第55話
三人でギルドに戻ると、酒と人の匂いがしてほんの少し落ち着く。人は前に孤児院から戻ってきたときよりも減っていて、どうやら迷宮探索の仕事に行っているらしい。
普段よりも人の少ないギルドハウスは、ちゃんとみんなが働ける状況になった証左であり、喜ぶべきことなんだろうが……やっと帰ってきたのに、みんなの顔を見れないというのは少しだけ寂しい。
厨房の方に向かうメレクを横目で見つつ、キョロキョロと見回してマスターを探す。
無駄足だったが、無駄足だったからこそ、頑張ったことをマスターに褒めてもらわないとやってられない。
そう考えていると、テーブル席に座って事務作業をしているマスターと、その隣で酒を飲みながらマスターに絡んでいるミエナの姿が見えた。
「ますたぁ、わたし、行くつもりだったんですよ? 報酬のますたぁのちゅーをもらうために、なのに……なのに……カルアちゃんに横取りされたんです……。可哀想だと思いません?」
「もうその話は何度も聞いたよ……。そもそも何だけど、何でもって言っても常識の範囲内だよ。ちゅーはしないから」
「そんなぁ……わたしは、わたしは……」
……うわぁ……。と、思って口元を歪ませて引いていると、カルアに「ランドロスさんもあんな感じですよ」と言われるが、違うだろう。俺はキスを要求したことはない。
ドン引きしながらも歩を進めると、足音に気がついたらしいミエナと、そのミエナの反応で気がついたマスターがこちらへと振り返る。
「あ、ランド、それにカルアちゃんも」
「……今、帰った。ネネとメレクも無事だ。……一応、初代とは会って少し話をして、注意を促してきたんだが……無駄足だったか」
「あっ、おつかれ、二人とも。ごめんね……まさかこんな呆気なく終わるなんて思ってなかったんだ。どうにも迷宮を管理してる兵士さん達と勇者が揉めたみたいで……」
まさか、ネネの予想が正解だったとは……。近くのテーブル席に座り、グッタリともたれかかった。カルアは俺に続いて座ることはなく、申し訳なさそうにミエナへ頭を下げた。
「すみません。飛び込んでしまって……」
「いいんだけど……報酬のマスターに何でもしてもらえる権利を売って? お金なら幾らでも出すから」
「ええ……いえ、お金は困っていないので……」
……いや、お前は無一文だよな。俺の金だよな? その困ってないという金は。
カルア……完全にヒモの精神が心の奥底にまで染みついている。
「じゃあ、何だったら売ってくれるの!?」
「いえ、そもそも会えはしましたが、連れ帰ることは出来なかったので失敗かと」
「じゃあ、私がマスターにちゅーしてもらうのはどうなるんだよ!」
「ええ……。いや、ええ……」
怒り出したミエナにカルアはドン引きして、助けを求めるように俺の方をチラチラと見てくるが、俺も疲れていてミエナの相手を出来るだけの元気はない。
さっさと自室に戻って寝たい。
「いや、流石に報酬は出すよ。お願いして無駄足を運ばせてしまったからね。何かほしいものとかある?」
「うーん、そうは言いましても……今疲れてるので変なの要求してしまいそうで。一度寝てから考えていいですか?」
「ああ、もちろん。ランドロスもそうする?」
「ああ……そうだな。なんだかんだと疲れた。基本的にずっと眩しいしな。目が怠い」
膝枕をしてもらいながら頭を撫でてもらうつもりだったが、今それを頼むと普通に寝てしまってふとももの感触などを思う存分楽しむことが出来ないだろう。
頼むのならば、しばらく寝てぱっちりと起きた状態でそれを頼みたい。
「じゃあ、またね。別に報酬じゃなくても労いぐらいはするから、起きたらまた来てね」
「ああ、カルアも行くか」
カルアを連れて寮の方に行こうとした時、後ろから首をメレクに掴まれて持ち上げられる。
「……どうした?」
「帰ったら説教と言っただろ。ああ、カルアは寮に戻って寝てな」
「……ええ、俺も早く寝たいんだが」
「ダメだ。早いうちに言っとく必要がある。あとマスターにも聞いてもらうか」
「俺、なんか悪いことしたか?」
メレクに運ばれてマスター達の席の前に戻されると、すぐに給仕の人が酒と料理を持ってきた。先にメレクが注文していたのだろうが……手際がいいな。
促されるまま酒を飲み、マスターとミエナに不思議そうな視線を向けられながら、メレクがポツリと口を開く。
「……ランドロスお前な……カルアのことをどう思ってんだよ」
「どうって、何がだ」
質問の意図が分からずマスターとミエナの方に助けを求めるように視線を向けると、二人も余程興味があったのか、作業している手を止めてこちらを見ていた。
「……いや、カルアはお前のことを好いてるだろ。どう見てもどうするつもりなんだよ」
「そりゃ仲間なんだから俺も好きだが……」
意味が分からずに酒を飲みながら答える。ああ、迷宮では飲まないからか、ヤケに旨く感じる。
何故かミエナが呆れたように俺を見る。
「……いや、女の子としてって意味でしょ。さっきとかすごい距離感近かったし、むしろ付き合ってないの?」
「付き合うって、ミエナお前……ごほっ」
少し驚いたせいで酒が気管に入り込む。
ゆっくりと息をして、落ち着いてからミエナの方を見る。
「……あのな、カルアが俺のことをそういう意味で好きなわけがないだろ。仲良くはしているが、そういう関係ではなく、友情だ」
カルアがこの場にいなくてよかった。カルアがいたら「何を言ってるんですか! こんなアホと、そんなわけないじゃないですか!」と罵られているところだ。
俺がコップを開けるとメレクが次の酒を出してくる。
「でも、カルアちゃんは可愛くない? ちっちゃくて細くて、目がくりくりしてて、ランドもああいうの好みでしょ? 見たところ」
「見た目の話じゃないだろ。そりゃ……容姿は整っているし、可愛いとは思うが」
疲れた体に酒気が行き渡っていくのを感じる。
確かに見た目は可愛いと思う。小柄だし、白い髪も綺麗で、青い目も思わず見惚れてしまう。
特に笑顔は可愛いし、自信ありげに笑う姿は好きだ。
「でしょ?」
「……あまりそういう風に考えていたら、意識してしまいそうだからやめてくれ」
「いやお前な……」
メレクは酒を飲みながら、骨付き肉で俺の方を指して呆れたような表情をする。
「カルアの方はお前のことが好きだぞ。どう見ても、明らかに」
「……そんなことはないだろ」
「いや、どう見てもホの字だ。なぁ」
メレクが二人の方を向くと、二人は当然のことのように肯く。
「むしろ、あれだけアピールされていて気が付かない奴がいるのが驚きだ。見てて可哀想だから振り向いてやれよ」
「…………嘘だろ?」
「いや、本気で。どうするつもりなのかぐらいは決めてやれよ」
「……いや、俺は好きな娘がいるし、それはカルアも知っていて応援してくれているんだが……」
ドン、と机が叩かれる音がして、驚いてそちらに目を向けると、すでに酔っ払った様子のミエナが怒った様子で俺を見ていた。
「そりゃあ、応援するよ! 応援するに決まってるじゃんか! 好きな人の恋だよ? 幸せにはなってほしいし、反対して嫌われるのも嫌に決まってる。私もマスターに好きな人が出来たって相談されたら、絶対に応援するよ。でも、心の奥底では嫌に決まってるよ」
「……これ、冗談とか一切ない本気の話しなのか?」
「何を今更……」
メレクは俺を見て溜息を吐く。
……あのカルアが俺のことを好き……。あまり実感が湧かない、自慢げに笑うカルアの顔や、手や体の温もりを思い出して……勢いよく、酒を飲んだ。
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