第4章 本田幸一 〜 2
2
一回、二回、三回……ちっ! 思わず舌打ちをして、受話器に手を伸ばそうとした途端、五回目の着信音はいきなり途切れた。
――まったく! もっと早く出なさいよ!
そんなイライラは、それでも以前に比べればずいぶん少なくなっていた。
伸ばし掛けた手をそのまま下ろし、受話器を手にした部下に目を向ける。すると部下の方も美津子を見つめ、その目で合図を送ってくるのだ。
――わたし、なの?
そんな顔を見せると、うんうんと頷いてくる。
そうして入社二年目の女子社員が、受話器を両手で押さえながら美津子に向かって声にした。
「もし違っていたらすみません、美津子さんをとおっしゃるんで、多分そうかと……」
「誰からなの?」
「村上さん、という方からです……」
美津子は首を傾げながら、点滅しているボタンを押して受話器を取った。
「お電話代わりました。吉田でございます」
「ああそうそう、吉田さんだったわね。ごめんなさい、ちゃんとお名刺にもそうなってるわ、吉田、美津子さん……」
村上と聞いても、最初誰のことだかわからなかった。しかし受話器から響いた声によって、すぐにその顔が脳裏に浮かび上がった。
「わたし今、向井美津子さんって、言ってしまったわね……
美津子は復職してからも、仕事場ではずっと旧姓を通していた。
さらに美津子の下にいるのは、みな出戻った後の入社ばかりだ。
だから向井という苗字を知らなくたって不思議じゃない。
――それにしても、会社に電話してくるなんてどんな用事?
そう思った次の瞬間、久子は慌てたように話し出した。
「美津子さん、本田幸一さんってご存知よね? 」
そう言った後、ほんの一瞬間が空いた。しかし美津子が応える前に、
「彼ってご結婚は……? 」
「あ、いえ……まだ……」
「そう、やっぱり独身なの……それじゃあ、あなたにお願いするしかないわね」
いきなり息を弾ませ、そこから少しだけ声高になった。
「彼、今日の朝早く、高速道路で事故を起こしたらしいの。車が大破して、病院に担ぎ込まれたって連絡があったんです。怪我がどのくらいなのかも聞いたんですけど、今はわからないって教えてはもらえなかったわ。だからとりあえず、病院の名前と住所を聞きました。これから言いますから、すみませんが控えていただけます?」
だからこのことを、しかるべき人物に伝えて欲しいと続けて、彼女は電話を切ってしまった。
――本田くんが、事故で病院に担ぎ込まれた……。
そんな驚きの事実を、先日知り合ったばかりの村上久子から知らされる。
――いったい、どうして?
まるで意味がわからなかった。久子はきっと、事故を連絡する第一候補として、幸一の〝妻〟を思い浮かべた。
だから最初に、既婚であるかどうかを美津子へ尋ねる。そしてその時、彼女は本田幸一のことを確かに〝彼〟と言ったのだ。
見ず知らずの人物であれば、普通彼とは言わないはずだ。
だからきっと以前から、本田幸一を知っていた。
そうでなければ事故の連絡などもらうはずがないし、
――だからって、どうしてあの人が……??
何から何まで不思議だったが、とにかく事故があったのは事実だろう。
そして彼には両親はいない。兄弟もなく、親戚の連絡先なんかも知るはずない。
一瞬、彼の病院も考えたが、それより先に連絡すべきは彼らだろうと美津子は決める。
「ちょっとごめん、会議室で電話してくるから。何かあったら内線をお願い……」
そんな言葉を残して、携帯片手に慌てて事務所を飛び出した。
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