第5章 1994年 〜 1 七月七日
1 七月七日
この自動ドアを、あと何度通ればいいのだろうか?
ふと、そう思ってしまってから、またいつもと同じように思い直した。
――いつまで続いたって構わない。だから、命だけは奪わないで……。
天に向けそう念じ、直美の母、順子は病院の玄関から病室へと向かう。
そして小児病棟エリアに入ってやっと、その日が七夕であると気が付いた。
目に付くところに、いくつも七夕飾りが飾られている。きっと入院中の子供たちが、一生懸命こしらえたのだろう。中にはかなりアンバランスなものもあるが、それでもそれはしっかり七夕飾りだ。
――あの娘と、最後に飾り付けをしたのは……いつのことだったろう?
そんなことを思いながら、病室の扉に手を掛けたのだ。
するといきなり笑い声が聞こえて、順子は思わずその手を止めた。
それはここ何年も、耳にしていなかった明るいもの。明らかに直美の笑っている声だ。
――誰か、いる……。
一人でないことは確かだった。
さらに一緒にいるその誰かとは、間違っても夫なんかじゃないはずだ。
――彼が、わたしより先に来れるわけがない。じゃあ、いったい誰?
それに入院してから、友達が尋ねて来たことも一度だってない。
であれば誰? そんな一瞬の戸惑いの後、直美の声が再び響いた。
その声は確かに名前を呼んで、それは順子にもしっかり心当たりのあるものだ。
――見た目は別として、本当は優しくて頭のいい少年……。
そんな男の子が、最近直美の病室に出入していると言い、
「いい子なんです。だからきっと、直美ちゃんの支えになってくれますよ、いえ、もうすでになっていて、いい兆候が現れ始めているんです」
だから温かい目で見守って欲しいと、ある日婦長がわざわざ順子に言いにきた。
――見た目は別として?
「冗談じゃないわ! あれじゃ完全に、どう見たって不良じゃない!?」
思わずそう声にしたのは、少年が病室を後にしてすぐのことだ。
扉を開けた順子を、少年は驚いた顔で見つめ返した。
直美から母親であると教えられ、そこでやっと頭をぺこりと下げる。
しかし、それだけだった。
「じゃ、また……」
ブスッとした顔でそう呟き、入口で立ち尽くす順子の横をさっさと通り抜けたのだ。
「不良じゃないもん! お母さんは、何も知らないくせに!」
病室に入るなりまくし立てる順子に、直美が負けずにそう言って返す。
「何も知らないのはどっちよ! どにかく、もう病室に入れるのはやめなさい!」
「いや! 絶対にいやだから!」
「いい加減にしなさい!!」
そう言い放った瞬間、直美の動きがピタッと止まった。
視線がスッと上に流れて、固く閉じられた口元が微かながらに揺れている。
しまった! と思ったって後の祭りだ。
涙目になっている直美を見つめて、順子はやっと我に返った。
このような興奮が、直美の身体にいいはずがない。
だから最近、病室を訪れる時間帯にも気を付けていたのに……、
――どうして、今日に限って、午前中なんかにいたのよ!
様々な葛藤を押さえ込んで、順子は慌てて直美から背を向ける。そして置かれていた花瓶を手に取って、
「お花換えてくるから、この話は、また今度にしましょう」
そう言い残し、平静を装って病室から出ていった。
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