第205話 戦場に潜む策
軍議の内容がディープになってしまったため、俺はついていけずに上の空。
完全に手持ち無沙汰となり、やることもなく壁端にあるボードへ目を向けた。
ボードは教室にある黒板の半分くらいの大きさがあり、そこには要塞都市リーベンを中心とした地図が貼ってあった。
西には王都サンオン。東にはいくつかの町を挟んで海。
北は森や山に、そしていくつかの関所を越えた先に小国アイシング。ここはソルガムとジョウハクを挟む中立国。
険しい山脈に囲まれているため、ジョウハクとソルガム双方からの侵略の手から免れているそうだ。
そして南は……。
(ん? 南はキシトル帝国に繋がってるんだ)
リーベンより南には山があり、その先にはキシトルと書かれてあった。
(エヌエン関所から南に行った場所もキシトル帝国だった……随分と横に広がった国だな。ま、それを言うならジョウハクもそうだけど……リーベンの真下にキシトルか)
俺はじっとキシトル帝国領地を見つめる。
地図で見る限り、アイシング国と同じく高い山々に阻まれているように見えるが……。
その地図を見ていると、頭の中に俺の知る戦争の状況が構築されていく。
それはリーベンにとって最悪な状況。
しばらくボードを見つめながら考えに耽る。すると、ポヴィドル子爵がそれに気づいて言葉を投げかけてきた。
「ヤツハさん。どうされましたか?」
「え? あ、その~、リーベンの真下にキシトル帝国があるんだなって」
「ええ、そうですが……それが?」
「なんていうか、言いにくいんですがぁ……この機に乗じて、キシトル帝国がこちらへ軍を向ける可能性があるんじゃないかと」
「ああ、そういうことですか。ですが、その心配はありません」
「どうしてです?」
「こちらの地図には高い山とだけの表示ですが、実際は高いだけではなく、道という道は
子爵の様子から大勢の兵は運用できない道らしい。
つまりは通るはずのない道、使うはずのない道……だが、俺の頭の中にはそれらを覆してきた歴史が思い浮かぶ。
(ハンニバルのアルプス越え。オスマン帝国艦隊の山越え。どちらも敵が想定していなかった場所を通り現れた。そういった話の中で、俺にとって一番身近なのは蜀の滅亡の話かな?)
日本ではおなじみの三國志――魏・呉・蜀。
その蜀の滅亡。これには様々の要因があるが、最後の戦いのみに注目する。
蜀の将・
しかし、魏の将・
蜀の内部の防備は満足に整っておらず、次々と城や関は陥落し滅亡。
(そうなってはたまらないな。素人考えかもしれないけど、万が一ということもあるからみんなに話しておこう)
「失礼、ポヴィドル子爵。少数の兵ならば通ることが可能なのでしょうか?」
「ええ、まぁ」
「となると、やはり南への警戒は高めておいた方がよいかと。杞憂かもしれませんが、万が一ということもあります。敵が少数であっても防備が緩やかな場所を狙われると、多大な損害が出るかと」
「ほぉ~」
子爵はモノクルをくいっと動かして、俺を値踏みするかのように唸り声を上げた。
そしてそれは、子爵だけじゃない。
円卓の席に着く重要人物のみんなが俺を値踏みするように見つめている。
「な、何ですか、皆さん? 俺、っと、私は変なことを言いましたか?」
そう尋ねると、皆の代表と言わんばかりに子爵がニヤリとした笑みを浮かべ答えてきた。
「ヤツハさん。あなたが口にしているのは、ピュリハイの戦いですね?」
「え……はい……」
ものすごく自信なさげに返事をする。
どうやら、
子爵は俺の戸惑い気味の声に眉を顰めたが、さほど気にすることもなく話を続けた。
「時の奇策家ロゼットの山越え。三万の軍を前に、五千の兵を率い険しい山や谷を越え、敵の背後に回り、城を陥落させた。しかしその後、ロゼットはこの功をもって多大な恩賞を求め、本国ロクムと対立し、ロゼットは独立を宣言。そして、僅か十年で滅亡。これは小国の歴史ですが、このようなことをよくご存じで」
「ええ、まぁ、小耳に挟んだ程度ですけど。地図を見ると、状況的に起こり得る可能性があるんじゃないかなぁって」
俺はボードに視線を向ける。
すると、子爵は席を立ち、地図を押さえながらこう続けた。
「先ほども申した通り、道は狭く、五千の兵どころか、百の兵も通れるか怪しい場所。仮に侵攻してきたとしても、その程度の数では山を越えた先に在る関所は破れません。杞憂というものです」
「そうですか……」
「ええ……ですが――」
子爵は腕を組み、軽く息をつく。
「不安要素は極力減らしておきたいですね。南を見張る兵たちには警戒を怠らぬようにと書簡を届けておきましょう。キシトル軍の一人でも見かけたら、すぐさま報告をあげるようにと」
「すみません。手間をかけてさせてしまい、心配性なもんで」
「いえいえ、どうしても私たちは目の前のブラウニー軍のことばかりに気を向けがちですから。ヤツハさんのような目線も必要なんですよ」
子爵の声に何ら感情は籠っていない。
これは嫌味ではないと受け取っていいのだろうか?
とりあえず、無難な言葉を返しておく。
「いえ、どうもです……」
その後も軍議は続き、話はようやく終わりへと近づいてきた。
ゼリカ公爵がティラに話しかけ彼女が頷くと、彼は立ち上がり、皆に声を掛ける。
「それでは皆様、今日はここまでで。あとは各々方が人事を尽くす」
円卓に座る各種族、各軍団の長はコクリと頷く。
それを受けて、ティラは席を立ちあがり、声を上げる。
その姿は少女のものではなく、女王の片鱗を見せるもの。
「クラプフェン率いるブラウニー軍はひと月も経たずに、リーベンへ向かってくるであろう。彼らは北と南に不安を抱え、決着を急いでいる。ならば、我らは腰を据えて、彼らを向かえ討とう」
数も戦力も敵が優勢で、こちらは不利。
だからこそ、冷静で
軍を纏める者たちが浮き足立ってはならない。
ティラは王都へ目を向けて、少しだけ悲しそうな表情を見せる。
「これは同じ国の民同士で傷つけ合う愚かな戦争。だが、ブラウニーを放っておけば、失うものは限りない。私はジョウハクの歴史の闇の道となり、船頭となる。皆よ……」
ここで言葉を溜め、彼女は小さく笑う。
「フフ、私に着いてくるがいい。お前たちの魂は闇に彩られ血塗られようとも、未来に託す輝きは煌々と
最後の言葉を、会議室にいる皆が復唱する。
「「「
俺も一緒に復唱しながら、ティラに視線を向ける。
(ふふ、お菓子を口いっぱいに頬張ってたやんちゃな少女の面影はないな)
それは寂しいような喜ばしいような不思議な感情
子どもの成長を見守る親の気持ちとはこのようなものだろうか。
俺は微笑みとともに、ちょっとだけ寂しさを瞳の奥に宿す。
そこに、ウードが小さな声を産む。
「決着を急ぐ……やはり、そうなるわね。となると、ブラウニー軍は……そして、残存兵を……」
(どうした、ウード?)
俺は心の中だけで彼女に問いかける。
すると、彼女はこう答えた。
(先ほど私は、こちらから攻めることができない、と言った。その理由は王としての道)
(ん?)
(現在ジョウハク国はソルガムの備えに忙しい。その隙をつき、王都を奪還した者を誰が王と認めるの?)
(あ……なるほど……。じゃ、じゃあ、なんでティラが攻めてこれないとわかっているのに、わざわざブラウニーは貴重な戦力をこちらへ?)
(フフ、それはおそらく……)
ウードが予測する、ブラウニー軍の狙い。
その話の内容は……。
――――――――
・ソルガムの野心を前にして、こちらへの攻めを選択したブラウニー軍。
・絶対強者であるジョウハクの要、六龍の半数をティラへ向ける意味。
・大軍を運用できる機会。
――――――――
ウードから話を聞き終えて、戦慄走る。
俺は纏まりかけた空気を壊してでも、ウードの言葉をみんなに伝える。
その言葉に皆は目を見開き、衝撃が身体を貫いた。
ゼリカ公爵は円卓に広がる地図を見つめ、声を震わせる。
「たしかに、我々の立場と彼らの立場を考えれば、そのような手を打ってくる可能性はある。もし、そうだとするならば……舐められたものだっ!」
公爵は言葉に怒りを籠める。
そう、ブラウニーにとって……いや、クラプフェンにとってだろうか。
俺たちとの戦いは、先に続く戦いの前座に過ぎない!!
公爵は円卓に拳を打ちつけ腹立たしさを露わにしながらも、頭を悩ませる。
「しかし、どう対処するっ? 誰が止める!」
この質問にセムラさんが静かに声を漏らす。
「連携を密に。とはいえ、我らは様々な種族が入り交じる混成軍。しかし、やるしかないじゃろうな」
――突如、舞い降りた難題。
すると、ウードは自らが出した難題の答えを口に出す。
そしてそれを、俺の口から皆に伝える。
「…………以上です」
一同は静まり返る。
それは当然。
この策は軍としての技量はもちろんだが、個々の戦力が一番ものを言う、戦争にあるまじき策。
ポヴィドル子爵は声をか細く産む。
「止められますか?」
「止めてみせます。元より、どう軍が展開しようと最後にはそうなる。逃げられない」
「そうですね。たしかにそうです。改めて、勝ちの薄、失礼、私としたことが……」
子爵は士気を下げるような言葉を口にしようとして、慌てて言葉をひっこめた。
熱の下がる会議室。
しかしそこへ、セムラさんの激が走る。
「はっはっは、楽しくなってきたではありませんかっ。相手が策を用い我らを袖に振るう気ならば、こちらは奇策をもって食らいつく。何とも愉快っ!」
セムラさんの豪快な声は、会議室に漂う陰鬱な空気の全て吹き飛ばす。
彼は言葉を続ける。
「儂個人としても、熱く煮え滾ってきた。王を決める戦いという最大の舞台! ライカンスロープ、いや一人の人狼として、持てる力の全てを次代の王、ブラン=ティラ=トライフル女王に捧げよう!!」
そう言って、セムラさんは頑強な拳を強く握り締める。
全身からは気焔が立ち昇り、長ではなく戦士としてのセムラさんがそこにいる。
皆は彼から熱を受け取り、心に火をつける。
俺もまた、セムラさんから受けた熱により、血が沸騰する。
(ここまで来たら、四の五の言っても仕方ねぇ。やってやるかっ!!)
猛る思い……しかし、隣ではウードが眉を顰めながら言葉を落とす。
「自分で言っておいてなんだけど、無謀な策だからあまりやってほしくないんだけど。せめて、即死だけは避けてよ。体を乗っ取れなくなっちゃう」
俺は表情に出さず、心の中だけで吼える。
(お前なぁっ、せっかくのやる気を台無しにするなよっ!)
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