第160話 宿営地
すさまじく名残り惜しそうなクレマをトルテさんから引き離し、メプルへ向かう。
森を出て小一時間ほど進むと、カルア率いる警備隊の宿営地が見えてきた。
彼らはこの周辺に出た魔物を狩るために遠征してきたらしいが、しっかりと仕事をしているのかはわからない。
宿営地は道を挟むように両脇にあり、兵士たちが休むくすんだ白色の幕舎が張られてあった。
メプルへと続く道は木の柵で封鎖され、柵の前には門番らしき二人の兵士が見える。
兵士はやる気がないのか、欠伸を交えながら背伸びをしていた。
俺は荷馬車の上から兵士を見つめる。
「王都にいる
「ヤツハ、そういうことは口に出さない」
「あ、すみません。トルテさん」
「とりあえず、あの門番と話そうかね」
荷馬車の速度を緩めて、柵の前で止まる。
それを見た兵士たちはだらだらと歩きながらこちらへやってきた。
彼らとトルテさんが会話を始める。
「通りたいのか?」
「はい、この先にあるメプルへ向かう途中です」
「そっかぁ、ほら」
兵士の一人が手の平を見せて突き出してきた。
トルテさんは懐から数枚の硬貨を取り出して、彼に握らせる。
兵士は何度か手の平を動かして、チャリチャリと硬貨の音を立てて枚数を確認した。
「ん、いいだろ。通れ」
柵は開かれ、俺たちは宿営地内へと入ってくる。
兵士たちからある程度距離を取ったところで、トルテさんに声を掛けた。
「今のって……」
「ああ、仕方ないさ。下手に問答して、こじれるよりかね」
「うわ~、ダメダメだな、この警備隊は。さっきの様子からして、予め用意してたんですか?」
「あまりいい評判を聞かないからね。クレマから警備隊がいるって聞いて、こうなるだろうと予想できてたし」
「どうしようもないな~。でも、この様子だと、ここから出る時も……」
「おそらくね」
「
「怒っても仕方ないよ。だから、ヤツハ」
「わかってます。地面でも見ときますよ」
「ふふ、地面って」
トルテさんは小さな笑いを零して、出口へと向かう。
俺は今のやり取りでピケのことが気になった。
こんな厭らしいもの、幼い子に見せてもいいものかと。
顔をピケに向ける。
見つめられたピケは首を捻った。
「どうしたの、おねえちゃん?」
「いや、なんて言ったらいいんだろうね」
「ん? もしかして、さっきのまだ怒ってるの?」
「まぁ、そうだけど……ピケは大丈夫?」
「え……? ああ、そういうこと。平気だよ。そういう人たちもいるからね」
「そうだね……」
あっけらかんとした声を返してきた。
そこには怒りも嫌悪もなく、まるで何気ない日常会話。
俺はそこに価値観の違いを感じる。
(そうか。ここはそういうのは当たり前の世界なんだ。考えてみれば、貴族などの身分制度があるわけだし、庶民に対する理不尽は当然存在するわけで……今まで、そんな不快な目に合わなかった俺は運が良かったんだな)
ピケに視線を向ける。
ピケは宿営地の様子に興味を惹かれて観察しているようだ。
無邪気な表情を見せるピケに、寂しさを感じる。
(子どもがあんなものを見ても動じずに、当たり前のように受け入れるなんて。仕方のないことなんだろうけど、もやもやするな……俺の方が子どもだってことなんだろうか?)
俺は小さくため息をついた。
その音を聞いた先生が、心配そうに声を掛けてくる。
「大丈夫、ヤツハちゃん?」
「はは、中身が子どもなんで、理不尽を目の当たりにすると、ちょっと。まったく、こんなことくらいで」
「いえ、ヤツハちゃん。それはとても大切な気持ちよ」
「先生?」
「その気持ちを忘れずいられる人が増えれば、より良い世界を産みだせるからね」
「……そうですね。怒りは発露せずに内に秘め、あんな連中が少しでも減るように頑張りますか」
「ふふ、そうね」
「で、具体的に何をすればいいんでしょう?」
「まったく、それは自分で考えることでしょう」
「そうなんですけどね、相手は警備隊。他にもそんな兵士や貴族がいるとしたら、庶民の俺はどうすればいいのかと思うと……俺は意識の構造改革や法の整備なんてできる立場じゃないし」
「ふぅ~、ヤツハちゃん」
先生は息を落としながら首を横に振る。
「どうしてそんな大きなことを? 身の周りで困っている人を助けて、少しでも優しさを広めていく、でいいじゃない。いきなり、法の整備なんて……どうしたらそんな発想になるのか?」
「あ……そっか、そうですね。うん、自分でできる範囲で善意の輪の広げればいいだけか」
先生に諭されて、うんうんと頷く。
そこへサダさんが大きな笑いを挟んできた。
「わははは、ヤツハちゃんはスケールがでかいねぇ」
「うっさいよ、サダさん」
「いやいやいやいや、バカにしてるわけじゃないよ。ヤツハちゃんなら可能かもね」
「また、テキトーなことを」
「そうでもないだろ。ヤツハちゃんの名は王都だけじゃなくて、周辺国にまで広がってるし、人気だって高い。うまく転がれば、良い地位を狙えるんじゃ。法の整備とやらに関われるくらいの」
「無理だって、そんなの。第一、興味ないし。街の便利屋として、みんなの手助けしてる方がずっといいよ」
「そうかい、もったいないな~。おじさん、お零れ貰いそこなっちゃったよ」
「あんたな~」
俺とサダさんのやり取りに、みんなは呆れながらも笑顔を見せる。
その中で、一人の女が冷たく瞳を輝かせた。
(本当にもったいない。あの酔っ払いの言うとおり、あなたは大きな機会を得ている)
俺はみんなに笑顔を向けながら、目の前に立つウードへ意識を向ける。
そして、頭の中だけで彼女と会話する。
(うるせい、引っ込んでろっ)
(青く、欲もない。そこは私とは対照的ね)
(するとなにか、お前は老獪で欲に塗れてるわけだ。薄汚そうな女だな)
(フフフ、純白なドレスでしか着飾ることのできない女には、真の魅力なんてないのよ。子どものあなたに何を言っても理解できないでしょうけど……)
ウードは心を凍りつかせる冷笑を見せて、姿を薄靄のように揺らめかせ消えていった。
俺は氷の微笑に交じる余裕に
(欲塗れの女か。そんな奴に体を奪われたら……)
「クソッ」
小さく反吐が漏れた。
それはこの場にいたみんなの耳に届く。
みんなは目を丸くして俺を見ている。
俺は慌ててその場を誤魔化した。
「あ、ごめん。さっきの兵士のことを思い出して。あはは、ダメだねぇ。つい、感情が表に出ちゃった」
トルテさんは声の
「本当に大丈夫かい?」
「大丈夫です。兵士に食って掛かるようなことはしませんから」
「それを心配してるわけじゃないんだけど……まぁ、あんたが大丈夫っていうなら、いいけど」
トルテさんは前を向いて、荷馬車を走らせる。
他のみんなはというと、じっと俺を見ている。
俺はこれ以上心配かけまいと精一杯の元気を見せた。
「だから、大丈夫だって。ほら、出口が見えてきたぁぁぁ~…………ん~、んん~? なに、あれ?」
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