第169話 女神の協力者
トーラスイディオムとの戦いのあと、日も暮れ始めていたので、しばらく先に進んだところで野営をすることになった。
俺たちは戦いに疲れ、食事を終えると早々に眠ることにした。
見張り番と火の
それだと不安ということで、ノアゼットも付き合うそうだ。
なんだか奇妙な組み合わせだけど、サダさんが問題を起こさないことを祈ろう。
「それじゃ、二人ともよろしく。しばらくしたら起こしに来てね。見張り番を交代するから」
「うむ、休むといい」
「へっへっへ、おじさんに任せてぐっすり朝まで眠ってても大丈夫だよ」
そう言いながら右手に酒瓶を持っている。
この人、夜通し飲む気だ。
「全く、サダさんは。ノアゼット様だけが頼りなんでよろしくお願いします」
「心得た」
「あ、邪魔だったら切り捨てて結構なんで」
「ヤツハちゃ~ん、おじさんに冷たいって~」
「そう思うなら、せめて酒瓶ひっこめろよっ」
少しばかり語気を強めて咎めてみるが、サダさんは飄々とした態度を崩さない。
「まったく……ふぁ~あ、じゃあ、お願いね」
俺はトルテさんとピケとエクレル先生と一緒に荷台に上って、毛布に
因みに貞操の安全を考えて、先生は一番端。その隣にトルテさん。
「じゃ、ピケ。一緒に寝ようか」
「うんっ。おねえちゃんと一緒に寝るの初めてだから、ちょっと嬉しいな」
「そっか。できれば、話の一つくらいしてあげたいんだけど、今日は疲れててね」
「うん、わかってる。おやすみなさい、おねえちゃん」
「はい、おやすみ。ピケ……」
微睡みが身を包み込んでいく。
耳端にエクレル先生の愚痴が聞こえてきたが、それさえも子守唄となって、俺は夢の世界に旅立っていった……。
――野営地
龍への恐怖が残る馬が火を恐れぬように、たき火は荷馬車より少し離れた場所にある。
そこでサダは干し肉をツマミに酒をちょびりちょびりと味わっていた。
「いや~、見張り役ってのはこいつがないと。ノアゼット様も飲むかい?」
「見張りが酒を飲んでは意味がないだろう。そんなことよりも」
ノアゼットはサダを鋭く睨みつけた。
瞳に宿るのは警戒と畏怖の光。
彼女は全身を
「サダとかいったな。お前は何者だっ?」
「うん、何のことだい?」
「とぼけるな。あの大岩を刻んだのはお前だろうっ!」
「ノアゼット様よ、ちっと、声が大きいねぇ」
「ウッ」
サダは荷馬車にチラリと視線を投げつつ、言葉にドスを利かせた。
そこには殺気など微塵もない。だが、ノアゼットの声を閉じさせる力はあった。
彼女は沈黙のままに、背後にある荷馬車に気を向ける。
皆は静かに寝息を立てている。
ノアゼットは改めて、サダに問いかけた。
「あの太刀筋。速さと正確さ。あれは女神の装具を授かる六龍を超えるもの。サシオンや黒騎士でさえ、あれほどの剣は見せられまい。もう一度問う。お前は何者だ?」
ノアゼットは紅き瞳に力と光を籠める。
はぐらかせる気はなさそうだ。
サダは右眉に残る古傷を撫でて、ため息をつく。
「はぁ~、仕方ない。今から話すことは女神コトアの密命に関わること。心して聞けよ」
「女神だと?」
「まずは自己紹介と行こうか。俺の本当の名は……」
――ひと月半ほど前
王都サンオンより遥か東にある東国『リーベン』。
ここは将来、ティラ……プラリネ女王の娘、ブラン=ティラ=トライフルが隠居を余儀なくされる場所。
そこから遥か北へ向かうと、深い森の中に小さな村があった。
その村からさらにさらに山を登り、木々に埋もれた場所に彼は住んでいた。
「ふ~、遠いですねぇ。フォレさん」
「そうですね。しかも、山道。堪えますね、アマンさん」
フォレとアマンはサシオンの剣と魔法の師である、伝説の人物に会いに訪れていた。
アマンは鼻をぴくぴくと動かして、先を見つめる。
「どうやら、到着のようですね」
「みたいですね」
簡素な山小屋がフォレの視界に入った。
山小屋のそばでは男が斧を振り下ろして薪を割っている。
それは全く無駄のない動き。
フォレはごくりと唾を飲み込みつつ小さく呟き、アマンは全身の毛を逆立てる。
「なるほど、さすがサシオン様の師であられる方。私にはあの方がどれほど高い頂にいるのかさえ分からない」
「ええ、そうですね。すでにこちらに気づいているはずなのに、あの方からは気の小さな乱れも感じない」
どんな者であれ、来客となれば、僅かに気が乱れる。
しかし、斧を振り上げている男からは気の乱れなど皆無。
フォレとアマンは互いに頷き合い、彼に近づいていく。
「失礼します。サシオン様からの紹介でこちらに訪れた、フォレ=ノワールという者です」
「同じく、クイニー=アマン」
「ああ、聞いてるよ。珍しくサシオン坊やが連絡してきたと思ったら、まさか面倒を見てやれとはね」
男は斧を木製の台に突き刺して、二人へ振り向いた。
その男の姿を目にして、フォレとアマンは言葉を失う。
「え、あ、あなたはサ、サ……」
「たしか、宿屋サンシュメに泊まっていた……」
男は二人の驚きようを愉快そうに見つめ、名を明かす。
「私の名は
フォレとアマンの瞳には英雄ミズノ=サダイエ……いや、宿屋サンシュメの酔っ払いであるサダの姿が映っている。
もっとも、その男は彼らの知るサダとは違い、酒に溺れておらず、実に精悍な中年の男性の姿だが……。
フォレは声に驚きを交え震わせながら問いかける。
「あ、あなたはサダさんでは? ですが、眉に傷がないから別人?」
「ふふ、君たちはあっちのサダには会っているのだな。女神の協力者となった私に……」
――再び、たき火前
ノアゼットはサダを見つめながら、彼から受けた話を噛み締めるように言葉を漏らす。
「お前はあの英雄ミズノ=サダイエと同一同等の存在と?」
「まぁな。最も同一ってのは語弊があるが。俺は英雄ミズノとは違うからな。あいつは女神の誘いを断り、人としてアクタで自由に過ごした存在。俺は女神の下で、彼女に協力している水野だ」
「いったいどういうことだ?」
「マヨマヨの正体は知ってるんだろう?」
「ああ。異世界の存在だろう」
「俺たちも同じだ。アクタの外側には無数の似た異世界が広がっている。英雄ミズノと俺は、別々の世界から訪れたミズノというわけだ」
ノアゼットは眉間に皺を寄せる。
それはサダの説明に理解及ばぬところがあるからだ。
だが、彼女は自分なりの解釈で受け入れることにした。
「異なる近しい世界より、二人のミズノがアクタへ訪れた。双方とも能力の差異はない。だが、一方は人としてアクタで生き、お前は女神コトアに協力することを選んだ」
「まぁ、そういうことだ」
「どうして、同じ自分でありながら、道を分かつ?」
「近しい世界とはいえ、違いはある。二人の水野には妻と娘がいる。英雄ミズノの妻と娘はアクタに訪れる前に事故で亡くなっているが、俺の妻と娘はまだ事故に遭わず生きている」
「その違いが道を分けたと?」
「そうだ。あいつは自分の世界に未練がない。だが、俺には待っている家族がいる。本来ならば、俺は帰還を求めてマヨマヨとなるところだったが、そこを女神に勧誘されてね」
「勧誘だと?」
「ああ、女神は元の世界に戻れると、俺に言った。それも、事故が発生する前の時間にな。もっとも、それを行うのは女神ではなく……本当にこんなことをしている俺を……」
サダは途中で言葉を言い淀む
その態度にノアゼットは眉を顰めるが、そのことについてサダはこれ以上話す素振りを見せず、態度を改めて一気に言葉を締めた。
「いや、そのことはいい……とにかく、事故発生前の時間という言葉は魅力的だ。これはマヨマヨの技術を使っても無理だろうからなっ」
言葉の終わりを少しだけ跳ねて、ニヤリと笑う。
その笑みは中年の男性のもの。
とても数百年前の存在とは思えない。
「お前は、英雄ミズノ様よりも若いのか?」
「あん? ああ、そういうことか。俺もあいつもほぼ同時期の五百年以上前に、アクタに来ている。互いの存在を知ったのはあいつが英雄として名を広めた時だ。広まるまでの三百年間は俺と同じく、世界中を旅していたらしい」
「五百年以上だと? とてもそうは見えんっ」
「ま、そうだな。俺たちが若く見えるのは、魔法の力。そいつで
「てろめあ?」
「魔法ってのは便利だね。知識とそれ相応の力さえあれば、若さを保てる。おかげさまでいつまでも同じでいられる……あら、酒が切れたか」
サダは僅かに残った酒を煽る。
「ま、こちとら女神の
「ヤツハに? 何のために?」
「さらなるアクタの繁栄のためにさ。これ以上は話せない」
サダは酒瓶を地面に置き、ノアゼットに冷たき眼光を浴びせる。
「今宵の話はすべて忘れろ。これは人の外側で行われている事象。人の関わることじゃねぇよ」
彼は熱を一切感じさせない瞳を見せる。
それは、ノアゼットの紅き瞳を青に染め上げるほどのもの……。
だが、彼女は目を逸らさずにサダへ言い放った。
「アクタに生きる者として、女神コトア様の
たとえ相手が絶対的な存在であったとしても、ノアゼットは守るべき者を手放すようなことはしない。
彼女には彼女の道がある。
サダは凛とし真っ直ぐな心に微笑む。
「ふふ、いいんじゃねぇのか、それで」
――――――――――
※テロメアについて
染色体の末端にある染色体を保護する構造物。細胞分裂の度に短くなる。短くなりすぎると染色体の保護ができなくなる=細胞の死。通称・命の回数券と言われるもの。
また、寿命とあまり関係ないのではないかという話もあるそうですが、ここはあるということで採用しています。
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