◇5-3:慈悲の心


 所作が大きくならないように注意しながらも、案内された室内をぐるりと見渡す。

 警備塔は周りを囲う塀と同様の石材でできているため壁や床の全面が温かみのある白色で、室内に配置されている家具に掛かる布や飾りは深紫で統一されていた。

(まさに、祈祷師と魔導騎士を象徴する塔だわ)

 身に纏う衣装のとおり白は祈祷師、深紫は魔導騎士を表している。そのため国を挙げての式典の際には禁色となり、認められた者以外はその色を身に纏うことができないのだ。

 テーブルに掛けられた深紫の布地を指先でなぞる。聖霊や聖女、それらに纏わるモチーフが金糸や銀糸の刺繍で施されており、順を追っていくと建国聖話の絵物語になっていることに気づく。


 勝手がわからないので大人しく室内を観察していると、ティーセットと菓子をのせたトレーをもってカロリナが現れ、手際よく紅茶を注ぎリディアへと差し出した。

「ありがとうございます」

 カロリナが向かいの席に座ったことを確認してから紅茶を口に運ぶ。

 喉を透きぬけていくのは華やかなハーブティーだ。

 長時間の移動による疲れが癒されてホッと一息を吐くリディアには、カロリナの柔らかい眼差しが向けらていた。


「どう? 巡回には慣れた?」

「はい。事前にカロリナさんの巡回を拝見させていただいたおかげです」

 にこりといつも通りの笑みで返す。

「それなら良かったわ。私は最初躓くことが多かったの」

「そう、なんですか?」

 一拍、表情が上手くつくれなかった。

 話そうとは思ってはなかったことが突然口を滑りそうになり、喉の奥で食い止める。


 同じ使命を背負った祈祷師が相手だからだろうか。

 それともカロリナの全てを包み受け入れてくれるような温和な雰囲気がそうさせたのか。

 心の奥深くに沈めた出来事が、昨日のことのように鮮明に浮かんだ。


 他の祈祷師であれば。

 目の前にいるカロリナだったら、どうだっただろうか。

 私は、どこかで間違ってしまったのではないだろうか。


 そんなどうしようもない考えが再び思考を支配して唇を強く噛み締めると、カロリナの手がすっと伸びた。

「リディアさん、私の失敗談を聞いてくださる?」

「失敗談……ですか?」

 カップに添えていた手にカロリナの手がそっと触れる。その暖かな温もりに、自分の温度が冷えきっていたことを知る。


「そう。王都での巡回中にね、お貴族様が来たの。私は他の方の話を聞いてお祈りをしていたのだけど、不遜な態度で割り込んできて最近不吉な事が続いているから幸福を祈れと仰ったわ」


 権力を振りかざして、他の誰よりも自身を優先させようとする者はどこにでもいる。それが貴族でなくとも。普段関わる身近な人々よりも勝る何かがあれば、誰だってそういった振る舞いをとれてしまうのだ。

 けれど、圧倒的に貴族に多く見られる行動だろう。リディアも参加した社交界の端々でそういった場面を目撃している。


 だからなのか、カロリナの“失敗談”が分かってしまった。話し方から続く言葉がなんなのかを推測できてしまった。

 思わず、手元のティーカップへと目線を下げる。水面に浮かぶ自分の顔から、また逃れた。


「私は祈れなかった。集まる人々の中、どんなに祈っても魔紋が現れなかったの」


(ああ、やっぱり……)

 リディアの予想は的中した。

 だから、カロリナの出自についてもそうなのだろう。カロリナが語る失敗談のなかには貴族に対する不満が見え隠れしている。

 彼女は平民の出で、貴族を嫌っている。

 聖霊の加護がある貴族が祈祷師になる道を選ぶのはハードルが高い。そのため祈祷師の多くは平民の出だろうとはある程度予測できた。

 貴族に対して好感を抱いていない平民が多くいることも想像に難くない。

 同じ貴族として、そして祈祷師として申し訳なくもいたたまれない気持ちになる。

 

「勿論、お貴族様は大激怒したわ。当然よね。祈祷師から、聖霊から祈りを聞き届ける気はないと言われているようなものだもの。その場は魔導騎士の機転の利いた言い訳でなんとか収まったけれど、それ以来、私は祈るのが怖くなった」


(想像だけでもこんなに痛い)

 当時のカロリナを自身に置き換えて想像するだけで心臓が震え、指先の感覚が消えていく。


 実際に自分の身に起きたら果たして耐えられるのだろうか。

 騒ぎに呼び寄せられて増していく群集からの奇異の視線とヒソヒソとした騒めき。目の前の相手から勢いのままに吐きだされる罵声。もしかしたら怒りで手も振り上げられるかもしれない。間に入る魔導騎士の制止と弁明の声でさえ、全てが自分への落胆と非難、そして軽蔑に聞こえて。


 そうなった時に祈祷師として人々が理想とする振舞いのまま立ち続けていられるだろうか。


「落ち込んでいた時にエレナ様、もう一人の祈祷師にこう言われたの。祈祷師に正解も間違いもない、貴女は貴女が支えたい、寄り添いたいと思う人の為に祈ればいい」


 相槌も打てず俯いたままのリディアに対して、カロリナは当時を思い返しながら一言一言区切り、声音とスピード、そして温度で自分が大切にしているものだと伝えてくれる。


「祈祷師は貴女だけじゃないのだから、貴女が寄り添えない相手には私が、貴女以外の祈祷師が寄り添うことができる。私達は聖女様の意志を継ぐ者として、お互いに補い合うの。それが祈祷師なのよって」



(私たちは互いに補い合って、“祈祷師”になる――)


 人の上に立つ貴族として教育されたリディアには、考えたこともない発想だった。

 貴族に弱みがあってはならない。そう見せかけなければ足りないところから足元をすくわれて、気づいた時にはもう泥沼に浸かっているのだから。


 けれど、今のリディアは貴族としてではなく、祈祷師として立っている。

 “祈祷師リディア”ではなく、カロリナと同じ“祈祷師”として。


「例え後悔することがあっても、貴女が独りで抱え込む必要はないわ。ただ心の赴くままに祈ればいいの。貴女が心を寄り添いたいと願えば聖霊様は必ず力を貸してくださるのだから」


 そう言ってリディアを見つめ返すカロリナの瞳は凪いでいて、その奥に宿る力強い光はリディアを奮い立たせた。



◇◇◇


「憑き物が取れたようだな」


 セシルがそう言ったのは、ちょうど掬ったスープを口の中へと運んだ時だった。

 何のことがわからず、かといって返事ができないため小首を傾げる。

「無理やりつくった変な微笑み方だっただろう」

「んんッ……」

 ごほっとむせて、スープを噴出さないように必死に飲み込む。焦ったせいか一部が気管に入り、けほけほと何度もせき込んでいると、気を利かせて水を注ぎ足してくれた。

 並々に注がれたグラスからちびちびと飲んで、呼吸を整える。

 とても見苦しい姿だっただろうと思いつつも、重要事項の確認をしなければならないため、咳ばらいをして気を持ち直した。


「そんなに酷い顔をしていたかしら?」

「安心していい。十回に一回くらいだ」

「それって……」


(安心できる頻度?)


 人と接する時は常に微笑みを絶やさないようにしているリディアにとって、その頻度は到底安心できるものではない。

 そんなリディアの心情を読み取ったかのように、言葉が足りなかったなとセシルが続ける。


「魔導騎士は祈祷師の心の機微が認識できなければ、護衛として役に立たない。他の者からしたら全く気にならない差だろう」

「もしかして、みんなもそう思っていたの?」

 心の中で嘆く。魔導騎士にそんな能力が求められるなんて聞いていない。

 おずおずと隣で食事をしていた三人へと顔を向けると、なぜか皆食事をしながらもこちらを見ていた。頷きで返事を返され、またもや軽くショックを受ける。


 リディアが感情を隠すのが下手なのか、はたまたそれを上回るほど些細な変化を察せる能力が彼らにあるのか。

 貴族として人前にでていた頃は心情が顔にでていると言われたことはないので、後者であってほしい。


 込み上げてくる熱から意識を逸らそうと顔を手元へと移すが、耐えきれずに目尻が湿りだす。

 不思議なほどに涙がでる機会が増え始めているのはなぜだろうか。彼らの温かな眼差しがじわりじわりと沁みて涙腺が耐える機能を放棄してしまったようだ。

(虚勢を張っていた今までの私が恥ずかしい)

 彼らに感情を悟られないようにするのは難しいことを知った。

 それと同時に、無理に偽る必要がないのだということも。


「あの、見守っていてくれてありがとう。貴方達がそばで支えてくれているから、私も祈祷師としていられるのだわ」


 泣き笑いなんて人前でしたことが一度でもあっただろうか。たとえ家族の前でも、そんなことをした記憶はない。

 恥ずかしいのに、何故か頬の筋肉が緩んで引き締まらない。


「我々は祈祷師様が心のままに行動してもらえるよう尽くすことが使命ですから」


 ウォルトは普段と変わらずにこりと笑みを浮かべて当然のことをしているだけだと言う。

 それは長年の経験の積み重ねによってウォルトがつくりだした当然であって、その当然にリディアは今後も助けられるのだろう。


「リディアさんの護衛になれたこと、心から嬉しく思います」


 いつも巡回後は不安だった。訪れた人々からは祈祷師として見えていただろうか、人々が望む祈祷師に私はなれているのか。そう考えてしまうのだ。

 けれど、フレッドはいつも、誰よりもリディアのことを“祈祷師様”として見てくれている。

 そのことが気恥ずかしいけど嬉しくて、安心して、凛と胸を張ることができた。


「俺は、何もできなかっただけで……」

 シュンと肩を下げるリオの言葉をすぐさま否定する。

「そんなことないわ。私はいつもリオから勇気をもらってる」


 リオにとってもリディアと同じ初任務だった。わだかまりが残っただろうに、いつもリディアを優先して明るい話題を投げかけてくれた。他の者よりも距離感が二、三歩近く、親し気に接してくれる彼が弟とも重なり、どれほど心の支えとなっていたことだろう。



「さて、明日はどうする? 祈祷師様」

 にまにまと尋ねてくるのは勿論、魔導騎士団副団長だ。

「私が決めてもいいの?」

「当然」

 セシルとは意見が食い違い、衝突することも多々ある。しかし、それでもリディアの意見を確認した上で話し合いをしてくれていた。男性と比べると女性の主張は軽視される風習の中でこうして尋ねてくれるのは新鮮だし、なによりも嬉しいことだ。


「それなら朝はここで働いている方々に挨拶をして、昼からは宵の森へ行きたいわ」


 即答だった。

 今度は明日への期待を隠すことなくリディアは胸をふくらませた。



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