間違い電話 作・糸乃蜘蛛

そもそもの始まりは、間違い電話だった。


何度も何度もけたたましくなり続ける電話から、受話器をむしり取るようにとると、


「やっと出た!お父さん、どうして来てくれないの!?もうすぐ終わっちゃうのに!?」


 イマドキの人はその存在を知らないという古めかしい型の固定電話から、挨拶もなしに聞こえてきたのは、今にも泣きそうな女性Aの声。しかし私には、娘も、ましてや妻もいない。


 しかし、間違いですよ、と言う間もなく、Aはまくしたててくる。


「約束したじゃん!?何で今になってまた駄々こねてんの!?」


 声で判別するに、かけてきている女性Aは20台半ばといったところか。おそらく外にいるのだろう。風が引き起こすノイズがすこし入っている。こんな推測が当たったところで何があるわけでもないだろうが。


「いや……」


「もういい!今からそっち行くから!みんなで行くからね!」


 電話は切れた。




 ぼさぼさの頭を振りつつ、私は床に座り込む。「間違い電話ですよ」と私が一声かければよいだけだったのに。できなかった私が恨めしい。


ぼんやりと壁のひびを眺めて、できそこないの思考を動かしていく。かけてきた女性Aの声色は演技かと思うくらい必死だった。お父さんにかけたつもりで私に話していた。女性Aはお父さんの状況を聴こうとはしなかった。約束に違い、お父さんは女性Aのもとに来てくれなかった。お父さんは女性Aに対して駄々をこねていた。最後に、女性Aはみんなでお父さんのところに行くと宣言した。


電話台の下に突っ込んである、日焼けした電話帳を何とはなしに引っ張りだし、見もせずにペラペラとめくりつつ、ふと思う。外からかけてきているとすれば、女性Aは携帯電話からかけてきているのではないか。Aの携帯電話ならば、父親の番号くらい登録しておくのが普通ではないだろうか。Aは父親の番号を登録しないほど、父親のことを嫌っていたのだろうか。いや、むしろ、Aは自分の携帯電話を失くし(もしくは持っておらず)、他の人に携帯電話を借りたのではないだろうか。


 分厚い電話帳をすべてめくり終えた私は、今度は反対側からめくっていく。沖縄の市外局番は098から始まるらしい。だからどうした。


 そうして何往復めくっていったか分からなくなった時、再び電話が鳴った。予想していなかったわけではないのに、どこか虚を突かれた私は、たっぷり逡巡したのち、受話器をとる。


「ああ!よかった!入れ違いになったんじゃないかと思って今かけたの!もうすぐ着くから!首洗って待ってて!」


 私が腕に止まった蚊を叩き潰したのとまったく同時に、電話は切れた。血は吸われていなかった。開け放した窓から見える景色は、夕焼けとは思えないくらいに空が真っ赤に染まっていた。窓から入ってくる空気は燃えるように熱い。




 3度目の間違い電話はワンコールでとった。私はもう、間違いであることを彼女に伝える気はない。







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