後日談の明けぬ夜

日本一ソフトウェア

【前編】 『私の人生は後日談』

【後日談の明けぬ夜】作:城花健人


 死へと続く地下鉄の入り口に足を踏み出す直前、ふと空を見上げた。


 雲ひとつない青空の中心で、煌々と輝く太陽。

 今まで何度となく見てきたその光景が、今日は一際美しく見える。

 それはきっと、このまま地下へ降りてしまえば、もう二度と見えなくなるからかもしれない。


「……バイバイ」


 短くない期間を過ごした街に別れを告げ、地下鉄へと降りていく。


 一段一段階段を慎重に降りる途中、右手に持った無地の紙袋が中身の重みでユラユラと揺れるのを、傘を手にした左手でそっと支えた。


 そう簡単に中身は漏れ出さないだろうけど、無警戒でいられるワケもない。

 なんせ下手に漏れ出せば、周囲もろとも私だって命を落とすのだから――。


        ◆


 何か大きな事件が起きた時、盛り上がるのは解決するまでだと思い知ったのは、中学への進学を控えた頃だった。


 ある日、学校から帰ると自宅アパートの前に大量の報道関係者がいて、彼らと目が合った途端、私はあっという間に取り囲まれてしまった。


 話を聞くと、当時世間を賑わせていた大規模テロに、昔私たち家族を捨てて蒸発した父親が関わっていたそうだ。


 父の顔も知らない私は困惑し、何も答えることなどできない。しかし、そんな私の態度をマスコミたちはこぞって「何かを隠しているのでは?」と責め立て、映像を全国放送のニュース番組でも取り上げた。本当に何も知らないだけなのに、マスメディアはまるで父親をかばっているようだと報道して、さも犯罪者扱い。自分の知らないところで、真実が捏造されていく。


 その日からはまさしく地獄だった。

 周囲の大人たちが私を腫れ物のように扱い、その空気を子どもたちも察して、私にツラく当たる。その連鎖は日に日に激しさを増していき、筆舌に尽くしがたい仕打ちもたくさん受けてきた。


 でも私は、文句ひとつ言わずに耐え続けた。

 だって報道によると、父の加担した事件の死者はゆうに三桁を超える。


 身内がそれだけの命を奪ったというのに、娘の私がのうのうと生きるワケにはいかない。みんなが私にツラく当たるのも当然。私は周囲の仕打ちを受け入れて当たり前。そう思って、耐えて耐えて、耐えて耐えて耐えて、真面目に、慎ましく、精いっぱい生きてきた。


 警察のお世話になるような不良行為は一度だってしたことがない。

 お天道様に胸を張って、自分は清く正しい人間だと言える。

 善人であり続けたはずだ。


 それでも一向に、周囲からの評価は変わらなかった。

 不良生徒のことは面倒を看る先生だって、私には声もかけない。私と同じシングルマザーの家庭に優しい地元の商店街も、私にだけ冷たい目を向ける。優しいと評判の近所の老夫婦すら、私が近くを通ると、視界に入らないフリをするほどだ。


 心労で倒れた母が、病院から受け入れ拒否をされ、自宅の布団で療養するようになった時、私の中で徐々に、世界への憎悪が募り始めた。


 ――私たちが何をしたんだよ。私たちだって父の被害者だ。そもそも『明けぬ夜事件』の被害者でもないヒトまで怒り狂うのはどうして? 何かを失ったのか? 私たちからささやかな幸せを奪うほど、嘆き苦しんだというのか? 私たち母娘を批判できるほど、アンタたちは立派な人間なのかよ!!!


 言いたいことはたくさんある。

 でも吐き出せる場なんてないし、終わった事件の後日談になんて、誰も興味は示さない。


 だから、母が病死した夜に自宅を訪れた黒スーツの男性からこう誘われた時、心が揺らいだ。


 ――周囲がテロリスト扱いするなら、本当にテロ事件を引き起こしてみませんか?


 その恐ろしい提案を受け入れることにしたんだ。


        ◆


 ――地下鉄に揺られながら、長椅子ロングシートに座って一人、今までの人生を振り返っていた。


 嫌なことばかりの人生でも、死を目前にすれば自然と、感傷に浸ってしまうのだと思い知る。


 これから大量殺戮をしようというのに、身勝手な自覚はある。

 でも、あと20分もすれば目的地の駅へと着いて、私の人生は幕引きなのだから、多少感傷に浸るくらいは許されるはずだ。

 都心に着くまでの間、もう少しだけ、穏やかな心地でいたかった。


 電車内を眺めてみると、“組織”の読み通り、ほとんどヒトを見かけない。

 車両の壁面に沿って設置された長椅子ロングシートにも、私以外に座る客は皆無。

 人の出入りが少ない駅では警戒が甘くなる点を突き、私の地元のローカル駅から都心へと向かうという計画は、半ば成功している。


 私は嫌われ者でも、今まで犯罪の前科はないし、警察も無警戒のはず。服装はビジネススーツ。怪しまれないよう、髪型もちゃんと整えてきた。自分で言うのもなんだけど、犯罪を起こすような外見ではない。

 計画を阻止できる者など誰もいないだろう。


「やぁ。隣、座っていいかな?」


「――え?」


 不意打ちで話しかけられて、声のした方を向く。

 いつの間にか、私のすぐそばに髪の白い女性が立っていた。


 白と黒の生地に金色の刺繍がなされた、ノーブルでかつフォーマルな見た目のドレスに身を包み、腰まで伸びた白い髪が一層優雅な雰囲気を醸し出している。

 ツリ上がった鋭い目の中心で輝く瞳は、まるで紫陽花のような色で、見ていると吸い込まれてしまいそうだ。


 でもよく見れば、女性の顔立ちにはまだ幼さが残っていた。

 浮世離れした外見ではあるものの、恐らく目の前の女性――いや少女は、高校生ぐらいの年齢に見えた。高く見積もっても、18は超えないはず。


 二十数年の人生の中で見てきた中で間違いなく、最も美しい少女だった。


「ダメかな? 隣」


「え、あ、い、いえ! どどど、どうぞ!」


 年下相手であろうに、つい敬語になってしまった。

 私以外の客などいないにも関わらず、少女は私の隣へと座る。


 段々と冷静になるに従って、隣の少女のおかしさに警戒を強めていく。


 犯行の直前に、常人離れした少女が現れ、わざわざ私の隣へと座るなど不自然だ。

 偶然で片付けられない。まず間違いなく、私の敵だろう。


(……まさか、この子、私の計画に気付いている?)


 足元の紙袋の位置を、目立たないようにそっと少女から離した。


 もし仮に私を警戒していたとしても、まだ始めてもいない犯罪に証拠などない。

 紙袋の中身さえ見られなければ、いくらでも言い逃れできる。

 どのような行動に出るか警戒すべく、横目で少女の様子を伺った。


「そう警戒しないでくれ、毒ヶ森松子ぶすがもりまつこくん。不毛な駆け引きなどする気はないよ」


 いきなり本名で呼ばれた。


 もう悩むまでもない。

 間違いなく、目の前の少女は私に何らかの疑いを持って、アプローチをかけてきている。


 何としても、紙袋を奪われることだけは避けなくては。


「ふふ、後生大事に紙袋を扱っているな。よほど大切なモノでも入っているのか?」


「ただの書類ですよ。何なんですか、あなたは一体?」


「すまない、申し遅れたな。私は理想探偵。『探偵同盟』という組織に属する探偵だ」


「理想、探偵……」


 その名前には聞き覚えがあった。

 あくまでネット上のウワサでしかないけれど、ここ数年、大きな事件が未然に防がれた際には決まって『理想探偵』という名前を聞いたヒトが出るらしい。


 まるでヒーローのようなその存在は、彼女が所属する『探偵同盟』という組織の名と一緒に、ネット上でフォークロアのように広まっている。


「その探偵さんが、何の用ですか?」


 ペースを握られないよう、こちらから問い掛けた。


 最優先は相手の目的を知ること。

 このまま相手のペースで話を進められるのは、避けなくてはならない。

 そんな私の心中を知ってか知らずか、自称・理想探偵の少女はさらりと告げる。


「いや、何。キミが恐らく、毒薬を使ったテロの片棒をかつごうとしているだろうと予想して、先回りしていただけさ」


「ハ、ハァ?」


 ――何で知っているの!?

 何とか平然と返すことができたけれど、内心胸はバクバク。


 表情を取り繕うので精いっぱいだった。


「突然こんなことを言われれば困惑するのは当然だな。安心してくれ。警察への情報提供はまだだし、『探偵同盟』も私以外のメンバーは動いていない。私の独断専行だ」


「私を疑う根拠でも、あるんですか?」


 必死に平静を保ちつつ、そう訊ねかけた。

 言っていることは意味不明だけど、理想探偵を名乗るこの少女以外に、私を疑っているヒトがいないことだけは分かった。

 この理想探偵を名乗る少女の言葉を信じるなら、まだ致命的な状況ではない。


「確たる根拠はないよ」


「なら、どこかへ行ってください。あなたと話すことなんて、何もありません」


「手厳しいな。私はただ、キミの目的地に着くまでの20分間、話し合いの時間が欲しいだけなんだが」


「ど、どうして目的地が新宿って……!?」


 口に出してすぐに自らの口を手で塞ぐ。


 しまった。

 ただのカマかけだったかもしれないのに、目的地を言ってしまうなんて最悪だ。

 警察でも呼ばれて先回りされれば、一巻の終わりじゃないか。


「大したことではない。キミの元に化学兵器が手配され、過去の事件の手法をなぞるとすれば、この路線で最も経済が発展した駅で犯行を行うのが効果的だろう?」


「あなた、どこまで私のことを……」


「私ばかりに話をさせるのはフェアじゃない。少しはキミ自身のことも話したらどうだ?」


 理想探偵は腕を組んで余裕の笑みをたたえたまま、仲間や警察へ連絡を取る素振りも見せない。


 余裕の表れなのか。それとも、ただのアホなのか。

 目の前の少女が何を考えているのか分からない。


「さっきから煙に巻くような発言ばかり。根拠もない推測に、応える義理はありませんね」


「そうか。ならば、段階を踏んで話していこうか」


 理想探偵が真っ直ぐに私と目を合わせる。

 その目は宝石のようにキレイなのに、年下の少女とは思えないほど鋭く、力強い。


 私は、蛇に睨まれた蛙みたいに、ピクリとも動けなくなった。


「キミも、自分の父親が加担していた『明けぬ夜事件』については知っているだろう? とある新興宗教団体が、大地震に乗じて都心の地下鉄で化学兵器によるテロを決行。しかし、その計画を察知していた警察が対処し、被害を最小限に留めることができた」


「ええ、知っていますとも。父が犯してきた罪のせいで、残された私たち家族も随分と苦労してきましたから」


「だろうな。キミの父親、毒ヶ森英堂ぶすがもり えいどうは事件で用いられた化学兵器の開発者だ。彼は化学兵器の開発に当たって、多くの罪なき人間を実験材料にしたとされている。世間からのバッシングも強くて当然だろう」


 理想探偵の話を聞いているだけで、嫌な記憶が思い返され、ドス黒い感情が湧き上がっていく。


 本当に最低の父親だ。

 聞けば聞くほど、死刑になって当然の人物だと思う。

 だからこそ、私もこれまで、周囲からの仕打ちに耐え続けてきた。


 だけど、これ以上は、もう耐えきれない――。


「……父親が罪人だから、疑ったというワケですか。探偵とか言っても、根本は無責任なマスコミと変わりませんね」


「早合点するな。父親は父親、キミはキミだろう? 父親を理由に疑うなど愚の骨頂だ」


「なら何故、私を疑ったんですか?」


 こらえ切れない感情が声になって溢れ出した。

 一度言葉にしてしまうと、もう止まらない。


「私はこれまで真面目に生きてきました。父親以外のことで、誰かに疑われる要素はないはずです。いつもいつも、いつもいつもいつも……! 私の人生は父のせいで台無しになってきたんですよ!」


 堰を切ったように次々と溢れ出す父親への恨み。


「私が何をしたって言うんですか……!? 父以外の点で私を疑った理由があるなら教えてください! 私の何が悪かったのか、教えてくださいよ!」


 これは、ただの八つ当たりだ。

 今まで溜め込んできた感情を、目の前の少女にぶつけているだけ。


 そんなことは分かっている。

 分かっているけど、止められない。

 十年以上も苦しみ続けてきた想いが、全部口から溢れ出していく。


「どうして父親が犯した罪を、私が背負いを続けていかないといけないんですか!?!!」


 私と理想探偵しかいない地下鉄の車両に、私の絶叫が反響する。


 理想探偵は何も言わず、ただじっと私を見つめ続けていた。

 それから、私が全ての言葉を言い切ったのを確認したように、ようやく口を開く。


「毒ヶ森松子くん。キミが如何に苦しんできたかは、よく分かった。しかし、キミはひとつ大きな誤解をしている」


「誤解、って……?」


 私にそっと微笑を返すと、理想探偵は懐から折り畳まれた一枚の紙を取り出した。

 理想探偵がその紙を開くと、中には意味不明な文字列が並んでいて、内容は読み取れない。


 ただ、最後だけは普通の日本語で、ハッキリと読み取れた。

 ――毒ヶ森英堂、と。


「それは、父の……?」


「ああ。キミの父から探偵同盟に届けられた手紙だ。盗み見られても平気とするためか、少々難解な暗号になっていたが、中身は読み取れた。だから今、私はキミの前にいる」


「ハァ? 何で私に繋がるんです?」


 言っている意味が分からず、問い返してしまった。

 暗号を解いたことが、何で私を疑う結果に繋がるというのか。


 私が首をかしげたのを見て、理想探偵は表情に影を落とし、言葉を続ける。


「手紙にこう書かれていたからさ。娘が狙われている。助けてくれ、とな」


「え……?」


 思いもしなかった言葉を聞き、私の頭の中は真っ白となった。


 ――後編へ続く

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