第10話 監獄棟
詰所とは離れた街はずれの場所に、監獄棟はある。壁と柵で囲まれた、レンガでできた細長い箱のような建物で、飾りといえば壁の表面に這うツタくらいなものだ。
名前の通り、いくつか檻が並んでいるが、あまり長期の服役者はいない。
大抵、酒に酔った者やケンカをした者の頭を数日冷やさせるため、そうでなければ詐欺や違法賭博などを犯した者を数年反省させるために使われる。殺人や強盗のような重罪の者は都に送られ、そこで裁判を受けて敬に服するからだ。
今は監房に収容者は少なく、男を入れる場所に困ることはないだろう。これが年末年始なら、酔っ払いで一杯になるのだが。
監房と同じ階にある歌い部屋――犯行を取り調べ自白さ(うたわ)せるための部屋なのでこう呼ばれる――はレンガ造りで窓もなく、昼でもランプとろうそくの灯りだけが頼りだ。日が差し込まないのでなんとなくヒンヤリしているし、カビ臭いし、あまり居心地がいいとは言えない場所だ。
真ん中にあるテーブルを境に、アシェルとストーカーが向き合っていた。
ストーカーの名前はジェロイといった。身寄りはなく、食べるに困ったら日雇いの仕事をしているらしい。
「だから、嫌がらせなんてしてないって!」
ジェロイの怒鳴り声が狭い部屋に響く。
「嘘をつくな! 被害者から訴えがあるんだよ!」
嫌がらせをしておきながら、すっとぼけているのが気にくわない。
アシェルは証拠の怪文書をテーブルの上に叩きつけた。
「別にラブレターを送るのは罪ではないはずだ!」
(つーか、あれ本当にラブレターをつもりだったのか……)
なんというか、センスが壊滅的に悪いという人間もいるものだ。
「それに付きまといってなんだよ! 俺はフェリカを遠くから見守っていただけだ!」
「『見守っていた』ね。当人は怯えていたがな」
「じゃあ、ラクストを殺したのは、お前ではないんだな」
「当たり前だ!」
「あの殺しには、まったく関係がないし、まったく何も知らないと?」
アシェルがジェロイを見据えた。
すっとジェロイの目がそらされる。そして、テーブルの上で組んだ細い指をもぞもぞ動かし始めた。
(あ、嘘ついてるな、こりゃ)
はっきりとそれはわかったものの、何とかして具体的な証言を聞き出さなければならない。
「嘘やごまかしはためにならないぞ。拷問具の錆び付き防止に、お前を使ってもいいんだからな」
この監獄棟の地下に拷問部屋があるのは秘密でもなんでもない。ただアシェルが知る限り、使われた事はないが。
(そういや、アイアンメイデンの中に暖炉の薪を保存するのやめてくれないかな、監獄棟の管理者。前に取りに行ったとき、危うく手に針刺すところだったぞ)
拷問という単語に、ジェロイは一瞬ひるんだものの、「なんと言われてもやってないし、何も知らない!」とそっぽを向いた。
「ああ、そうか、そうか。じゃあ殺ったのはフェリカだな」
できるだけさらりとアシェルは言った。
「え?」
目に見えてジェロイの顔色が変わる。
「だって、お前じゃないんだろう? でなきゃ普通に考えて、ラクストと痴話げんかしたしていたフェリカが怪しいじゃないか」
「違う! フェリカが、殺人なんでするはずない!」
散財通りでさんざん罵声をあびせていたが、やはりかばわずにはいられなかったようだ。歪んでいても愛は愛、ということか。
「どうだかなあ。あの倉庫で言い争ったのは、フェリカも認めている。興奮してビンでラクストの頭をぶん殴ってしまったんだろう。それで決まりだな」
わざと気のない口調で言うと、アシェルは取り調べのために用意していた書類をまとめはじめた。もうここでの用事はすんだ、というように。
「違う、違うんだ! 俺はフェリカとラクストが倉庫にいた時間、近くにいたんだ! そんな夜中までフェリカを見守っていたことが知れるとストーカーの罪が重くなると思ったし、余計に疑われると思ったから言わなかったけど!」
アシェルは「よし」と声を出したくなるの耐えた。
書類を抱え、立ち上がった姿勢のまま、「へえ、ほう、そうか」と気のない返事をした。
「待ってくれ! 本当だって!」
どうやら話す気になったようだ。外にむかいかけていた足を止めて向き直る。
「その夜、俺はぼんやりフェリカの部屋の窓を見つめていたんだ」
(まあ、夜、恋人の窓の下に忍んで行くというのは、歌劇の中でよくあるシチュエーションだが)
「そしたらフェリカが外に忍び出てきたんだ。それで、俺もついていったんだよ。夜に、女の一人歩きは危ないからな。そうしたら、彼女は倉庫の中に……
しばらくして言い争う声がして、フェリカが倉庫を飛び出していった。でもその時、ラクストは間違いなく生きていたぞ。戸口からちらっと体を出して、フェリカを見送っていたからな」
そこでジェロイはそこで何かに気付いたらしく、ハッと息をのんで、少し顔をあげた。
「そうだ、思い出した。その後ガサガサ落ち葉を踏むような音がして、誰かが近づいてきたんだっけ。きっと、そいつが殺したんだ!」
「何! 誰だ! 姿を見たのか!」
アシェルはテーブルの上に手をついて、身を乗り出す。
「いや、森の中は暗かったし、俺はそいつ放っておいてフェリカの後を追ったから。そもそも、倉庫でラクストが誰と会おうと、興味はなかったし」
(使えねえええ!)
思わず叫びそうになるのをアシェルはこらえた。
「あ、でも光を見たな」
「光?」
「ああ。その、後から来た誰かの靴、底の方がチカチカ光ってた。星くずでもかかとについているみたいにな」
ジェロイは似合わないロマンチックな例えをした。
思い当たるのは一つしかない。ファーラが言っていた、フェリカのペンダントトップと同じもの。
(輝光砂か! ミドウィンの奴、見逃しやがったな!)
仮面姿のまま、へらへらと手を振るミドウィンの姿が脳裏に浮かぶ。
もっとも、暗くなる夜に現場を調べたりはしてないし、そもそも暗闇に光る証拠があるとは思わないだろうし、無理もない。
「粉だか液だか知らねえが、現場に残っているかも知れねえぞ。じゃあな」
イスの音を立ててジェロイは立ち上がった。
すかさずアシェルが後ろからジェロイの襟首をつかむ。
「なに『良い仕事した』みたいに立ち去ろうとしているんだよ。情報屋か何かのつもりか? お前は俺の殺人未遂まであるんだからな。都に送られるまでおとなしくしてろ。おい看守!」
アシェルの声に、見張りの兵が駆け込んできて、ジェロイの両腕をつかんだ。
「取り調べは終わりだ。牢にぶちこんでおけぃ!」
「放せ! やめろって!」
ジェロイが部屋からひきずり出されていく。
「まったく……もう一度ミドウィンに話を聞かないと」
「おいって! 放せよ!」
まだ遠くに聞こえるジェロイのわめき声を聞きながら、アシェルは戸口にむかった。
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