第271話
不安そうなシャルと共に建物の中に入る。
新しい孤児院の建物は元々はただの平家だったのか、細かく改装してそれらしくしているのが見える。
まぁ商人も元々狙っていたわけではないだろうし、元々持っていた建物を改装する以外には取れる手がなかったのだろう。
建物自体は比較的小綺麗で、ほんの少し視界の端に聖書や小さな神像が見える。
建物も土地も何もかも前の孤児院とは違うはずなのに……なんとなく前に見た光景に似ているように思う。
シャルはそれに目を向ける余裕はないらしく、案内された部屋に急いで入る。
「院長先生っ!」
勢いよくシャルが扉を開けると、以前も痩せていた老人がより一層に頰をこけさせていた。
シャルと同い年の少女は以前よりも血色がよく体も大きくなっていたので……食事が足りないという理由ではないだろう。
院長は俺とシャルを見て少し驚いた表情を浮かべてすぐに微笑む。
「こら、シャルさん、ノックもせずに扉を開けるなんてはしたないですよ」
「えっ、あっ、す、すみません。その……急いでいて……」
「言い訳もしない」
シャルはゆったりとした椅子に座っていた院長にペコリと頭を下げて、心配そうに隣に寄る。
「あっ、えっと……失礼ですが、体調が優れないという話を聞いて……」
「……それより前に言うことがありますよね」
「あっ、す、すみません。……ただいまです。遅くなりました」
「おかえりなさい、シャルさん」
院長はシワのある顔を柔らかく微笑ませる。
いつもしっかり者のシャルが叱られっぱなしという珍しい光景に少し驚きつつ院長を見ると、多少やつれては見えるがそんなすぐに死ぬというほどではないだろう。
……まぁ、幼い子供からしたら……頼りにしている大人が痩せていっていたら過剰な反応にもなるか。
シャルも院長がそれほど良くない状況でもないことに気がついたのか、安堵の笑みを浮かべた。
あまり邪魔をしたくないが、何も言わないのは不躾かと思って口を開く。
「あー、お久しぶり……です」
シャルの親代わり……つまり俺にとっては一応は義母のような人物であることから不慣れな敬語を使って話す。
「あれ、ランドロスさんですか? 目が……治ったんですね」
「……ああ、迷宮国には腕のいい治癒魔法使いがいてな。……いまして」
「それはよかった。……あれ? なんで敬語なんですか?」
一瞬の緊張。「もしも反対されたら」という悪い考えのせいで妙な間が空いて、嫌に喉が渇く。
不安がるな。否定されるのが怖くても堂々と振る舞えランドロス。
無理矢理、喉を震わせて唇を動かす。
「……いや、その……事後に報告という形になって申し訳ないのですが、結婚しまして……」
「えっ、私とランドロスさんがですか?」
「違う。何故そうなる。シャルとだ」
思わず素に戻りながらそう言うと院長は「チッ」と舌打ちをする。この人……この歳になってもまだ結婚を諦めていないのか……。
院長がシャルの方を見ると、シャルがペコリと頭を下げる。
「あ、えっと、ちゃんと連絡や相談しなくてごめんなさい」
「ああ、いえ、怒ってはいませんよ。シャルさんの意思が尊重されるべきですし、なかなか帰ってこなかったことなどで察してはいましたしね。流石に結婚……を本当にするとは思いませんでしたけど」
「あ、ありがとうございます」
騙していることへの心苦しさからあまりそちらの方に目を向けることが出来ずにいると、院長は小さくため息を吐く。
「まぁ……まさか孫ぐらいの歳の子に先を越されるとは思ってはいませんでしたが……。しかも玉の輿ですよね。……ランドロスさん、お知り合いに細マッチョのお金持ちイケメンとかいません?」
「そんなのいるわけ……いや、一人いるな」
シユウはイケメンで金持ちで細マッチョだ。致命的に性格が悪く、妻帯者ではあるし、あまりにも性格が悪すぎるが……。
「いるんですか!?」
「い、いや、性格が地獄のように悪いから、実質的にはいないと言うべきだな」
「性格なら矯正出来ますから、大丈夫ですよ」
アイツの性格を矯正……!? ……もしかして、これは人類のために紹介するべきなのでは?
いや、しかし……シユウの性格の悪さを考えると、流石の院長でも厳しい気がする。
それにシユウが実質的に義理の父のようになるのは俺も嫌だ。耐え難い。
「……いや、そいつも妻帯者だから……。ああ、それで事後承諾のような形にはなりますが、シャル……さんとの結婚を許していただけますでしょうか」
「私はシャルさんの親というわけでは……。いえ、でも、いい人でなければ反対していたでしょうし……。そうですね。……ふつつかな娘ですが、よろしくお願いいたします」
院長は白髪の多い頭を深々と下げる。
まさか頭を下げられて頼まれるとは思っていなかったので内心焦りながら頭を下げる。
「必ず、必ず、幸せにします」
そう言ってから院長とふたりで頭を上げてシャルの方に目を向けると赤く染まった顔を俺の方に向けて、恥ずかしそうにもじもじとしていた。
「あ、改めて……よろしくお願いします」
「ああ……。あー俺は少し院長と話したいことがあるから、シャルは先に他の子供達に会いにいったらどうだ?」
「えっ、あっ、でも……ランドロスさんと離れるのは……」
「明日には帰るんだぞ」
「そ、そう……ですね。では、お言葉に甘えさせていただいて……」
シャルは先程の少女に連れられて部屋から出て行く。
それから不思議そうな表情を浮かべている院長に顔を向けて、ゆっくりと口を開く。
「不躾ですが、シャルの両親について、尋ねてもいいですか?」
「ええ、もちろんいいですけど……。でも、おそらくは戦争で……」
「……それを含めて確かめたいのです。……何故両親は孤児院にシャルを預けたんですか?」
形式やら遠慮やらもない問いかけだが、あまり時間を割いていられないので仕方ない。出来たらシャルのいない間にしておきたいので仕方ない。
「戦争に行くことになったので、ですよ」
「女性が戦争に行くのは稀だ。よほど強いか、もしくは特別な役割があるかだが……。シャルの体格は小さく、魔力もない。兵士としての徴用ではないだろう……です」
「……そうなの……ですか?」
院長は少し驚いたような表情を俺に見せる。
……シャルを育てた人だから当然と言えば当然だが、この人もこの人で少し抜けているところがあるな。
まぁ……教会の関係者の聖職者だから戦争に詳しくないのは当然だろうか。
「……シャルの両親の職業は?」
「私と同じで教会の……」
「……それなら、そういう役割での徴用だろう。戦争後にも役割があるから、戦争が終わってからもしばらく帰ってきていなくてもおかしくない。……元々人間が大勝していた戦争で、後方支援の役目の人間が襲われることはほとんどないだろう」
ドカッと椅子に座り、気が抜けていく。予想は合っていた。シャルの両親はまだ生きている可能性が極めて高く……帰ってくるのももう、そろそろだろう。
いや、もうすでに帰ってきていたが、孤児院が移動したせいで少し時間がかかっているだけかもしれない。
「……あの、ランドロスさん」
「…………シャルの両親は、多分生きている。です。……よかった」
本当によかった。……シャルが取られることの不安もあるが、それでも、今は心底そう思える。
……よかった、と。
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