエル兵士1名を救出するため、戦車隊を含む陸軍が侵攻した(ガザ侵攻)。その後もハマスによるイスラエルに向けた攻撃とイスラエルによる攻撃は断続的に続いている。

 ガザ地区の住民は、原則としてこの地区から自由に外に出ることはできない。


 2008年1月9日に、アメリカ合衆国のジョージ・W・ブッシュ大統領のイスラエル及びパレスチナ歴訪を機に、ハマスはイスラエルへのロケット弾攻撃を行った。イスラエルは報復にガザ地区を完全封鎖し、国連の援助車両さえ閉め出された。1月15日には、イスラエル軍がガザ市街地に侵攻。連日空襲を行っている。1月20日には封鎖により燃料が底を突き、ガザ地区唯一の発電所が操業を停止した。この結果、パレスチナの電力の1/3(イスラエル側の主張によれば、1/4)が供給されなくなった。

 2008年1月23日、エジプトとの国境の町ラファハで検問所近くの壁が爆破され、ガザ住民がエジプト側に流入した。エジプト側は、当初は住民への同情もあり、非武装である限り容認した。1月25日に規制を始め、ハマスの同意を得た上で、2月3日に再封鎖された。


 イスラエルは2月27日より、ハマース側のロケット弾により犠牲者が出たことへの報復として、空襲を激化させ、さらに3月1日には地上部隊を侵攻させた。2月27日より、地上部隊を引き揚げた3月3日までの6日間だけで、パレスチナ側は110人以上、イスラエル側は3人の犠牲者が出ている。イスラエルのバラク国防相は3月2日、攻撃を続ける意向を示した。未成年者の犠牲者が相次いでおり、イスラエルの無差別攻撃も指摘されている。また、エジプトは負傷者の手当のため、一時的に検問所を開いて往来を認める措置を取った。

 2009年1月4日の早朝にイスラエル軍が侵攻を開始した(2009ガザ侵攻)。


 2014年7月7日にはハマス側がイスラエルに対してロケット弾攻撃を開始、イスラエル側も密輸用のトンネルなどの施設を目標に空爆を開始して大規模な武力衝突に発展した(2014ガザ侵攻)。

 2018年3月30日、イスラエルとの境界線付近行われた数万人規模のデモ隊の一部とイスラエル兵が衝突。催涙弾や実弾によりパレスチナ人15人が死亡、1400人余りが負傷。

 2018年5月14日、アメリカ合衆国が駐イスラエル大使館を公式にエルサレムに移転した。これを受けてガザ地区とイスラエルの国境沿いでパレスチナ市民がデモを行い、イスラエル軍の狙撃手が非武装のパレスチナ市民61人を殺害した。-wikiより抜粋




今回の戦闘に至るまでの過程

 イスラエルとパレスチナはこのように長年の緊張状態にあり、今回の軍事衝突も緊張の延長線上にある。

 イスラム教徒のラマダン(断食月)が始まった4月中旬以降、東エルサレムで夜間にパレスチナ人とイスラエル警察の衝突が起きた。警察側がパレスチナ人の集会を阻止するため旧市街の入り口の1つ、ダマスカス門にバリケードを設置して封鎖したためである。

 パレスチナ人はバリケードを集会の自由に対する制限措置とみなし、警察は秩序維持のために配置についていると主張した。


 さらに緊張を高めたのは、東エルサレムの住宅で暮らす複数のパレスチナ人家族の立ち退きを求めてユダヤ人が起こした訴訟を巡り、イスラエルの裁判所がユダヤ人の主張を支持する判決を下したことだった。

 衝突は旧市街のアルアクサ・モスクがある地域にも拡大。アルアクサ・モスクは、イスラム教にとって3番目に神聖とされ、イスラエルとパレスチナの対立に最も影響を受けやすい場所にある。この地域や旧市街近辺の衝突により、多数のパレスチナ人が負傷している。


 ガザを実効支配するイスラム組織ハマスや他の武装組織はイスラエルに対して、エルサレムで起きた暴力的な衝突は「越えてはならない一線」であり、イスラエル警察がアルアクサ・モスク境内への侵入をやめない場合、ロケット弾を発射すると繰り返し警告していた。

 そしてイスラエルが1967年の中東戦争で東エルサレムを奪回したことを記念する「エルサレム・デー」だった5月10日、ハマスと武装組織「イスラム聖戦(PIJ)」はエルサレムと周辺地域に向けてロケット弾攻撃を行った。

ハマス指導者のイスマイル・ハニヤ氏は、イスラエルがエルサレムとアルアクサで先に武力を行使し、ガザに飛び火させたと非難。「それがもたらす結果に責任がある」と強調した。


その数時間以内にはイスラエルの軍用機がガザの軍事目標に対する空爆を開始し、軍当局は人口密集地なので民間人の犠牲者が出ることは否定できないとくぎを刺した。これ以後戦闘は激しさを増している。


 何人かのイスラエルの評論家は、イスラエルの政局が流動化しているのをハマスが行動の好機とみなした可能性もあると指摘する。イスラエルでは大統領が野党指導者に組閣を指示しており、ネタニヤフ首相が退陣する可能性が出てきている。ネタニヤフ氏が自身の汚職疑惑を巡る裁判に気を取られた影響で、エルサレムで緊張が高まり、それがガザに波及したとの見方も聞かれる。


 エルサレムは政治、歴史、宗教全ての面で、イスラエルとパレスチナの幅広い対立の中心に位置する。

 旧市街の真ん中にある「神殿の丘」は、世界中のユダヤ人にとってユダヤ教の最も神聖とされる一方、イスラム教徒にとっても大切な場所だ。そこには古代のユダヤ神殿が置かれていたほか、「岩のドーム」とアルアクサ・モスクというイスラム教の2つの聖地が存在するからだ。


 キリスト教徒にとってもエルサレムは、キリストが説教し、処刑された後に復活したとされる場所と信じられているだけに神聖視されている。

 イスラエルはエルサレムを永遠かつ不可分の首都とみなし、パレスチナ人は東エルサレムを将来樹立する正式国家の首都にしたい考え。イスラエルによる東エルサレム併合は、国際的には承認されていない。-ロイター(@ReutersJapan)の記事から抜粋

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