夫バンク

北条むつき

第1話

 女同士の息抜きに学生時代の友人、紗栄子さえこの家にお邪魔していた。最近の紗栄子はよく笑っている。以前は夫の愚痴ばかり聞かされ、距離をおいた時期もあった。でも何かが吹っ切れたのか、紗栄子は最近妙に楽しげだ。


 そういう紗栄子が私は羨ましい。逆に私はここ最近、夫の愚痴を紗栄子に聞いてもらっている。昨夜連絡をとり、今日も日中に紗栄子宅にお邪魔していた。


「ねえ、紗栄子? 最近機嫌いいね? どうしたの?」

「そう? エヘヘッ……」


 にこやかに笑う紗栄子だ。私は二人だけだと思い、突っ込んだ事を言う。

「まっまさか、男できて、浮気とかしてんじゃあ?」

「違うわよ!」


 そこはハッキリと断る紗栄子だった。しかし次に聞き慣れない言葉を口にした。


「夫バンク使ってるの!」

「えっ……」


 私は、その言葉に首を傾げた。それを見越してか、微笑みながら紗栄子は夫バンクを進めてくる。


「あなたも、グチグチとずっと抱え込んでるんだったら、いっそお願いしたらいいわよ」


 笑顔の紗栄子だが、嫌味を言われたのかと思い反論する。


「ちょっと……。前は私も良く話を聞いてあげたじゃん! 何? 嫌味?」


 騒ぐように言った私の言葉を遮るようにピシャリと言いのける。


「違うわよ!」


 すぐに切り返す紗栄子は、スマートフォンを取り出すと、アプリを立ち上げ見せる。


「何?」

「まあまあ、ちょっと見てよ」


 笑顔の紗栄子に私は戸惑いながらアプリ内の表示に目をやった。


【妻の強い味方、夫バンク。一度は別れを考えたあなたへ、ご褒美の時間。ただ預けて、必要な時、引き出すだけ】


 そんな謳い文句の表示に私は思わず笑った。


「何? ソーシャルゲームとか? なんなの? これ……」


 ゲームアプリかと思えるサラリーマンっぽい男性のイラストが手を挙げ、建物に入っていく単調なGIFアニメが表示された後、女性の柔らかい声で、動画が始まった。


【一度は、離婚や別居を考えた女性の強い味方!】

【喧嘩や悩み事があった時に!】

【我が社は、丁重にあなたの夫を預かります】

【日々の悩みから解放された時間は全てあなたのもの】

【夫バンクは、夫婦円満の秘訣! 別れる必要ございません】


 動画の最中に、紗栄子は口を割るように笑顔で私に勧める。


「どう言うサービスか、わかる?」

「えっ……いや……まだ……」私は少し戸惑うが紗栄子は続ける。


「大丈夫。喧嘩をした時や、いると迷惑な時にお金を預けるのと同じ感覚で、銀行に夫自体を預ける場所ってことよ」

「えっ……!?」


 私は紗栄子の言葉に思わず声を挙げた。


 まさか今の世の中、いろんなサービスがあれども、こんな裏技的なサービスがあるのかと少し身震いする。


 しかし私はここ最近、子供や夫婦生活、考え方の違いで、夫と喧嘩が絶えなかった。家事も育児も手をつけられずで悩みを抱えていた。

 今日は夫の愚痴や悩みを解消させるため、紗栄子宅にお邪魔し、ただ茶菓子を食べ、女同士の会話に華を咲かせる。

 そんな日常に戻るストレス発散場所と、軽い気持ちで来た紗栄子宅だったはず……。


 まさかこんな珍しいサービス。いや変わり種の一見、人権団体にバレると危ないようなサービスを勧められるとは思ってもみなかった。


「願ったり叶ったりでしょ? 私、使ってるの……。あなたもどう?」


 紗栄子は勧めてくる。


「使ってるって? 大丈夫なの? 夫にバレバレでしょ? 子供を保育園に預けるようには行かない訳だし……」

 私は内容に興味を示したが「夫は子供や物ではないんだから無理よ」と言い返す。


 と突然紗栄子は笑い出した。


「ハハッ……。上手いこと言うわね。保育園に預けるのと同じよ?」

「えっ〜! ま〜さかあ!」


 驚きながら、返事をすると丁寧に紗栄子は説明をしてくれた。


「そう、そのまさかよ。大丈夫、必要ない時は預けて、いる時に引き出すだけ」


 そんな都合の良いサービスがあるのかと、半信半疑になりながら、私は紗栄子に勧められスマートフォンにアプリを入れた。


「まぁ預ける時はタダだけど、引き出すときに手数料取られるけどね? 銀行と一緒。気が引けるかもだけど、一回やるとクセになるわよ?」


 そんな紗栄子の言葉にのせられ、私は記入欄を埋めていく。


「でも、これバレないの? どういう仕組み? 預けるって言っても、夫を保育園に連れてでも行く気?」

「まあまあ、騙されたと思って、登録完了してよ。今、喧嘩中なら、やってみる価値あるし」

「あっうん……」

 ちょっと戸惑う中、私は名前と住所を登録し終える。すると表示が変わり、預け日、引き出し日、夫とのイザコザ修復機能というボタンが現れた。


「えっ……。ちょっと怖い気もするけど……」

「まあまあ、別れることや別居すること考えると気楽で良いし、まあ預けてしまえば自由が効くわよ? 喧嘩中なら、今日預けちゃえば?」


 紗栄子はご主人を人として扱っていないにも思える発言。でも私もこの後、家に帰っても、また夫が帰ってくるストレスもある。

 もう気持ちだけがはやり、預けるボタンを押していた。


 次に日時を聞かれ、私は今日の日付と時間を入力する。すると、対立、悩みの内容を記載する欄が現れる。『2000文字以内で喧嘩した内容と修復したい思いを記載してください』と表示が出てくる。


「そこは喧嘩の内容も重要だけど、今後どう修復したいかを書けばいいわ」

「そうなの?」


 紗栄子に促されると重たい気持ちが少しマシになった。


「このアプリの良いところは、別居や離婚とは違い、お手軽さ。まだ相手を好きだから使ってる人も多いらしいわ。あなたも離婚なんて考えてなさそうだし? だから勧めてるのよ」

「あっ、うん……ありがとう……」


 半信半疑。正直戸惑う。でも最近の微笑ましい紗栄子を見ていると、使っても問題ないんだろうと思え、入力し終える。完了ボタンを押し終え、入金ならぬ、入夫(はいるおっと)『にゅうふ』しますかと尋ねられた。


 ポンと私の肩を叩き、紗栄子が笑顔になる。


「定期的に使ってる私は今、幸せなの!」


 笑う紗栄子を見ると悩みを解放されたい思いで入夫(にゅうふ)ボタンを押していた。


【入力完了! 本日18時、あなたの夫を1週間、当バンクにて預かります】


 音声メッセージが流れた。


突然「良いもの見せてあげる……」ちょっと色目づかいになり、紗栄子は私をある場所に連れ出した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 私たちが住む街の一角にこんな場所が、いつの間に出来ていたのだろう。紗栄子の車に乗せられて連れて来られた場所。コンビニのような平家の建物が目の前にある。

 コンビニとは違い、煌々した灯りは無い。ただの平家で白い壁と入り口付近に『夫バンク』と書いてある。建物前には駐車スペースがあり、既に何台もの車が停まっていた。


「もうすぐ18時ね?」


 紗栄子が腕時計を確認しながら私に言った後だった。見覚えある背格好をしたスーツを着た男性がひとり、ゆっくりと夫バンクに入ろうとしていた。


「あっ……」

 声を上げた。

 夫だ。思わず見入ってしまう。まさか、夫がこの場所に現れるとは思っていなかった。だが夫はどこか虚だ。意識はハッキリしているのかいないのか。足取りがいつもの感じと少し違った。少し怖さもあったが、それをただ見守った。暫くすると夫は平家の中へ消えた。


「ね? 自動でしょ?」

 紗栄子がそう言った時、突然、私の目の前の景色が揺らいだ。そして自分の意思とは関係なしに助手席の扉を開けていた。


「あら? 朋絵(ともえ)……。どうしたの?」


 紗栄子の言葉に頭では返事ができるが、声が出ない。いや、私は違う言葉を発していた。

「私も妻バンクに預けられたみたい……」


 自分でそう言うと、車を出て、勝手に平家に向かい動き出す。


 うっ嘘でしょ!? そう思ってはいるものの体は勝手に平家に動き出し止まれない……。

 と、慌てふためく様子もなく紗栄子は私に手を挙げ言った。


「あら? 旦那さんも同じ事を考えてたみたい……」


 聞こえる紗栄子の声は遠くなる……。


朋絵ともえ、ざーんねん……。いつ迄かは、知らないけど『妻バンク』に行ってらっしゃい。戻ってきた時には、旦那さんとの喧嘩の記憶はないからね?」


「……あっえっ……」声が声にならない……。


最後に紗栄子の言葉が小さく聞こえた。


「あははっ。お互い様って面白いね……。バイバイ……」


つづく


youtube「語り部朗読BAR|北条むつき」にて絶賛朗読動画公開中!

https://youtu.be/oL0DiY2p7TE

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る