第215話 王の演説

 背中には大勢の人々の歓声が沁み渡る。

 その力強い声に応え、悠然と前へと踏み出したいのだが……目の前にいる鬼のおかげで足が前に進まない。



 今にもブチぎれそうな血管をこめかみに貼り付けて、ポヴィドル子爵は俺の元へ近づこうとした。

 しかし、小さな手が彼を止める。

「子爵よ、落ち着け」

「で、ですが、ブラン様っ」


 彼を止めたのはティラ。

 ティラは子爵へ微笑みかける。


「見よ。皆は心に勇力を宿し、歓声を上げておる。これから戦場へと向かう兵士として、これほど頼もしい光景はないであろう」


 ティラは前を見据え、遠くを望むように視界を広げた。

 そこには多くの兵士、民衆がいる。

 老人も若者も、男も女も、大人も子どもも、全ての人の心に冬を夏へと変える熱情がほとばしる。


 

 だが子爵は、熱と猛りに逆巻く民衆を目にして首を横に振る。

「ブラン様。この演説は兵士や民衆を鼓舞するためだけのものではありません。ブラン様が女王としての威容を誇る場でもあるのですよ。それをっ!」


 ギンッと殺気の籠る目で俺は睨みつけられた。

 モノクル越しから赤黒い眼光が見える。


 だけど、それは仕方のないこと……あれだけ主役はティラだと言われてたのに、感情のコントロールができなくて、つい、勢いのまま気勢を上げてしまった。

 とはいえ、ここまで盛り上がるとは予想外だったわけなんですが……。

 子爵を恐る恐るチラリ…………俺は演説後、殺されるかもしれない。



 怯える俺と激する子爵。

 

 そんな俺たちを見ながら、ティラは笑う。

「ははは、ポヴィドルよ。なぜ、それほどまでに怒る?」

「なぜ? かようなことはおわかりでしょう」

「ヤツハが主役である私を食った。そう思っておるのだな?」

「え……いや、そこまでは……ですが、民衆の心は彼女にっ」

「あまり私を過小評価するではないぞ、ポヴィドル」

「え?」


 ティラは演説台に並ぶ貴族と族長たちを目に入れ、次に俺と視線を合わせる。

「まったく、困難な道を用意してくれるな、ヤツハよ。だが、王たる王の道より面白い」

「ん?」

「ふふ」

 ティラは微笑みを残して、前へと歩き出す。

 そして、歓声を上げ続ける民衆を瞳に宿した。


「さて、猛るのは良いが、少々浮つきすぎだな。どれ、まずは活を入れ、そこから仕上げと行こうか」




 ティラが皆の前に立つ。

 しかし、俺の演説の残滓が熱として漂い、彼らの口と心は沈黙に従わない。


 それでも構わず、ティラはありったけの大声で自身の名を唱えた。


「私はブラン=ティラ=トライフル! 先王プラリネが娘。そして、ジョウハクを継ぐ、アクタを導く者だ!!」


 声は会場を反響し、声を増幅する魔力を通して、都市全体に響く。

 彼らは皆、その声に驚き、言葉を止めた。


 ティラはゆっくりと会場全体を見回す。

 彼女の目は一人一人の顔を瞳に宿すような動作。

 そこからティラは小さな笑い声を上げて、友達に話しかけるような口調を漏らした。


「ふふ、まったく、ヤツハには困ったものだ。こやつは初めて会った時から礼儀知らずでの……」

 弛緩する空気。

 だが、そこから口調を変え、一気に場を引き締める。


「ジョウハクを背負う者を幼子扱いとはッ、礼儀知らずにもほどがあるっ!」

 

 語尾の声は割れるように響き、耳奥をつんざく。

 彼女は俺を一睨みしてから、民衆たちへ鋭い視線をぶつけた。

 先ほどまでの熱気を帯びた空気は消え去り、彼らはビシリと背筋を伸ばし、ティラを見つめ続ける。


 彼女はしっかりと会場全体を見回して、言葉を紡ぎ始めた。



「私は幼い。身体も小さく、頼りなく見えるであろう。だが、私の背中は広い。ここに居る者たち、全ての命を背負えるほどにっ」

 ティラは徐々に言葉へ熱を籠めていく。


「これは覚悟ではない。確信をもって、全ての命を、未来を背負えると宣言する! そこに年齢も性別も種族も関係ない。私は全てを背負える存在! 故に、王である!!」


 彼女は真っ直ぐと片手を伸ばして、空を望む。


「王とは民の道標。私は先陣を切って道を歩む。皆には同じ道を歩めなど命じぬ。命じなくとも、皆は私の道を歩む! 何故ならば、私が切り開く道は、多くの民衆が心惹かれる道だからだ!」


 空を掴み、それを心に置く。

「ヤツハはこう言った! 守りたいものは日常! 大切な人! 私が切り開く道にはその全てがある!! 全ての種が互いに尊敬し、愛し合う。それが私の歩む道の先に在る世界だ!!」


 両手を広げ、世界を迎える。


「それはジョウハクだけには留まらぬ。アクタの全ての道を切り開く。そしてそれこそがっ、アクタ本来の姿。アクタには多くの種族がいる。そこに誰が優れている、劣っているなどはないっ。全てがアクタの民であり、女神コトアに愛されている者たちなのだっ!!」


 会場にいる兵士、民衆。

 ティラの心に耳を傾ける人々。

 

 皆は一言も発せず、ただ静かに聞き入る。

 しかし、心には熱が帯びる。

 ヤツハから受けた熱を上回る激情が!



「私が歩む道は未来。アクタの希望。ここに居る全てが、アクタの明日を創る、歴史を刻む者たちだ! 我々は新たな時代を産む!! さぁっ、心の蓋をけよ! 猛るがいい! 叫ぶがいい! 己と愛する人を思い、明日を信じ、我らは歩む! いざ、未来へ!!」


 広げていた両腕の拳を握り締める。

 同時に津波のような声援が会場を、都市を埋め尽くす。

 大気に伝わる振動は心を痺れさせて、猛りに酔う。


 大勢の人々が隣にいる者と抱きしめ合い、拳をぶつけ合い、喜びを分かち合う。

 それはまるで、勝利を得たかのような姿。


 ティラは民を見つめ、顔を少しこちらに向けた。


「ふふ、どうだ、ポヴィドルよ。ざっとこんなもんだ」


 微笑みを見せるティラ。

 その微笑みは王のものではなく、愛らしい少女の微笑み。

 多くの人々の心に熱を入れ、勇気と希望に満たした王の振舞いを、少女はさも当たり前のようにやってのけた。



 ポヴィドル子爵はティラの微笑みに、言葉を返せずにいる。

「どうした、ポヴィドル? 人の心を知る王では不満か?」

「い、いえ、私ごときに王を計るなどという振る舞いはできません」

「ふふ。固いな、お主は」

 

 ティラの微笑み……それは王たる王の道を歩むのではなく、人々と共に歩む道を切り開く王としての微笑み。

 

 ティラは微笑みを消すことなく正面に顔を向けて、民の声に応える。


 俺はティラの全てを背負う広い背中を見つめる。

 その視界の端に、ポヴィドル子爵が小さな動作で右手を胸に当て、静かにこうべを垂れている姿が映った。

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