夜鳴き箱(2)
「もういいです。ここに座っていられると僕が店主に叱られるんですよ。とりあえずどいてもらえませんか。物乞いならガクシュの町の方が効率がいいですよ。ここの店主はドケチですから」
ぶつりと、紐をちぎるような音がした。
「とりあえずお守りをお貸ししますよ」
先ほどシハルが手に握りこんでいた何かだ。反射的にそれを受けとってしまったが、そのあまりの禍々しさにぞっとした。
「これ――すごい不細工ですけど」
「どれ? ああ、ほんとですね。これはものすごい不細工です」
シハルの持ち物のはずであるのに、まるで初めて見たかのような反応をする。やわらかい粘土でつくった何らかの動物を子供が手で握りつぶしてしまったかのような物体だ。材質は土だろうか。四つ足だが足は短く、口が呆けたように丸くあいていた。見ているとだんだん馬鹿にされているような気持ちになってくる。
「僕、ちょっと腹が立ってきました」
「奇遇ですね。私もです」
本当にイラだっているのか例の赤い紋様のあたりに小さく皺を寄せている。シハルが持っていた物なのに何かと言動がおかしい。
「これ、お守りなんですよね」
ウイルドが念を押すと、シハルは少し首をかしげた後にやや心もとなげに頷いた。ウイルドも不安になる。今の状態がどうにかなるのであれば小さな可能性にも縋りたい心境だが、このお守りはむしろ害をなすのではないか。
「たぶん大丈夫です。悪霊には悪霊ですよ。では、ちょっとそこの草を食べてくるので」
そういうと案外身軽な様子で立ちあがる。やはり長身だ。大きな薬箱を軽々と背負い荷物をまとめると本当に店の横手の草むらに入っていく。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。悪霊って何ですか、悪霊って」
そのとき、店の方から怒声が響き渡った。
「ウイ! どこだ、ウイ! 全然掃除が終わってねぇじゃねえか」
大店の主人というよりはチンピラである。ウイルドは震えあがった。シハルと話しているうちにずいぶんと日が高くなっている。店を開ける準備は何一つ終わっていない。どんな懲罰が待っているかと考えるとこのまま走って逃げだしたくなる。
だが、そういうわけにもいかず、ウイルドはお守りをポケットに押しこむと店に駆け戻った。
「何やってんだ」
丸太のように太い腕がウイルドの胸倉をつかみあげる。
「す、すみません。物乞いがいたので追い払うのに時間がかかりました」
事実とはやや違うが、まるっきり嘘というわけでもない。
「物乞いだと? どこへ行った」
「もういなくなりました」
どうかシハルがおとなしく草を食べていてくれますように。今出て来られると話がややこしくなる。ウイルドは祈るような気持ちで店主の罵声を黙って浴び続けた。
「兄貴、もう店を開ける時間だぜ。そいつに早く準備させた方がいいだろ」
別の「従業員」がやや控えめに提言する。こちらも筋肉質なゴロツキといった風情の男である。
「おい、風邪薬が少ないぜ。店の掃除より薬の準備をさせた方がいいんじゃねぇか」
さらに別の「従業員」が騒ぎ出す。こちらは全身に入れ墨が入っていた。
ウイルドにとってはいつもの店の様子で慣れ切ってしまったが、店の関係者ではないシハルと話してから、改めて見るととても客商売をする人々には見えない。慣れというのはおそろしい。
「うるせぇな、てめぇら全員掃除して店をあけろ。ウイ、お前は風邪薬を作れ。品切れになる前に間に合わせろよ。在庫管理もてめぇの仕事だろうが。間に合わなかったら飯抜きだ」
癇癪を起したらしい店主が地団駄を踏みながら怒鳴り散らす。
ウイルドは何だか妙に冷めた気持ちで、粛々と薬の材料がある部屋に行く。風邪薬のもとになる薬草を確認しながらかごに入れていった。
「あれ? これは――」
ウイルドは風邪薬に必須のケゼの根が入った袋をかき回す。そこからひとつを取り出してじっくりと近くで見るがどうもおかしい。あわてて隣の袋を見るが、乾燥させて切り分けたミアエの茎は問題ない。
ケゼの根だけが偽物だ。
うすうす感づいていたが、ここの連中は薬に関しては素人ではないだろうか。ウイルドは母の仕込みがあり、幼いころから薬に関しての基礎は完璧だ。そのウイルドが何か言うとわかっているというふりはするが、こんな偽物をつかまされているあたりかなり怪しい。薬の調合担当も下っ端だという理由でウイルドがほぼすべてやらされていたが、「できない」というのが本当のところではないだろうか。
ただウイルドの知らないところで薬の材料の買い付けもやっているらしく、この部屋の奥にある鍵のかかった扉の先には立ち入ったことがない。ここの連中の素行をかんがみるにあまり深入りしない方が身のためだ。
とにかくケゼの根である。せめてミアエの方が偽物であれば、抜いたとしても効果は期待できる。むしろ抜いた方が効果が穏やかで好む人もいるくらいだ。ミアエは脈を早めるため人によっては不快に感じることがある。だから本来であれば、一人ずつ症状を見ながら処方してあげるのが一番なのだが、こういった大店でそんな時間のかかる対応は難しい。
ウイルドはしばらく思案する。母ならどうするだろうか。材料ならまだいくらか種類はある。ウイルドは作業台の引き出しの底板を外して帳面を取り出す。母から調合を教わっていた頃からずっと大事なことは帳面につけてあった。風邪薬に関するメモをパラパラとめくりまた思案する。
ウイルドはさらに別の袋も確認した。コウフ、これは香りの強い木の皮である。中身に触れて匂いを嗅ぐ。ちゃんとした品質の物だ。さらにかごに入れていた乾燥させて刻んであるチュウサエの実に触れ、嗅いでみる。これも悪くない。さらにいくつかの材料を確認してからウイルドはほっと息をついた。なんとかなりそうだ。
コウフをメインにして調合しよう。かごに入れているいくつかの材料もそのまま使える。これならば効果はケゼよりもやや劣るが、体力が落ちている者でも使用しやすい風邪薬になる。店の者たちに違いがわかるとは思えないからかまわないだろう。
ウイルドはある物は細かく砕き、またある物は粉にひき、煎じやすいように決められた分量を量り取って紙にくるんでいく。慣れた作業であるため、さほど時間もかからずに終わった。
ふと、少し余ったチュウサエの実を見る。
チュウサエは甘い木の実でどこかの国ではご婦人方が茶菓子として楽しんでいるという。ウイルドはさっとあたりを見渡し、その余ったチュウサエを紙で包んでポケットに押しこんだ。乾燥させてあり固いのでとても茶菓子にはならないが、水でもどして食べれば甘さはあるし、滋養強壮に効果がある。戻した水にも薬効がしみ出るので茶として飲めばさらによい。少なくともその辺の草よりは何倍もマシだ。
そのとき、もぞっとポケットの奥で何かが動いた。ウイルドは驚いて立ち上がる。虫だろうか。おそるおそるポケットに手を入れると、先ほどのお守りに手が触れる。
「え? あれ?」
手触りが何か違う。
取り出して見ると相変わらず不細工だが、少し大きくなっているような気がした。それに微妙に表情がちがうような――。
土人形である。錯覚に違いないが、やはり気味が悪い。捨ててしまいたい気もするが、シハルはこれを「貸す」と言った。後で返さねばならないだろう。
ウイルドが盛大にため息をついた時、ちょうど店主が爆発させるような音をたてて扉をあけた。
「ウイ、薬はまだか!」
大声で言い放ってすぐ不審そうにウイルドの手もとを見る。
「なんだ、そりゃ」
「あ、これは――」
あわててポケットに隠そうとするものの、店主の太い指がウイルドの手から土人形をつかみあげた。
「気持ちの悪りぃ置物だな」
目をすがめてお守りをながめてから、「なんなんだ、これは」と、ウイルドの方を睨む。ウイルドは目を見張った。気のせいではない。手のひらに握りこめる大きさだったものがいつの間にか「置物」といっても差し支えないほどの大きさになっている。
「外に、落ちていたのでお客の邪魔になると思って拾っておいたんです」
なんとか動揺を抑えて返事をするが、もう気持ち悪くて持っていたくない。
「ふぅん。ゴミかよ。じゃあ、ちゃんと片づけとけよっ!」
そういうなり、思いきり振りかぶりそれを地面に叩きつける。耳が痛くなるほどの音をたてて、それは無残に砕け散った。
店主はそれを見て鼻で笑うと、ウイルドが調合したばかりの風邪薬の入った木箱を持って部屋から出ていく。
ウイルドはその場に力なくしゃがみこむ。どうしよう。借り物を壊されてしまった。砂のようになった破片を手で丁寧にかき集めようとするが、うまく集まらない。薬をはくための小さなブラシを使ってようやく集めたもののくっつけて元に戻すなどとうてい無理だ。
打ちひしがれていると、残骸の中に何か木片のようなものが入っているのを見つける。つまみあげると、それは小さな木箱だった。小指の先ほどしかない。どうやったらこんな小さな箱を作れるのだろうか。きっとこれがお守りの本体に違いない。
ウイルドは土人形のかけらをまとめて麻袋に入れ自室の寝台の下に隠し、木箱の方はそのままポケットにしまった。
罰が当たるのかもしれないと憂鬱だったが、どこかに置いておいてまた店主たちに何かされても困る。
その日一日、ウイルドは何かと理由をつけては外の様子をうかがっていたが、シハルの姿を見つけることはできなかった。
繁盛している薬屋といっても行列ができるということはない。そこはやはり薬屋である。仕入れに来る商人、一般客、そしておそらく店主が懇意にしている別の目的があるような客がさほど間をあけずに訪れるというくらいだ。
日が暮れて店をしめる頃になり、ウイルドは別の可能性に震え出した。
シハルは「悪霊」と言っていた。まさか悪霊を処分するつもりでアレをお守りと称してウイルドに押しつけたのではないか。であれば、もう二度とシハルは 現れないだろう。
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