ある日うちのネコが聖戦を始めたんだけど

杉浦ヒナタ

第1話 ノブナガ、聖杯争奪戦に参加する

「起きろ蘭丸。一大事だ」

 はあん?

 あたしは突っ伏していた参考書から顔をあげた。失礼なノブナガだ。これは決して寝ていた訳ではなく、参考書の内容を脳に直接刻み込むというカバラの秘法を行っていた所なのだ。


「よだれで頬に文字が転写されておるぞ、愚か者め」

 しまった。そもそもカバラの秘法とは記憶術ではなかった。

「で、何よノブナガ」


 うむ。とノブナガは頷くと机に飛び乗って来た。何事か考え込むように、机の上を行ったり来たりする。その度にしっぽの先があたしの鼻をくすぐった。

「ふえっくしょ!」

 えい、邪魔だ。

 あたしは目の前の縞模様のしっぽを掴む。するとしっぽの先だけがピコピコ動いている。ちょっと可愛い。

「離さんか、蘭丸。重要な話があると言ったであろう」

 ああ、そうだった。


「よいか。わしは日々、天下布武に向けて邁進しておる」

 そうは見えないが。

「いつも、おなか一杯ご飯を食べてはどこか散歩してるだけだよね」


 ノブナガは机を飛び下りると、今度はベッドの上に上がる。そこで片足をあげて、お腹のあたりを舐め始めた。


「わしが天下布武を成し遂げるにあたり、足りぬものが有ると気付いたのだ」

 やっとそこに気付いたか。

「うん。それは人徳だよね」

「愚か者め。そのようなもの、売りに行くほど持っておる」

「その割には裏切られてばかりのような気がするけど」

 相当に在庫が少ないのは間違いない。


「おのれ。主人を愚弄すると只では済まさぬぞ。きさまの頭蓋骨に金箔を貼って聖杯にしてくれる」

「聖杯?」

 ノブナガの口から聞きなれない言葉が出て来た。


「おお、そうじゃ。忘れるところであった。わしに足りぬものがあるという話だったであろう」

「だから人徳のことでしょ」

 くっくっく、とノブナガは笑った。いや、毛玉を吐きそうなのか。


「わしの天下布武に必要不可欠なもの、それは『ロンギヌスの槍』と『聖杯』だ」

 ロンギヌスの槍と聖杯。

「それ、何だっけ」


 ああ、この前読んだBLマンガのセリフであったな。確か『この俺のロンギヌスの槍でお前の××を』どうとかこうとか。

 ひやー、恥ずかしい。そうか、ノブナガもついにBLに目覚めたのか。

「何を赤くなっておるのだ。気味のわるい奴め」

「おやおや?」


 どうやらノブナガの言うロンギヌスの槍とは、あたしが思っていたのとは違うモノらしい。

「世界を制した者は必ずその槍を持っていたというのだ」

 へえ、そんな便利なものがあるのか。

 しかし、そんな事を一体どこで知ったんだろう。ああそうか、また隣の幼馴染みと変なビデオを見ていたんだな。大抵そこがノブナガの情報源になっているらしいから。おかげでこっちはいい迷惑だ。


「よし、それでは蘭丸。わしについて来い」

 どこへ行くつもりだ、ノブナガ。

「財布を忘れるなよ」

 買い物かな?


 ☆


『イカリ堂 模型店』

 店の看板にはそう書かれていた。

 あたしはプラモデルとか造る趣味はないので、この店に入るのは初めてかもしれない。ショーウインドウには、紫と緑色をした人間サイズの巨大ロボット模型が展示してある。

 値段は……ひええ。


 店先にネコが一匹寝そべっていた。組んだ前足の上に顎を乗せて、サングラスを掛けたように目の周りだけが黒い。

「たしか、ヱンドウちゃんだったっけ」

 ちっちゃい頃は『えんどうまめ』ちゃん、略してヱンドウちゃんと呼ばれていた。最近は貫禄がついてきたので『司令』とも呼ばれているらしい。


 ヱンドウちゃんは、ノブナガとあたしをちらりと見ると奥に入っていった。

「あ、いらっしゃい」

 入れ替わりに、なんだか気弱そうな店主が出て来た。でもこんな頼りなさそうな見かけだが、二股とか三股とか、かけているという噂がある。まったく人は見かけによらないものだ。


「おい蘭丸。早く用件を言うのだ」

 ああそうだった。

「すみません。ロンギヌスの槍、下さい」

 なんだよ。おもちゃの槍だったのか。意外と可愛い所が有るな、ノブナガ。



 でも結局、あたしたちはそれを買う事はなかった。

 その原因を簡潔に言えば。

「あれは、あたしの経済力をはるかに越えているよ」

 何であんなものが、この値段なんだ。あたしの想像を二桁は越えているじゃないか。そりゃ精巧に出来てるらしかったけども。

 でも、あれ買うくらいなら魔法少女になれるステッキを買うよ、今更だけど。


 お客さん逃げちゃダメだ、逃げちゃだめだ、と繰り返す店主を尻目に、あたしたちは店から退散した。


 ☆


「なるほど、世の中は金で動いておるのだのう。これは新たな金づるを探さねばならぬようだな」

 ノブナガは、ちらりとあたしを見上げて嘆息した。

「ちょっと。ノブナガにとってあたしは、ただの金づるなの?」

「いや。食事も用意してくれる、金づるじゃ。安心せい」

 完全に下衆男のセリフみたいな気がするのだが。


「これは『サカイの商人』に掛け合わねばならぬかのう」

 誰だろう、引っ越し屋さんか?


 次にあたしたちが立っているのは喫茶店『今井』の前だった。ここなら、あたしも友達とお茶会をしている。

「チャイロ、いるか」

 ノブナガが呼び掛けると、店の裏から一匹のネコが出て来た。ノブナガに顔を擦りつけて挨拶している。なかなか礼儀正しいネコだ。そしてノブナガが敬われている姿を初めて見たぞ。


「この者は金策に長けておるからのう。借金を申し込もうと思うのだ」

 ネコに小判ならぬ、ネコに借金とは。

 そういうとノブナガはチャイロくんと何か相談を始めた。


 やがて憤懣やるかたない様子でノブナガは戻ってきた。

「奴め、ただで矢銭は出せぬと言いおる。借金のカタを出せというのだが、これが無理難題でのう」

「へえ、どんな」

「世界金融機関でレートが決まっておって、わしの希望金額だと蘭丸の胸の肉1ポンド(453.6グラム)だというのじゃ。ほんに無体な事を言いおる」


「……」

「何じゃ。言っている意味が分からぬのか。つまり借金が返せない場合には、お前の胸の肉をだな……」

「分かってるよ、そんな事。だから何であたしの胸なの」

 本人抜きで勝手な相談をするな。

 ふん、と鼻を鳴らし、ノブナガは前足で顔を撫で始めた。


「だからちゃんと断ってやったぞ。無い胸は振れぬとな」


 それもなんだか、腹立たしい。


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