第120話 暑さとミイラ

「暑い……」

 先頭の荷台の上から響く、今際いまわきわの声。

 

 季節は夏の終わりが始まろうとしている頃。

 そのため、残暑はいまだ厳しい。

 おまけにエヌエン関所へと続く街道には森などの木陰は一切なく、太陽が嬉々として俺たちを照らし続ける。

 

 俺は隣でちょこんと座っているアマンに話しかける。



「アマ~ン、冷気生んで~」

「それはヤツハさんだけにですか? それとも皆さんにも?」


 荷台に座ったまま、彼女は後方へ目を向ける。

 俺も同じく目を後方へ向ける。

 霞むくらい長い車列。周りには護衛する兵士さんたち。

 みんなに冷気をプレゼントしようとしたら、どれだけの魔力が必要か……。

 

 かといって、自分だけ涼し気ってのも問題だ。

 ただえさえ兵士さんたちは歩きだってのに、俺は荷台の上で楽をしている。

 隊を預かる者が、あまり優遇される姿を見せては示しがつかない。

 不満が高まれば士気が落ちる。暑さに拍車をかけてやる気が落ちる。


「はぁ~、我慢しますか~。アプフェルたちは?」

「アプフェルは後方です。フォレさんは車列全体の見回り。パティさんは……そばにご遺体が」

「えっ?」


 きょろきょろと左右を見回すと、荷台の端に、頬はこけて汗が乾ききったパティの姿があった。

 彼女はピクリともしない虚ろな表情で、日傘を片手に、どこともない場所を見ている。


「生きてる、よね?」

「今のところは」

「水分は取ってるの?」

「ええ。塩分もしっかり。ですが、あのドレスでは……」


 陽射しが槍のように降り注ぐ炎天下の中、パティはいつもの豪華な真っ白のドレスを着ている。



「今すぐ脱がせよう。適当な布で周りを隠すから」

「それは私もしようとしたんですけど、頑なに拒否されました」

「なんで?」


「フィナンシェ家の威厳を損なうわけにはいかないと」

「あんな頬がこけて、ミイラまっしぐらの姿に威厳も何もないだろっ?」

「それはご本人に言ってください」


 アマンは首を左右に振りながら両手を上げる。

 そこから説得は無駄ってのがはっきりわかる。


「仕方がないな。アマン、こっそりパティの周囲の気温を下げて。俺はそれとなく風の魔法で風を起こすから」

「よろしいので?」

「あのままだと脱水症状起こして、ほんとに死ぬ。俺たちは物資を運んでいるのであって、死体を搬入するわけじゃない」


「わかりました。ですけど、パティさんは優秀な魔導生。魔力の発生に気づきますよ」

「俺が周囲のマフープに干渉して、パティの感知能力を鈍らせる」

「あら、そんなことが?」

「魔力の流れを制御する要領でやれば何とかなるよ。それに今のパティの状態だと、まともに感知も働かないだろ」


 俺たちはもはや瞳に焦点すら存在しない、優雅さ皆無の変わり果てたパティの姿を目に入れる。


「そうですね。それでは気温を下げましょう」

「うん。あ、そういや、アマンは大丈夫なの、暑さ? 黒い毛が全身覆っているのに」

人猫じんびょう族はこの程度で弱音を吐いたりしませんから」

「へ~。じゃ、俺はマフープに干渉しつつ、軽く風を起こしますか。アマン、頼むよん」


 彼女の肩をポンっと叩く。

 すると、ひんやりとした空気の層が手の平に触れた。



「アマン? もしかして、お前ひとりだけ?」

「そ、それはっ」

「お前、人には我慢させといてそれはないだろ!」

「わ、わ、私は人間や人狼と違って、呼吸や毛づくろいでしか体温調節できないんですよっ。こうでもしないと、あっさり血液が沸騰してしまいますからっ!」


 アマンらしくない、怒涛の言い訳攻勢。

 だけど、たしかに猫は汗をかかないって聞く。

 でも?


「肉球って汗かかないの?」

「肉球の汗は体温管理のためじゃありません。緊張した時や滑り止めのために出るんですっ」

「滑り止め?」

「高いところにジャンプする際や、高所を歩く際に役に立ちます。特に、私たちグラン=ヌーに住まうケットシーは海の一族。船の甲板の上では絶大な効果を発揮しますから」


「いや、靴履いてるから意味なくない?」

「船の上では裸足なんですっ」

「そ、そう。ごめんなさい。とにかく、汗かかないのね」



 ものすっごい剣幕に呑まれて、これ以上の追及は無理だった。

 言い訳を終えた今も、アマンは鼻から荒く息を出している。

 

 まさか、アマンにこんな一面があろうとは……そういえば、初めて会ったときに興奮状態になると人猫族はやりすぎるきらいがあるって話してたけど。

 暑さが彼女の理性のタガを緩めてしまったのか……。


 アマンは数度深呼吸を繰り返して、いつもの口調へ戻る。

「申し訳ありません。正直にお話ししますと、人猫族は暑さが苦手でして」

「そうなんだ。だったら最初からそう言ってくれればよかったのに」

「ヤツハさんに我慢しろといった手前、難しくて」


「それは俺が隊を率いるリーダーだからだろ。部下の前では示しをつけないとな。でも、アマンみたいに事情があるなら仕方ないよ。現にミイラになりかけてるパティには特別にって、パティはっ!?」



 俺たちは慌てて、パティへ振り向く。

 パティは瞳から光を消して、影のうっすいパティが身体から抜け出す途中だった……。

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