第247話

 階段を抜けた先、警戒しながら足を踏み入れた瞬間に感じたのは寒気だった。

 異質な光景であることよりも先に全身がびくりと震えるような寒さ。ネネは驚いて階段の方に飛び退き、鳥肌をゾゾゾと立てる。


 恐怖や脅威で寒気があるわけではなく、現実として寒い。けれども寒冷地のフロアというわけではない。


「……寒いな」

「ああ、まぁでも氷点下ってほどでもないな。……パッと見で室内っぽい階層だから驚いたが、実際は少し肌寒いぐらいだな」

「……コートとかないか?」

「そこまでは寒くないと思うが……」


 寒いのが苦手なのか? と思いながらネネにコートを手渡し、ネネが着込んだのを見てから中に入りなおす。


 やはり見た目が室内っぽい雰囲気だったから驚いただけでそれほど寒いというわけでもない。

 83階層は10階層と同じように巨大な建築物の中と言った様相の場所で廊下が狭いことや窓があまり多くないことを除けばよく似ていた。

 それに規則的に鳴っている不思議な音が聞こえてきて……どことなく不気味に思う。


 廊下が狭いのはあまり大人数が入ることを想定していないからだろうか。なのにその広さは……と考えていると、ネネが俺の前に出てきて短刀を構える。

 急いで空間把握の魔法を伸ばすと、奥に人影を見つける。


「……魔物か? いや、それとも神殿の……いや、一人というのは妙か……」

「いや、この足音は、あの女だ」


 俺がネネを庇うように剣を取り出しながら前に出ると、ネネが舌打ちをして庇うように俺の前に出てくる。俺が再びネネの前に出て、ネネが俺の前に出て……と競うようにしているうちに人影の方に近づくように走り出すことになってしまった。


 ……いや、なんで? と思うがネネを俺より前に出すのは不安だし……。と思っているうちに人影が近づき、ネネの身体を無理矢理抱き寄せて走るのをやめさせる。


「なんで走るんだ、ネネ」

「いや、私の言葉なんだが……なんで走るんだランドロス」

「お前が走るからだろ」

「いや、お前が走るからだろ」


 くそ、訳が分からない。ただ俺はネネを背に庇おうとしただけなのに……。そう揉めている間に人が近づいてきて、クスリと笑う。


「相変わらず仲良しだね。私は必死に庇い合ってる君達を今一番推してるかな」

「……管理者」


 昨日の物と似ているが少し違う服装。

 単に着替えただけだろう。大した違和感はないが、この階層の気温には少し合わない薄着である。


「やあこんにちは……で合ってる? いや、おはよう? それともこんばんは?」

「朝日が出たような頃合いだから「おはよう」かと」


 俺が管理者の問いに答えるとネネは俺の手を取ってその甲を抓る。


「何普通に話しているんだ」

「い、いや、普通に話しかけられたから。…….そもそも喧嘩をしにきたわけでもないしな」


 交渉に来たのだから無駄に戦う必要はない。管理者の方も俺から来たのに満足したのか戦いそうな雰囲気ではないしな。


 管理者はネネの方を見て軽く首を傾げる。


「あれ、昨日より随分と距離が近いね。おめでとう。それに格好が随分あったかそうだけど……。あっ、そうか、この部屋は寒いんだったね。ええっと、服……」

「……着るか? 男物だが」


 管理者に服を渡すと管理者はぎこちなく笑って俺の渡した服に袖を通す。


「何を施しているんだ」

「い、いや、寒そうだったしな」


 ネネに引っ叩かれていると、管理者はクスリと俺達を見て笑う。


「仲良しだね」

「……どうも、一応聞くが戦う気は……」

「ないよ。昨日も痛かったから振り払っただけだしね」

「……交渉するつもりなんだが、カルアを呼んできていいか?」

「ああ、うん。もちろんいいよ。あの子とは私も腰を据えて話したかったからね」


 ネネの方に目を向けると仕方なさそうに頷く。

 ドアノブの魔道具を使ってギルドと繋げると、シャルとカルアがパタパタと近づいてきて、シャルだけ手振りで来るのを止めてからカルアを中に入れる。


 それからすぐにカルア用に買っておいたコートを出してカルアに被せてマフラーを付けてやる。


「わわっ、寒いですね。……あ、昨日ぶりですね、管理者さん」

「そうだね、カルア」


 ジリジリと睨み合うような表情を浮かべたあと、カルアはちらちらと周りの様子を横目で探っていき、俺の服の裾を引っ張る。


「あの、ランドロスさん、何階層ですか、ここ」

「83階層だな」

「……管理者さんがいるのに、最終階層じゃないんですね」


 カルアが俺にそう尋ねると管理者が代わりに答える。


「ああ、85階層は私の個人的な部屋とか娯楽とかのための階層で84階層は兵器の開発用のところだからね。話をするならこっちの方がいいかなって」

「……そう、ですか。随分と寒いですね」

「そこまで寒くないと思うけど、10度ぐらいだしね。コンピュータと言っても分からないか、複雑な機械……カラクリ? に都合が良いのがこれぐらい室温でね。まぁ基本は水冷式で、室温の方は結露が起きなければ問題ない程度で」


 コンピュータ? 水冷式? とよく分からない言葉を管理者が発して、カルアなら分かるかと思って見ると、カルアはぶつぶつと言って考え込んでいた。


「……カラクリ、水冷、結露……。結露してはダメということは水に弱い? 錆びやすい金属製のもの……冷やす必要があるということは熱が発生する……炎は違うでしょうし……雷? 雷の力で物を動かしている?」


 カルアの言葉に管理者が驚いたように目を見開く。


「へー、今の言葉だけでそこまで分かるんだ。流石は救世主ちゃんだね」

「……どうもです。まぁ、未知の技術すぎて訳が分からないですけどね」

「そこまで分かったら化け物だよ」

「……まぁおおよそどういう物かぐらいは想像出来ますけどね。人の思考の代替を為したり、紙よりも小型の保存媒体といったところでしょう。その仕組みとしては先ほども言った雷の力で二進数を用いてあらゆる物を表現するといったところでしょうか」


 管理者の動きが固まる。


「……知ってるの?」

「いえ、単純に考えたらそりゃそうです。廊下を見るにそんなに多くの人が動けるようには出来ていませんしね。そうなると人の思考を代替するものと考えるのが自然ですし、無限に近い数の生命の情報を保存するなら紙よりも小型で膨大な知識を保有出来る保存媒体が必要になります。その保存するための文字も通常のものでは不可能ですし、どういう物が効率がいいかを考えるとどうしても二進数に至りますから」


 カルアはふんすと鼻を鳴らして俺にぺたりと張り付く。


「大真面目に世界を救おうとしてるんじゃなく、伊達や酔狂の片手間で世界を救おうとしてるんです。これぐらい出来なければ、ランドロスさんのお世話をしながらの救世なんて出来ないですよ」


 それは格好つけながら言うことではないだろう。

 管理者はカルアを見て明らかに狼狽た様子を見せる。


「……ランドロスにばかり注目してたけど……本当の化け物は君かもね、カルア」

「まぁ私は敵に回さない方がいいですよ。多くは望んでなく、安い物で動きますからね」


 カルアは俺を見てそう言う。まぁ……カルアも俺と同じで家族や仲間が一番という考えだしな。安い物で動くというのは確かではあるか。

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