第72話 忍び寄る影

 俺はティラが呟いた女性の名に惹かれ、声が聞こえた後ろへ振り返った。

 いつから、彼女はそこにいたのか?

 真後ろには胸元に小さな歯車のような金のペンダントをつけた、黒い修道服姿の若い女性が立っていた。



「えっと、どちら様?」

「あら、ごめんなさ~い。私は~、大聖堂に仕える司教アレッテと申しますぅ。そして、そちらのぉ、『ティラ』ちゃん? の教育係も務めているんですよ~」


 司教を名乗るアレッテという女性は糸のように細い目の隙間から、鋭い眼光をティラにぶつける。

 さらに、彼女は教育係とも名乗った。

 ということは……王女様の教育係……ってことは……ヤバくねっ。


 慌て、ティラに耳打ちをする。


「おい、この人って、お前の教育係ってことは城の関係者かよっ?」

「あ、ああ、私の教育係、悪魔のアレッテだ」

「悪魔はともかく、抜け出したことバレてんじゃねぇか。どうすんだよ!? 隠し通路の件もバレてるんじゃ!? 俺の首が飛ぶぞ!」

「安心せい。そこは誤魔化してみせる。以前話したと思うが、抜け道はいくつか用意してある。その一つを犠牲にすればよい。それよりも、逃げるぞ!」

「逃げてどうすんだよっ? 詰んでるだろ。お祈りをさぼって、王都で遊んでたこと!」

「だから、逃げるのだっ。捕まったらどうなることかっ!!」

「し~、馬鹿、声がでかい」



「あら、あら、私から逃げられると思っているんですかぁ~、ふふふふ~」



「「ひぃっ!」」


 アレッテは朗らかに笑う。

 だが、その身から湧き出る気配は明らかに常人の者じゃない。

 

 俺は覚悟を決めた…………ティラを捧げようと。



「ピケぇ、どうやらティラのお身内の方がお迎えに来たみたいだよ。残念だけど、今日はここでお開きってことで」

「え、そうなの~。それじゃあ、しょうがないよね」

「そうだね。では、俺たちは帰ろうか」

 

 ピケの手を握り、歩き出そうとする。

 しかし、俺の腕をものすご~っく強く引っ張る者が……。 

 

「待て、どういうつもりだっ?」

「どうもこうも、もう、どうしようもないだろ。悪いが、あとは一人で頑張ってくれぇ」

「見捨てる気かぁ。私がどうなってもいいのかぁ」

「すまん、俺にやれることはない。あの、アレッテさん」


「はい、なんでしょう~?」

「今日は 偶然・・ティラちゃんとお会いできたおかげで、私とピケともども、楽しく過ごさせていただきました」

「そうですかぁ~、こちらこそお世話様ですぅ」


 と、話しつつ、アレッテは暴れ狂うティラを右脇にグッと抱える。

 見た目は線の細い女性だけど、かなりの力持ちだ。

 脇の中ではティラが激しい抵抗を見せている。



「はなせ~、はなせ~、お仕置きは嫌なのだ~。助けるのだ~、ヤツハ~ヤツハ~」


 うぐっ、半泣き状態で俺の名前を呼び、助けを叫ぶ姿に、罪悪感という刃が心にグサグサと……しかし、庇ってやることはできない。


(すまん、ティラ。墓前には揚げパンを供えてやるからな。南無)


 俺は心の中で念仏を唱える。

 だが、成仏などさらさらする気のないティラは、今もアレッテの腕の中でもがき、助けろと俺の名前を叫ぶ。

 その叫びを聞いたアレッテは、指先を顎に置き、首を傾げながら俺の名前を呼んだ。


「ヤツハ? もしかして、あなたがあのヤツハちゃんなの~?」

「はい? どこかでお会いしましたっけ?」

「いえいえ、ノアちゃんからぁ、話を聞いただけですぅ」

「ノアちゃん? 誰?」


「ノアゼット=シュー=ヘーゼル。お菓子屋さんでぇ、困っているところをぉ、助けてくれたんですってねぇ」

「え? ああ、あのときか……って、待てよ。じゃあ、あんたがノアゼットに買い物を頼んだ人なのっ?」

「ええ、そうですよぉ。うふふ~」



 何とも緩い笑い声を上げるアレッテ。

 佇まいはお淑やかでやんわりとした女性。

 しかし、あのノアゼットをちゃん付けで呼び、さらにはお菓子を買いに行かせることのできる人物。

 これは、完全に見た目では判断できないヤバい人だ!


「ヤツハちゃん」

「はいっ、なんでしょうか?」

「ノアちゃんを助けてくれてぇ、ありがとう」

「いえ、そんな」

「あの子、なかなか誰かからぁ、助けてもらうなんてことないから~、とっ~ても喜んでいたわよぉ」

「そうですか。まぁ、ちょっととっつきにくい人ですからね。ほんとは、優しい人なんだけどなぁ」



 お菓子屋に入りづらかったのは、先にいた親子の団欒を邪魔しないため。

 とても、優しい人。


 俺の言葉を聞いたアレッテさんは、少しだけ声を振るわせて、細い瞳の奥に慈愛を浮かべる。


「ノアちゃんのことを優しいだなんてぇ。よかったわねぇ、ノアちゃん。あなたのことを理解してくれる人がいて~」


 彼女の暖かな雰囲気から、ノアゼットのことを大切に思う気持ちが伝わってくる。

 しかし、そんな雰囲気をぶち壊す、カラスのように騒がしいだみ声がアレッテさんの右脇から響く。



「は~な~せ~、私はもう少し遊ぶのだぁ~っ」

「もう、たくさん遊んだでしょう~。だからぁ、おうちに戻ったら、お説教~」

「い~や~っ」


 ティラはアレッテさんをバシバシと叩くが一切動じない。

 彼女はティラの足掻き無視して俺に近づき、耳そばでささやく。


「今日は~、ありがとうございますぅ。ブラン王女に、お付き合いいただいてぇ」

「え……あ、はい」


 アレッテさんはニコリと微笑むと、喚き叫ぶティラを抱えて立ち去っていった。



「はは、何もかもお見通しって感じか。せめて、隠し通路の件はバレてなきゃいいけど」

「かくしつうろ? な~に、それ? ヤツハおねえちゃん」

「なんでもない。俺たちも帰ろっか」

「うん……ティラちゃん、また会えるかな?」

「さぁ、どうだろねぇ。会えるといいな……あ、ピケの服!」


 服の回収を完全に忘れていた。

 どうしようかとピケに目を向ける。

 ピケは満面の笑みを見せて、こう答える。


「いいよ、今度で。だって、もう一度会えるってことだもん」

「ははは、ピケはすごいな」


 ピケの前向きなものの考え方が心に響く。

 俺よりもずっと年下なのに、とても良くできた子だ。

 俺はピケの頭を撫でる。

 ピケはちょっと照れたように、手をもじもじさせる。

 その手を握って、二人仲良く宿屋『サンシュメ』に帰宅しようとっ!?



――カササギリョウ――



(えっ!?)


 どこからか、年老いた男の声が俺の名を呼んだ。

 しかも、その名前は地球にいた頃の、男としての名前!

 俺は周囲に顔を振る。

 しかし、周りの人々は何事もない様子を見せている。

 どこにも、名前を呼んだと思われる人物は見当たらない。


「ヤツハおねえちゃん、どうしたの?」

 ピケは俺の様子を心配して声を掛けてくる。

「い、いや、なんでもない。たぶん、気のせいだ」

「うん?」

「今日は疲れたからな。早く帰って、夕ご飯にしよう」


 俺はピケの手をしっかりと握って、足早に我が家に戻っていく。

 たしかに聞こえた、名を呼ぶ声に怯え、逃げるように……。





――――ヤツハはピケとともに去っていく。

 

 ヤツハの後ろ姿を、カレは無辺むへんの静寂の内に見ていた。

 カレは街を行き交う人々の間で、青い襤褸ぼろを纏って立っている。

 その姿は誰が見ても異様なモノ……だが、街の者は皆、カレの姿が目に映らないかのように通り過ぎていく。


 

 カレは、マヨマヨ。迷い人。

 迷い迷いて迷いざるを得ない旅人……。

 

 カレは点となったヤツハを見つめながら、ともしび薄い掠れた声を漏らす。


「地球で後悔の七十年。時無ときなき積木の世界、アクタに訪れ、焦がれた三年。ようやく、会えた……笠鷺、待っていろ。私が必ずっ、君を助けてみせる!!」




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