第96話

 マスターの部屋の中で脚を組んで手を何度も開いては閉じてと繰り返す。


 身体の動かし方を思い出す。

 動きの鈍い指先を、関節に制限を感じる肩を、布を一枚挟んだような神経を、しっかりと一つ一つに意識を向けながらグニグニと解して、解したところを動かしていく。


 何度体験しても慣れない自分の身体を自分の物としていく感覚。


 歩いたりぐらいは出来そうだと思い、ベッドから立ち上がり、部屋の中をカクカクとした動きで歩き回り、少しずつ動きを微調整して元の歩き方へと戻していく。


 それから柔軟運動を繰り返し、呼吸や心音を意識しながらゆっくりと動きを整える。


「よし、歩けるな」


 身体に違和感があるのは変わらないが、誤魔化すことは出来る。頭がフラつくのと身体がだるいのは血が足りていないからだろう。ベッドから降りて適当に食料を取り出して腹の中に詰めていき、筋トレと柔軟運動を交互にやっていき、身体が動かなくなったところで回復薬を飲んで治してから再開する。


 酔ったような気持ち悪さを覚えながら、徐々に激しい運動に変えていき……突然部屋の扉が開き、怒った表情のネネが俺を睨んだ。


「……うるさい。寝れない」

「あー、悪い。歩けるようになってきたし、自室でやるか」

「……少しは落ち着けないのか」

「時間があまりないからな。早いうちに身体を戻したい」


 まだ俺のせいで眠れていなかったせいか、目に見えていつもよりイライラしている様子のネネが白い薄手の寝巻きの裾を押さえながら、俺の顔面を蹴ってベッドに倒す。


「そ、そこまで怒ることか?」

「……腕を貸せ」


 ネネが俺の腕を引っ張ったかと思うと、俺の背中側に回り込んで関節をおかしな方に曲げていく。


「痛い、痛……いたたたたた!!」

「うるさい。解してやってるんだから静かにしろ」

「痛い、千切れる。マジで、痛い痛い!」

「男なんだから我慢しろ」


 腕がギチギチとおかしな音を立てる。ネネ、もしかして俺の腕を引きちぎるつもりなのでは……と思っていたら、力づくでうつ伏せに寝かされて背骨を逆向きに曲げられる。


「し、死ぬ。折れる。折れる。背骨が……」

「……よし」


 あまりの痛みと苦しみにグッタリとしているとネネはそのまま俺の上から退いて、着崩れはだけた寝巻きを戻しながら部屋から出て行く。


 ……殺そうとしたわけではないのか……。そう思いながら起き上がると、明らかに先程までよりも身体がちゃんと動く。


 そんな技能があるのか……と思いながら身体を解しつつ、マスターの部屋から出る。


 ネネの部屋の扉を見て少し頰をかきながら言う。


「あー、ありがとう」

「うるさい。もう昼なのにまだ寝れてない」


 俺もそろそろ寝た方がいいか。完全に昼夜が逆転してしまっているが……。まぁ、無理矢理、数日の間に身体を元の調子に戻していくのだから、昼夜を考える必要はないだろう。


 とりあえず疲れたら寝て、腹に食えるだけ物を詰めて、身体をひたすら動かして元の調子に戻す。

 それ以外のことには頓着しない方がいいだろう。


 部屋に戻ってカルアのベッドに倒れ込む。カルア臭がする。


 カルアも何か考えがあるのかイユリと話に行っているし、シャルも心配そうにしながらも帰ってきていない。


 ……ちょっとカルアのベッドでカルアの匂いに包まれながら眠るぐらいはバレないだろうし許されるか。

 カルアの枕に顔を埋める。なんとなく落ち着く。


 ……マスターとはなんだかんだと喧嘩をしているみたいな状況になってしまったな。……事が済んだら、必死に謝って許しを乞おうか。

 多分……謝り倒せば許してくれるだろう。


 そんなことを画策しながら目を閉じると、ズボンのポケットに何か違和感を覚えてポケットに手を突っ込む。

 異空間倉庫があるからポケットに物を入れることがないんだが……と、思いながらポケットの中身を取り出して見てみる。


 ……マスターの写真である。ネネがミエナから取り上げたという、今よりも少し幼いマスターがスカートがめくれていることに恥ずかしがって顔を赤らめている写真だ。


「……」


 そういえば、ドサクサですっかり忘れていたが、ネネが脅しのために俺のポケットに突っ込んでいたな。

 ……あの後、ネネもその存在を忘れていたことで、渡すつもりがなかった俺の手の中に収まってしまったということだろう。


 …………いや、落ち着け。

 写真の中のマスターは今よりも幼いし、可愛いだけだ。エロくはない。まったく、一切。俺はロリコンではないから、何も感じない。


 一応は喧嘩中の相手の写真に欲情するというのも、そんな節操のない奴でもない。


 体力をつけなければいけないわけだし……こんな生身でもない写真を見て興奮するなんて馬鹿らしい。

 こんなもの燃やして……いや、室内で火はダメだな。

 破いて……も、マスターの写真を破くのには抵抗がある。


 いや、こんな盗撮写真なんて取っておかない方がいいに決まっている。無くしてしまった方がいいものだ。この世に存在してはいけない。


 …………まぁ、破くだけなら復元が容易なので、燃やした方がいいし、ここで燃やすのは危ないので、とりあえず異空間倉庫に隠して……いや、一時保管して……。

 ポケットに入れていたせいで少し端が折れてしまっているので、他の紙の物に挟んで伸ばしてから異空間倉庫に入れる。


 ……違う。違う。別に大切に保管しようとしているわけじゃない。闘技大会が無事に終わった後にじっくり見ようとか思ってない。


 目を閉じて無理矢理眠った。



 ◇◆◇◆◇◆◇


 何日もかけて動き続けてきたので、身体の調子は十分に戻ってきた。

 闘技大会は明日だ。……俺はもう棄権ということになっているので、調査に本気を出しても大丈夫だろう。


 夜中に自室から抜け出して、闘技大会の会場近くを歩く。

 ぬるい空気が肌に張り付く。


 こちらの空間把握を、逆に見られることを思うと、あまり軽率に使うべきではないかもしれないと思いながら、ゆっくりと枝葉を伸ばすようにして空間把握の魔法を使い、闘技大会の会場近くにおかしなものがないかを確認していく。


 ……夜遅いためだろう、人気はない。おかしなものはなく、安堵と不安の混ざる湿っぽい息を吐き出した。


 ……何もなければ、それでいい。シルガが爆発四散しても生きているなんてバカな妄想だったと笑えるならそれでいい。


「……守ろう。この街を……いや、違うな。マスターを」


 そう決意しながら、誰もいない街の中をゆっくりと見落としがないように見張っていった。

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