第180話 女王ブラン=ティラ=トライフル

 プラリネ女王が残したメッセージの続き。


 アレッテさん、オランジェット、レーチェは互いに視線を交わし合い、ゆっくりと重き頷きを見せた。

 アレッテさんはティラを見つめて、普段は見せない神妙な面持ちで彼女に問う。

 声はいつものように柔らかく、優しい音。

 でも、言葉には緊張が走り、おっとりとした雰囲気はない。



「プラリネ女王陛下が遺した言葉です――母として娘を思う気持ちはあります。ですが、やはり私は王なのです。非情であることを求められる時があります。それは実の娘であっても例外ではありません。もし、ブランを見事救い出せたのならば、問わなければならないことがあります」


 ティラは母の言葉へ静かに耳を傾ける。

 アレッテさんは一拍挟み、プラリネ女王の言葉に、自身の言葉を重ねる。


「ブラン=ティラ=トライフル。あなたに戦乱を背負う覚悟はありますか?」

「え?」


「あなたがプラリネ女王の遺志を継ぐとなれば、ブラウニー陛下と玉座を争わなければなりません。さすれば、このジョウハクの大地は血に染まるでしょう。その覚悟がありますかっ?」


 アレッテさんは言葉の終わりに力を籠めて、糸のように細い眼を見開き、ティラを睨みつける。

 その瞳にいつもの温和な彼女の姿はない。

 

 

 俺はそんな非情な態度を取るアレッテさんが許せず、ティラを隠すように前に出た。


「それが遺言っ!? アレッテさんっ、ティラはお母さんを亡くしたばかりだぞ! 気丈に振る舞っているけど、辛いに決まっている! そんな女の子に、こんなに小さな女の子に、いま言う言葉じゃないだろっ! あんた、何を考えてるんだよっ!?」


「控えなさい、ヤツハ。これは国と民を預かる者の責務。王としての避けられぬ道。あなたが口を挟む余地はありません!」

「うっ!」


 冷たき眼光が、俺の足を一歩後ろに下げさせた。

 あんなにも優しかったアレッテさんからは、心の通わぬ冷酷無比な言葉が飛ぶ。

 彼女を挟むように立つ、オランジェットやレーチェも同じく冷たき瞳を見せる。


 そこには、俺では絶対に立ち入ることのできない見えない壁が存在していた。


 それでも、ティラを守るために、俺は声を産もうとした。

 だけど、漏れ出るのは擦れた呻き声。

 王という威厳と責務の前に、人の心を宿した声が出てこない。



「ヤツハ、下がるがよい」

 後ろからティラの声が響く。

「ティ、ティラ……」

「これは上に立つ者の役目であり、導く者の務めである。だから、今は下がれ」

 そう言って、ティラは俺の横を過ぎ去り、前に立った。

 そして、アレッテさんへ語りかける。



「選択肢は三つあろうか」

「そうですねぇ」

「一つはここで私が諦めること。もう一つはここより逃げ出し、諦め、どこかに隠れ住むこと。そして、最後の一つは……ブラウニーに奪われた玉座を奪還するため、再びジョウハクへ戻ってくること」


「どれを選びますかぁ、ブランさん」


「まず、逃げ出し諦めるのは論外だ。私が生きている限り、ジョウハクに安息は訪れず、私もまた追手に怯える日々を過ごす。それは生きているとは言えぬ。死、そのものだ」


「残る選択肢は二つ……」

「そうだな。ここで私が死ねば、王室は安泰であろう。無用な混乱も起きることはない。だが、母様の遺志を引き継げば、私の名の下に何万、何十万という命が血の徒花あだばなとなり消える」


 ティラは言葉を紡ぎつつ、身体を小刻みに震わせる。

 それは当然だ。

 自分が助かろうとすれば、数え切れない命が失われることになる。

 

 彼女は王族であり、プラリネが残した希望。

 それを皆は神輿として、必ず担ぎ上げる。

 

 そんな大きな事を、俺よりも遥かに幼いティラの背中が、背負うおうとしている。

 

――そんなもの背負えるわけがないっ!


 そう、俺は感じていた。

 だけど、ティラは……。



「ブラウニーが唯一の王となれば、たしかに王室に混乱はない…………だがっ!」


 ティラは三人を真っ直ぐと見据え、庭園に声を響かせる。


の者の野心はジョウハクはもちろん周辺国を巻き込み、女神の恩寵を戴きしジョウハク。すえには、女神が愛するアクタの大地を血に染め続けるであろう。その戦乱と嘆きは万年の時を刻む。それは見過ごせぬっ!」


 小さな右手を母と繋がる心に当て、左手は強き意志を掴む。


「プラリネ女王は魂魄こんぱくとなろうとも、ジョウハクを愛している。皆が楽しく笑い、平穏に包まれる素晴らしき風景をっ! 娘である私はこれを守る義務がある。そしてそれは、私の求める情景でもある!」



 この熱籠る言葉へ、アレッテさんは氷のように冷たい言葉を浴びせる。


「民の安寧のために、多くの無辜むこの民を犠牲にするのですか!?」

「その通りだ。万年の暗黒を千年の暗黒とするために、私は民に犠牲を強いる。私の魂魄は母プラリネと違い、血染めとなろう。だが、そうであっても、私は血塗られた王の道を歩む!」


 幼き少女は瞳に、覚悟と王としての輝きを宿し、アレッテさんたちを見つめた。

 輝きを受けたアレッテさん、オランジェット、レーチェは皆、顔より険を取り、柔らかな笑みを浮かべる。



「ブラン殿下、今まで教育係としてお傍に仕えられたこと、誇りに思います」

「ブラン。やはり、お前が最も王に相応しい。まったく、双子の王など、余計な制度を産んだものだ」

「ふふ、兄さま。それは人類の祖たる双子を生み出した女神様に対する不敬ですよ。でも、ブランちゃん。いえ、ブラン女王陛下」


 三人は片膝をつき、臣下の礼を取り、声を揃え言う。


「我ら三人はきたるべき日のために王都にて、延頸挙踵えんけいきょしょうの思い忍ばせ、女王のジョウハクへの帰還をお待ちしております!」


「ふふ、女王はちと気が早すぎるだろう。だが、そうならなければならないのであろうな」

 大きく空を見上げるティラ。


 城から出れば、プラリネの娘ティラではなく、ジョウハクを背負う王としてのブランが待っている。

 あの、無邪気で、我儘で、愛らしいティラはいなくなる。



「ティラ……」

「何だ、ヤツハ。浮かぬ顔をして?」

「いや、そうだな。俺よりもちっちゃなお前が頑張ってるのに、俺が沈んでたら格好がつかねぇな」

「ちっちゃなは余計だ、馬鹿者。まったく、お主という奴は何も変わらぬな」


「人を成長してないみたいに言うなっ。これでも少しは成長してる実感はあるんだぞ!」

「気のせいではないのか?」

「お前な……」

「フフ」


 ティラは小さく笑い、微笑みを俺に見せる。


「それでよい。ヤツハはそれでよい……では、参ろう」

「ああ。あっ、そうだ。アレッテさんたちはここに残るんですか?」

「ええ、教会はプラリネ派でしたけど~、影響力はまだ大ですからね~。何とか~、ブラウニー陛下を牽制してみますぅ」


「「私たちもです」」


「オランジェット様、レーチェ様」

「大罪の王の息子として……」

「娘として……」


「……わかりました、頑張ってください」

「はい」

「ええ」


「それでは、俺たちは行きます」


 俺とティラは彼らを横切る。

 そして、『東国リーベン』へ向かうため、隠し通路へと飛び込んだ。




――庭園


 

 オランジェットとレーチェは駆けていくティラの背中を見つめる。

 彼女の姿が隠し通路へと消えたところで、オランジェットは言葉を零した。


「父は、ジョウハクの全てを手に入れたい。双子という制度を打ち破って……私たち次期双子の王は邪魔な存在。だが、しばらくは救われた」


 レーチェは悲痛な思いを言葉に籠める。

「ええ、私たちはブランちゃんの決断に救われた。父の目はブランちゃんに向かう。その間だけは……ああ、最も信頼すべき親と子の間で、なぜこのような。そして、本来の次期王たる私たちが幼子に命を守ってもらうなんて……」


 

 翼をもがれた双翼の王は、幼き王に命を救われたことを恥じる。

 

 アレッテは重責を背負い、父と子の縁を失おうとしている二人へ、とても柔らかでありながらも厳しい声を掛けた。


「王とは~、親と子の関係だけでは語れませんよ~。それが宿命~。多くを背負う者の役目なのです~」

「そうだな……こんな感情を抱く私たちに王の資格など元よりないのだろう」


「そのようなことはぁ、決してぇ」


「いいのだ、アレッテ。母を失ったブランは全てに盲目でなく、王の目を見せていた。思い知らされたよ。器の違いというやつを……」


「兄さま。それでも私たちは王族……私たちにはまだ、やれることがあるはずです」

「レーチェ。ああ、そうだ。ブランに貰った命。あいつのために、我らのやれることをやろう」

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