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第??話 一周年記念SS!
アレコレと悩ましい思いにやきもきさせられた高校二年生の一学期も終盤を迎えた、ある日のことだった。
心身ともに心地よい……とは言い難い疲労を覚えていて、さっさと家に帰ろうと思っていた矢先に『それ』が目に入ったのは。
期末試験を終えて日常に復帰し、授業を終えて、アルバイトを終えた。
あとは家に帰って家事をやっつけ予習復習と、『まだ色々やることあるな』とげんなりしていた。
とっくに日もくれたというのに湿気を帯びた熱気がまとわりついてくる不快感に、『
それはともかくとして、だ。
今は目の前の『それ』が問題だった。
どうして『それ』が気になるのか、その場で腕を組んで考えてみて……おもむろにポケットから取り出したスマートフォンをチェックして、ようやく得心が行った。
なるほど、そういうことか。
「ふむ……」
迷った。
迷ったすえに、勉は『それ』を買い求めた。
自分はいったい何をやっているのだろう?
自分はこんなことをする人間だっただろうか?
何度も首をかしげながら帰途についた途中でポケットに突っ込んだスマホが震えた。
『明日ひま?』
そんなメッセージがディスプレイに表示されていた。
★
「こんにちわ、狩谷君」
明けて翌日、勉の自室を訪れたのはひとりの美少女だった。
丁寧にくしけずられた、腰まで届く艶やかな黒髪。
薄手のブラウスを内側から大いに盛り上げる胸元。
ショートパンツから、長くて白い脚が伸びていた。
顔面の造形に隙はなく、浮かぶ笑顔に作り物感はない。
『
昨年の文化祭で開催されたミスコンの覇者であり、今は既に消去された伝説的エロ系自撮り画像投稿裏垢主であり、そして今は勉の恋人であった。
……一番最後のくだりが一番現実味がない。
付け加えるならば、昨夜のメッセージの送り主でもあった。
夏の暑さをものともしない風情で上がり込んできた彼女の手元を見て、勉は眉を顰めた。
飾り気のない小さな白い箱。
――ん?
『ひまか?』と問われて『ひまだ』と答えた。
『だったら明日、家に行くから』と続けられた。
それが昨夜のこと。
わざわざ手土産を持ってくるとか、そういう話は一切なかったはずなのだが……
怪訝な勉の眼差しに気づいたらしい茉莉花が、笑顔とともに箱を掲げた。
「これ、おみやげ」
甘やかさと涼やかさが程よくブレンドされた耳に心地よい声。
何度聞いても、どれだけ聞いても決して飽きることはない声。
「そうか」
『中身は何だ?』とは問わなかった。
首をかしげる茉莉花を冷房が効いたリビングに案内し、自身はキッチンに。
コップをふたつ用意して、冷蔵庫を開ける。冷えた麦茶と――昨日買い求めた小さな白い箱。
「この季節、冷たい麦茶が最高よね……って、あれ?」
両手に全部持ってリビングに戻ると、茉莉花は大喜びで迎えてくれて、再び首を捻った。
さらさらと流れる黒髪を軽く指で梳き、対面に腰を下ろした勉をのぞき込んでくる。
「これって、ひょっとして……」
勉は無言で首を縦に振った。
ふたりの前には、ふたつの小さくて白い箱が置かれている。
ふたりは同時に持参した箱を開けた。
勉の箱から現れたのは――苺のショートケーキ、ふたつ。
茉莉花の箱から現れたのは――ザッハトルテ、こちらもふたつ。
「狩谷君、これ……」
「その……今日で一か月だからな。こういうものもいいかと思ったんだが」
「覚えててくれたんだ!」
向けられる眼差しに頬が熱を持った。
思わず視線を逸らしてしまったし、声は震えてしまった。
それでも、感極まった表情で口元を抑える茉莉花を前にすると喜びが胸に溢れる。
暖かい気持ちは、以前の自分とは縁がなかったもの。
持て余し気味になることはあるが、決して不快なものではない。
「まぁ、その……俺たちが付き合い始めて、今日で一か月だ」
同じことを二度繰り返した。
気恥ずかしさはあったが、大切なことでもあったから。
「うんうん」
「それくらいは、さすがに覚えている」
「何か狩谷君らしくない気もするけど……嬉しいね」
「心外と言いたいところだが、らしくないことをしている自覚はある」
茉莉花との交際一か月記念を祝うためにケーキを買おうと思った。
そんな浮かれたことを考える自分に戸惑いを覚えたことは間違いなかった。
「ごめん、そんなつもりじゃなくって。ホント嬉しい」
でも――
「被っちゃったね」
「そうだな……」
お互いにふたつずつケーキを買って、今ふたりの目の前には四つのケーキが並んでいる。
もちろん全部甘味だ。
季節は夏。
冷蔵庫があるにしても、早めに食べた方がいいことは確かだった。
「まぁ、ふたつぐらい大丈夫だろう」
「男子的にはそれでよくても、女子的にはアウトだから」
「そうなのか?」
「そうなのです。でも……まぁ、明日カロリー消費すれば辻褄は合うか」
「無理して食べなくてもいいぞ」
「せっかくの記念なんだから、食べるし」
意地になっているらしい。
翻意を促すのは難しそうだった。
本人がいいと言っているのだから、いいのだろう。
蒸し返すとロクなことにならないと直感が囁いていた。
「とりあえず麦茶を持ってきたが、別の飲み物がいるな」
「う~ん、これは紅茶の気分」
「ティーバッグしかないけど、かまわないか?」
「問題なし!」
了解を得て腰を上げ、キッチンでお湯を沸かしながら紅茶の準備をする。
普段は麦茶とパックのアイスコーヒーだけで夏を過ごしているが、昨日ケーキを買った帰りに思い立って紅茶も買っておいた。
茉莉花には秘密である。
★
「狩谷君ってチョコレートが好きなのかと思ってた」
アイスココアよく飲んでるし。
茉莉花がそう言うと、
「立華こそ、苺が好きなんじゃなかったのか?」
いちごミルクを飲んでいるところをよく見るのだが。
そう言い返して――ふたり揃って吹き出した。
「お互いに、相手の好きなものを買ってきたんだ」
息が合うね。
茉莉花が微笑み、勉は苦笑を返した。
勉は茉莉花が買ってきたザッハトルテを、茉莉花は勉が買ってきた苺のショートケーキを皿に取った。
軽く紅茶で喉を湿らせてから、フォークでケーキを口に運ぶ。
濃厚なチョコレートの甘味が――実に美味だった。
「うまいな」
「うん、おいしいね」
しばしふたりでケーキを堪能していると、
「狩谷君って、結構ケーキ食べたりするの?」
唐突に茉莉花がそんなことを聞いてくる。
「まさか、男のひとり暮らしだぞ。ケーキなんて普段は食べない」
同じ金額を出すならば、もっと腹に溜まるものを食べる。甘味よりも肉がいい。
思い返してみても、ひとり暮らしを始めてからケーキなんて買った覚えがない。
「だよね。でも、これ結構有名な店の奴じゃない?」
「そうなのか?」
「……知らずに買ってきたんだ」
「知らないから買ってきたとも言えるな」
道を歩いているとケーキ屋を見かけ、『そういえば明日は付き合い始めてから一か月だな』と気付いて『記念日と言えばケーキだろう』と思い立って店に入り、ケーキの横に飾られている値札に記載されていた金額に目を剥かされた。
苺のショートケーキがこんなに高いとは。
思いっきり驚かされた勉だったが、単に高級店だったらしい。
豪華な造りの店だなとは思いはしたものの……この手の店は大体華やかな装いだから、そんなものだろうとあまり気に留めていなかった。
「う~ん、そういうところ、凄く狩谷君っぽい」
お金の使い方が男の子。
なんとも反応に困るコメントだった。
お返しに茉莉花が買ってきたケーキの箱に目をやるも、どんな店なのか理解が及ぶはずもない。
――うまいから、別に問題ないな。
ひとり納得していると、茉莉花がケーキを突き刺したフォークを突き付けてくる。
「……立華?」
「あ~ん」
尋ねては見たものの、尋ねなくとも状況は理解できた。
――これは、アレだ。漫画で見た。
いわゆる食べさせ合いっこ。
甘ったるいカップルとかがよくやっている奴。
まさか自分がそんなことをすることになるなんて……と慄きはしたが、よく考えるまでもなくふたりは付き合っているのだ。
別に食べさせ合いっこをしたところで驚くことは何もない。
頭ではわかっていても――身体が上手く動いてくれるかどうかは話が別だった。
ずり落ち気味な眼鏡の位置を指で直し、紅茶を口に含んで心を落ち着ける。
「狩谷君……そんなに動揺しないで」
「あ、ああ。わかっている。わかっているが……少し待ってくれ」
「あ、うん、ごめんね。いきなり難易度高かった?」
「そんなことはないが!?」
「ムキになりすぎ」
呆れ気味な茉莉花に向かって口を開くと、やや強引にケーキを突っ込まれた。
思っていたほど甘くはなかった。サッパリとしている。
勉の記憶にある苺のショートケーキとはずいぶん違う。
なるほど、これが高級店の味かと妙に納得してしまった。
そして、意外だったことがもうひとつ。
「えらく強引だな」
茉莉花が手慣れていない。
かつては恋愛強者として数多の男子と付き合ってきた経歴を持つ割には。
何かにつけて経験の差を見せつけられることが多かっただけに、雑なやり口に違和感を覚えた。
「……だって、初めてだったし」
「む?」
「ケーキの食べさせ合いっこなんて、やったことなかったし」
「……それは、意外だな」
失礼なことを口にしている。
そんな自覚があったのだが。
「私もそう思った。これまでだって真剣に付き合ってきたつもりだったのに……」
整いすぎた顔に浮かんでいるのは複雑な感情だった。
驚きと戸惑い、自分に対する不信。勉に読み解けるのはその程度だった。
茉莉花はその恋愛遍歴とは裏腹に、過去に付き合ってきた異性と勉を比較する言動をしない。
かつて茉莉花が交際してきた男子たちのことなんてどうでもいいと言えば嘘にはなるが、その時々で常に真摯であったことは彼女の好ましい一面であるとも思っている。
――いずれにせよ、済んだことだ。
「狩谷君、何も言わないんだね」
「立華が適当に男子を弄んだりしない人間だとわかっているし、誇らしいと思っている」
「……そういうところが、凄く狩谷君だね」
変な褒められ方をしてくすぐったかったので、茉莉花の口にザッハトルテを突っ込んだ。
「理解のある彼氏って素敵だ」
もぐもぐ、ぺろり。
ケーキを飲み込んで、唇に残ったチョコを舐めて。
茉莉花が吐いたセリフは、ケーキ以上に甘かった。
「……」
「ね、そう思わない?」
「立華がそう思うんなら、そうなんだろうな」
「素直に喜ぶところだと思うなぁ、ここは」
暖かい笑顔を向けられて頬が熱を持つ。
明らかに揶揄われている。
余計なことを口にすると、ドツボに嵌る。
これまでの付き合いでよくよく理解させられていたから、勉は紅茶を飲むふりをしてやりすごした。
茉莉花は茉莉花で、『そんなことはお見通し』と言わんばかりの顔をしていて、サラリと話題を変えてくる。
「う~ん、やっぱりふたつ一気に食べるのは無理そう」
平らかで贅肉のないおなかを抑える仕草が、やけに扇情的に感じられた。
ブラウスに隠された素肌を、直に目にしたことがあるせいかもしれない。
「……どうする?」
勉の家と茉莉花の家は結構距離がある。
季節は夏。保冷剤抜きで持ち運ぶのは難しい。
「軽く夕飯を頂いて、そのあとにデザートとして食べよう。だから今日は泊めてね!」
「送っていくから帰れ」
「ちょっと、なんでそうなるの!?」
「なんでって……立華、お前何も用意してきてないだろ」
「あの日だって何も用意してなかったけど?」
あの日。
つい先日、六月のある日。
大雨で電車が止まって、茉莉花を家に泊めた日。
あの時の彼女はとても積極的で、あと少しで一線を越えてしまうところだった。
あの夜のことを思い出そうとするだけで身体は熱を持ち、眼鏡のレンズが曇ってしまう。
――まだ一か月しかたっていないのか……
あれ以来、茉莉花はそっち方面で勉を挑発することはなくなっている。
ホッとする反面、もの悲しさを覚えていることも確かだった。
矛盾しているが仕方がない。
「……とにかく、あの日の二の舞はやめようと言う話なんだが」
「ぶ~」
「むくれてもダメだぞ」
などとカッコつけつつ、心の中でため息ひとつ。
『茉莉花が泊まりたいと言うなら、素直に泊めてやればいいだろう』という本音を飲み込んでいるだけに、声に力がこもらない。付き合う前は、もっと性欲に忠実だった気がするのだが……今は茉莉花に欲望をぶつけることに、少し躊躇いを覚えるようになった。
自分の心の問題のはずなのに、つくづくわけがわからなかった。
「覚えてなさいよ、狩谷君」
そんな茉莉花の声が、妙に耳に残った。
軽く眉を顰めたものの、茉莉花は特に何も言うわけでもなくケーキを口に運んでいる。
機嫌を損ねたわけではなさそうなので、ホッとひと息ついて勉も甘味を堪能した。
……彼女の言葉の真意を勉が理解するまでには、まだ数日の時間を要することになる。
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