第4話 メロスと走り出す列車

 富田林メロスが乗る列車がゆっくりと動き出す。メロスが住む白洲町と隣町の間には大きく深い川があり、橋を渡すように鉄道が通っている。運賃は片道170円。200万のリボ払いが残るメロスには、どんなわずかな出費も、痛手に思えた。


 列車の窓を見ると遙か遠くに橋が見える、走って行けないこともないが大変なことだ、懸命に走ったところで列車の速度にかなうわけもない。それに走るというのは疲れるのだ。無理をしたところで、何もいいことはない。


 列車が川前に差し掛かると、青いビニールシートで拵えた小屋のようなものが見えた。ああした小屋には浮浪者が住んでいる、社会から見捨てられた彼らは常に飢えており、近づけば追い剥ぎにあうらしい。関わり合いたくないものだ。


 車内を見渡すと広告が目立った。「借金をしろ」「借金の相談にのります、費用はこれだけ」「脱毛しよう」「毛を生やします」「酒を飲もう」「酒をやめられない方、診察します」。無数の広告が狭い車内にせめぎ合い、もっと金を使え、もっと豊かになれ、と人々を煽り立てている。200万のリボ払いを抱えるメロスは何一つ手を出せない。


 人の豊かさとはこのようなものだっただろうか。叶うなら、羊飼いのように暮らしたかった。嘘をつかず、正しいことをし、無欲に生きたい。この世界はメロスには複雑すぎた。


 ふと空を見ると、雲行きが怪しくなっていた。車内にある電子掲示板には台風が接近中とある。予報によれば昼から夕方にかけて嵐が直撃するらしい、天気が悪いと気が滅入るものだ。


 いっそ、このまま終点まで行ってやるというのはどうか。嵐を後ろに追いやって、どこか静かな場所で穏やかに生きるのだ。それはとてもすばらしいことのように思えた。


 車内放送が直に隣町に着くと告げる。


 瞬間、想起されたのは竹馬の友、セリヌンティウスのことだった。そういえば、彼にはまだ何の説明もしていない。今頃きっと、驚いているだろう。人の心を惑わすのは、最も恥ずべき悪徳だ。そう告げたのは他ならぬメロス自身である。


 携帯電話の通信アプリで事情を説明しようとして、やめた。


 セリヌンティウスとは侍詐欺事件やねずみ講詐欺事件を共に乗り越えた仲だ。共にというか、メロスはいつもセリヌンティウスに助けてもらっている。何度、これっきりにしてくれと言われたかわからない。だというのに今日もセリヌンティウスは来てくれたのだ。


 これほど篤い友情に対して今更いらぬ釈明をするのも野暮だとメロスは考えた。セリヌンティウスからすればたまったものではない。


 列車は隣町に到着し、メロスは妹が働くカードローン会社へと歩いた。


 妹から、金を、借りるのだ。結婚し、幸福の中にいる、妹から。メロスは心が黒い万力で締め上げられていくのを感じた。いっそこの良心を捨てることができたら、どれだけいいか。だが、己の弱さに負けるわけにはいかない。メロスは消費税の増税のみならず、邪悪にも人一倍敏感だった。メロスは自らに芽生える悪を許さない。正義が心裡こころうちに力強く在るのを感じた。


「セリヌンティウス、信じていてくれ。私は決して君を裏切らぬ」


 竹馬の友が待つ白洲町を眺め、メロスは「リボ払いに手を出すものではないな」とひとり述懐した。


次回「はじめてのカードローンは妹の職場で」みんな、読んでくれよな!

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