第13話 ザナの庵(いおり)
ザナの住処(すみか)は、アスターの街からだいぶ離れたところにあるらしく、葬儀には乗合馬車で来たそうだ。
ストレングス部隊の上官にはそれぞれ専用の馬がいるが、アシェルはザナに合わせ、馬車で行くことにした。
しばらく馬車に揺られて、途中で降りて大通りから外れ、さらに歩く。最近は遠出することがなかったので、なんだか新鮮だ。
そのうちに周りの家が少なくなり、低い山のような場所へ出た。細い道を外れると、歩きにくいくらい木が密集して生えている。地面には凹凸があり、苔や雑草で覆われていた。どこかで鳥の鳴き声がした。
アシェルは、頭の中でこの辺の地図を思い浮かべてみた。馬車で進んだ方向と、遠くに見える塔の位置から、トラス河のそばにある小さな山のはず。そんなに大きくないはずだが、少し歩くと、手付かずの、広大な森林のただ中に迷い込んだような気がする。
特に目印もないような木々の中を、老人は迷うことのない足取りで歩いて行った。
人工物ない山の中で、山肌が崩れてむき出しになった斜面にひさしのようなものが見えた。その下には、横穴があるらしく、扉の代わりの分厚い布が吊るされている。
「さあ、ここが私のあばら家です」
言いながら、ザナは中に入った。
アシェルもその後に続く。
なかは、崩れないよう木の柱で補強してあった。壁に穴を掘り作られた棚には、束になった薬草や、木の実のビン詰め、手のひらサイズの丸いツボなどが置かれている。
こんな場所にあるのだから、下は土なのではと思っていたが、漆喰のようなものが塗られているようで、それなりにちゃんとした床になっていた。
イスはないが、ワラを編んで作った丸い織物が二枚並べて置かれているところを見ると、よく客が来るのだろう。
一人で使うには多すぎるほど大量に薬草の類が保管され、この山では採れそうもない果物があるのを見ると、薬やちょっとした治療と引き換えに、近所の者から必要なものをもらっているようだ。
錬金術師と一口に言っても、鉱物や金属の加工に詳しいものと植物や生き物に詳しい者がいると聞いたが、ザナは後者のようだった。
「狭いところですが」
勧められるまま、アシェルは今観察したばかりの敷物の上に腰を下ろした
「しかし、あのラクスト君が亡くなるとは。若い者が年寄りより先に逝くのは辛いものです」
ザナは重々しく首を振った。
「ラクストさんに錬金術を教えていたとか」
「こんなところに離れて暮らしていると、物珍しさから噂になるんでしょうな。いきなり弟子にしてくれと押し掛けてきまして。この歳になると若い者の相手は疲れるので、断ろうとしたのですが。あの熱心に目に見つめられては」
ザナは昔を思い出したのか、金色の目を細めた。
「それで、ラクストはどういう人でした?」
「我々は人と付き合うよりも、植物や鉱物と向き合うのが好きな人種ですからねぇ」
結局、ここでも恨みを買うほど人と付き合う方ではなかった、という事実の再確認で終わった。
「あれ、これは?」
ふと、アシェルは棚の上に、砂の入ったガラス瓶があった。削った木で栓をしてある。
「ああ、これは輝光砂といってね。フレアリングの国で採れる、珍しい砂ですよ」
「ラクストの恋人は、これで作ったペンダントを持っていた……」
「ああ、それはラクストがあげたものです。一生懸命に作っていたのを覚えていますよ」
では、あの砂はここにあったものなのか。
ミドウィンがくれた、犯行現場の地図が頭によぎる。入口近くについていたという輝光砂。それもここから来たのだろうか?
この、優しげな老人が殺人者だということがあり得るだろうか。輝光砂がローブの裾にでもついて、この庵から犯行現場まで運ばれたとか?
しかし、その予想は違うようだ。よく見ると、ビンの口にクモの巣が張っている。すくなくともここ数日このビンが開けられていないのなら、輝光砂がこぼれてザナにつくこともないはずだ。
「ちなみにあなたはラクストさんが殺された時はどちらに?」
「ああ、その夜は、街のワリスさんの家に泊まっていましたよ。身重の奥さんの具合が悪いっていうので。まあ、なんとか体調は戻りました。何なら当人に聞いて、確認をすればいい」
もちろん、言われなくてもそのつもりだ。
「それにしても、フレアリングの砂か。フレアリングは船で一週間はかかる。ずいぶんと遠いところから来たものだ」
「私はフレアリングの生まれてしてね」
アシェルが呟いたなんとなくの独り言を、ザナは聞き取ったらしい。懐かしそうに話してくれた。
「小さい時から、周りの生き物を観察するのが何より好きでした。でも、食べるために故郷を出て、それからつまらない仕事をし、結局こうして歳をとって昔得た薬草や生き物の知識で食べているのですから、人生とは不思議なものですな」
「ああ……」
なんだかザナの人生は波瀾万丈のようだった。詳しく聞いてみたら面白そうだが、残念ながら時間がない。
得られる情報はもう得てしまったようだし、そろそろ詰所に戻ろうかと思ったところ、ザナが部屋の隅から何かをごそごそと取り出した。
「ほら」
渡されたのは、たくさんの紙を紐で束ねたファイルのようなものだった。ただでさえ枚数が多いのに、紙の一枚一枚が波打っているので、余計に分厚く見える。
アシェルはそれをパラパラとめくった。インクの臭いのする普通の本とは違い、ニカワと雨にぬれた動物とスパイスの混ざり合った、摩訶不思議な臭いがした。
紙きれや紙がわりの葉に書かれたメモを、大きな紙に貼ってまとめたもの。押し花や獣の毛など、ちょっとした標本を貼り付けたもの。そうしたものが束ねられている。
特にスケッチは興味深かった。尾にノコギリ型のトゲがあるトカゲ、コンパスで描いたようにきれいな円形の花びらを持つ花などなど、見たこともない動植物が描かれている。
その中の一枚にアシェルは目を奪われた。
クマデのような葉の、赤い実がなっている木。その根元からツタがのび、その先端にはネズミが捕らえられている。
「ああ、これはニククイカズラだよ」
ザナが開かれたページをのぞきこんで言った。
「木の実で小動物を誘い、ツタでとらえるんです。そして絞め殺し、根本に落ちた死体を肥料にする。そうそう、記録では人を食べるほど大きく成長したものもあったとか」
「うわぁ……」
アシェルは思わず自分がツタに足首をつかまれ、宙に吊るされるところを思い浮かべた。
「もしもフレアリングに行くことがあったら、決して案内無しに森に入りますな。生き出られる保証はありませんからな」
「肝に銘じておくよ」
アシェルは苦笑した。
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