Act.4:[チャリオット] -忠実な従者- ③
暗い部屋を月明かりが照らす。空に浮かぶ2つの月は、太陽程の光源は持たないものの、世界を真っ暗闇から救ってくれる大切な存在だ。
薄闇の中でそれを見つめていた少女…アイシャは、窓際の机に並べられたカードに意識を移す。
「お嬢…」
その中で、チャリオットと綴られた一枚が不安気な動きを見せた。微かな輝きを伴い、猫の姿から人間の姿へと変化したチャーリーは、跪いて言葉の続きを口にする。
「本当に…あいつで良かったんですかい?」
「くどいわね、チャーリー。まぁ、あなたの気持ちも分からなくは無いけれど」
諭すように微笑むと、アイシャは机に付属された簡素な椅子に腰かけた。
ここはとある小さな村の小さな宿屋。時刻はといえば、グスに別れを告げてから悠に6時間は過ぎている。それにも関わらず、何故また今になって話をほじくり返すのか?
理由は簡単。移動に人通りの多い街道を使った為、チャーリーはアイシャのマントの内側でずっと沈黙を保って居たからだ。
「すいやせん。あの野郎、あっしだけならともかくお嬢にまで反抗的な態度を…」
「いいのよ。あの子はあれで」
「しかし…」
「いい?チャーリー」
憤り、思わず伏せていた顔を上げたチャーリーに、アイシャの妖しい笑顔が注がれた。
「本当に私に反抗心を持っているならば、あの子は既に事を起こしている筈よ。それに、あの子の性格は私が一番良く知っている。…違う?」
「…ごもっともで」
「更に言えば、私の占いは絶対なの。分かってるでしょう?チャーリー」
「…すいやせん、出すぎた真似を」
「謝ることは無いわ。あなたがグスを良く思わないのは、良いことだもの」
ショボくれるチャーリーの頭を撫でながら。アイシャはゆっくりと、笑みを強めていく。
「力と道具が仲良くなれば、凶悪な力となる」
月の光が照らし出す彼女の色違いの眼差しが、瞳を上げたチャーリーを見据えた。
「だけどそれが、全ての事態を回復させるとは限らない」
妖しい笑みは、何処までも何処までも。妖艶と不可思議を持って、チャーリーを魅了する。
「目に余る力は身を滅ぼす。使用者は、身の丈に合った力、状況に応じた力を見極めなければならない。だけど、それが出来る人間なんて…世界中を探しても、殆ど存在しないでしょうね」
クスクスと声を漏らすアイシャに、チャーリーの瞳が数回瞬いた。気付いたアイシャが困った様に肩を竦める。
「難しい顔をしないの。チャーリー」
「すいやせん。お嬢の話は、あっしにはちいとばかり難しすぎやす…」
「まぁいいわ」
立ち上がり、チャーリーを膝立ちにさせたアイシャは、彼の後頭部に手の平を回した。
「あなたは私の道具」
子供に言い聞かせるような声で。
「私だけの道具でいてくれればいいの」
子供に愛情を注ぐように、アイシャはチャーリーを抱きしめる。
響きとは裏腹に、彼女の言霊は二人の関係性を示す。文字通り、親子でも恋人でもなく…
「お嬢の仰せのままに」
そう。主人と「道具」として。
「さぁて、あっちはどうなってるかしら?」
もう一度チャーリーの頭を撫で、振り向いたアイシャは再び椅子に身を預ける。机の上に並べられたカードに混じる、一つの大きな水晶玉が彼女の顔を映し出した。
「あらあら。ジャッジも大胆な行動に出たわね」
「あの坊主…ジャッジさんに迷惑をかけおって」
水晶に映し出された光景に、アイシャとチャーリーが各々の感想を漏らした。
離れた位置から二人が見守るのは、暗闇に包まれつつある森の中。
今にも腹部を噛み砕かれようとしているジャッジを、エニシアの色薄い眼差しが見据えている。
アイシャにトレードされたことで色違いになったその眼差しが、次の瞬間見開かれる事になるであろう事を、複数の人物が予測していた。
「少しは後悔したか?エニシアよ」
パッチリと開かれた両目。その黄金に、薄い笑みに、死が差し迫った濁りはない。
「……大した演技力だな」
「なんて事は無い」
状況を見て確かに目を見開いたエニシアは、ため息と同時に顔の力を抜いた。ジャッジはエニシアの緊張が去るのを認識しながら、狼の顔に片手を乗せる。こちらもエニシア同様に驚いた瞳でジャッジを見上げた。
しかし、狼はエニシア程無気力ではない。警戒と恐怖から、勢い良くジャッジの肢体を噛み砕いた。
雨の様に滴り落ちる血液、時間差で地に落ちる切り分けられたジャッジの身体。エニシアも、狼も、今度こそ終わったと思った。
しかし、それは一瞬にして否定される。
まるで映像が途切れる予兆のように。切断された筈のジャッジの身体がノイズを纏って繋がってゆく。辺りを染めていた筈の鮮血も、ジリリと鳴いて消えてしまった。
ジャッジの不気味な気配を目の当たりにした狼は、子供をくわえて一目散に走り去る。後には服に着いた土埃を払う音が、規則正しく響くだけだ。
暫く呆然とその様子を眺めていたエニシアは、不意に譫言のように言葉を漏らす。
「……どういう事だ?」
ゆっくりと振り向いたジャッジの薄笑いを受けて、エニシアは更に訝しげに問いを投げかけた。
「どうして死なない?僕が見たのは幻だとでも言うのか?」
「わしに興味を示すとは、なかなか進歩したようじゃの」
「質問に答えろよ」
心なしか怒りが混じっているようにも聞こえるが、エニシアの表情は何時もと然して変わり無い。
ジャッジは満足気に微笑んで、地に這いつくばるエニシアを見下ろした。
「そうじゃの。お主の憶測通りかもしれんの」
「意味が分からない」
「当たり前じゃよ。意味など無いのじゃから」
お互いの視線は交わっている筈なのに、その先にある心意に確実なズレがある。これ以上、この話を続けても無駄だろう。エニシアはそう思い、仕方なく話を別方向へ逸らした。
「じゃあアレは何だ?この国の魔道士が使うものとは、全くの別物だろう?」
「意外に詳しいようじゃの」
ジャッジはエニシアの魔法に関する知識力に目を丸くする。エニシアは此方が正しい選択肢だと認識しながら、小さくため息を漏らした。
「当たり前だよ。何度も見てきたんだから」
「そうか。お主、魔道士をも簡単に倒してしまえるのか」
「これ以上、話をはぐらかすなよ」
流石のエニシアも体力が尽きてきたのか、元から覇気が薄い口調が更に弱まった事で、ジャッジの笑みも薄くなる。
ジャッジは低速の瞬きで表情を変えると、エニシアに真っ直ぐな視線を向けた。
「…お主は剣を使って人を斬るのじゃろう?」
「それが何?」
「剣は道具じゃな」
「正確には武器だけど」
「理屈は良い。わしとて同じじゃよ。道具を使って、敵を倒した。それだけじゃ」
「あの宝石みたいなヤツ?」
「そうじゃ。あの道具が、わしの武器となる」
「どういう原理?」
「回答の前に…参考までに聞かせてはくれんか。お主の目にはどう映った?」
「あの魔法陣に入った敵に、雷が落ちたように見えたけど」
「その状態にしては、なかなか良く見ておるな」
「だけど、子供の狼だけはすり抜けた。あれは?」
疑問に深々と頷いて、ジャッジはストンと腰を下ろす。そうして、森を凝視しつつ低い声を出した。
「あの子狼は、わしに敵意を持っておらんかったからじゃよ」
不思議な回答にエニシアの眉が歪む。ジャッジは視線をそのままに、嘲笑を持ってこう続けた。
「わしの道具には幾つかの能力が備わっていてのう、基本的に…ジャッジメントとしての色が濃いんじゃ」
「意味が分からない」
「わしは審判を下す者。つまり、相手がどうなるべき相手であるかを見極め、それに合った術を発動させねばならん。見合わぬ場合は攻撃対象にならない…と言えば、少しは分かるか?」
「…君にしては、珍しくちゃんとした回答だ」
エニシアは呟いて、意識の薄い頭でジャッジの言霊を整理する。その目の前では、大人びた子供の表情が深闇に染まりつつあった。
「…さっきは、どんな審判をしたんだ?」
月が雲に隠れ行く。微かな光源をも失った森の中に、エニシアの掠れ声が響いた。
「わしに対して害を成すものを攻撃せよ。つまり、正当防衛じゃ」
「ふうん。あの子狼が、それを突破して…術を解いたのか」
「さぁのう。どうじゃったか…」
「記憶が曖昧ってことは。やっぱり、一回死んだ?」
「ほう。そう見えたか?」
「君、やっぱりひねくれてるね。…少しは、率直な答えを…返してくれても良いと、思うんだけど」
「それには、お主がもう少し態度を改める必要があるのう。エニシア」
「結局、そこに行き着くわけだ」
徐々に薄れるエニシアの声を聞きながら、ジャッジは一人微笑を漏らす。
「そういうことじゃ。分かったら、暫し大人しく反省することじゃな」
言うなれば、先の見えぬ闇の中で、微かな光を見つけたように。
気を失ったエニシアを見下ろすジャッジの眼差しは、今までに無い優しさを帯びている。
それを確認した見守る者達は、安堵と期待を込めて傍観を中止した。
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