第16話 星見の坂
星見の坂に差す日は、真昼をすぎて少し弱まっていた。
ジェロイを乗せた荷馬車は、ゆっくりと坂道を登っていった。進むたびに、踏まれた落ち葉がカサカサと音をたてる。都に犯罪者を移送しているというのに、のどかな雰囲気だ。
都のストレングス部隊隊員、ウェイナーは、あくびを噛み殺しながらゆったりと手綱を操った。後ろの荷台には、ジェロイが上体をす巻きにされたまま転がされ、同僚のクヴェスが見張っている。
「こんなに平和なところなら、何もわざわざ俺達が迎えに行かなくても、担当地区のストレングス部隊が都まで送ればいいじゃないか。なあ」
体を後ろに少しそらし、ウェイナーが荷台に声をかけた。
「決まりなのだから仕方ねえよ」
ウェイナーが前方に視線を戻すと、むかいから、長いローブを着た人がこっちに向かってくるところだった。フードを目深(まぶか)にかぶっていて、しかもうつむいているので男か女かもわからない。小柄で、なんだか足元がおぼつかないのを見ると、年寄りなのかも知れない。
「あれ」
小石にでもつまずいたのか、ローブ姿の人物はパタンと倒れた。
「はは、うっかりしたな」
他に気を引かれるものもなく、ウェイナーはその様子を見守っていた。
(あれ……)
そいつは、いつまでたってもなかなか立ち上がらない。すぐに起き上がると思っていたのに。
さすがにおかしいと思い、馬車を止める。
「おい、どうした」
後ろからクヴェスが声をかけてくる。
「ああ、誰か倒れたんだ」
ウェイナーは馬車を止めると馬から下り、倒れた者に近づいた。
見張りをしているから、クヴェスは馬車から離れることができない。
「おい、どうした、大丈夫か」
声をかけて見たが、ピクリとも動かない。
慌てて肩に手を置き、揺さぶった。うつ伏せに倒れている背と、フードに隠れた後頭部が、力なく揺れる。
「おい」
今まで人形のように動かなかったフードの人物が、顔を上げた。白い、無表情の仮面。
筋張った右手が伸び、ウェイナーの腕をつかんだ。
「ひっ!」
ウェイナーは体をのけぞらした。だが、腕を握られたままで逃げることができない。
手の甲に痛みを感じる。仮面の人物がの手で、針が銀色に光っている。その先端には茶色い糊(のり)のような物がついている。。
「こいつ!」
まだ腕をつかんでいる手を振り解こうとして、ウェイナーは体の異変に気づいた。
力が入らない。
安い酒で悪酔いしたように、考えが散り散りになり、頭の中で渦を巻いてまとまらない。ひどい吐き気もする。
(助け……)
仲間の方に目をむける。
同じ仮面を被った男が、荷馬車の横から乗り込もうとしている。
クヴェスは驚いた顔をウェイナーにむけていて、それに気づいていない。
警告を上げようにも声が出なかった。
男の太い腕が、クヴェスの首に巻きつく。
ウェイナーの視界が歪み、端が焦げたように黒く染まっていった。顔の半分が落ち葉でうまり、自分が横倒しに倒れたのがわかった。
「分かってる! お前、あいつの仲間だろう!」
遠くで叫んでいるのはジェロイのようだった。
だが、その言葉の意味を考える余裕はウェイナーには無かった。
(まずい。毒……針に、毒が……)
そう思っている間にも、視界の闇は広がっていく。
そして、枯葉を蹴散らす音。板の上で暴れまわる音。
ジェロイはまだ叫び声をあげている。
「あいつの事は、裁判でも言わねえよ! 詰所で取り調べでも言わなかったんだ! あとで脅迫するのもやめにする! だから……」
何が起こっているか確認することもできず、ウェイナーの意識は闇に沈んだ。
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