Last Case ~未完成男子⑫~

「この声って……」


 俺は周囲を見渡した。

 案の定、近くにいたはずの品川さんの姿が見当たらない。


「羽島っ! アレって……」


 福山さんの指差す方を向くと、先程のが品川さんを捕らえていた。

 その左手は品川さんの口元を塞いでおり、彼女は彼女でその拘束の下、モガモガと必至に抵抗を試みている。

 そして右手には、まるでお約束とばかりにが握られていた。

 安城も良くやるものだと、内心感心してしまう。

 品川さんについても、白々しいと言えば白々しい。

 しかし、この後に及んで何が狙いだというのか。


「あー福山さん。アレはですね……」


 俺が呆れながらも状況を説明しようとした時、品川さんは口元の拘束を強引に解き、叫ぶ。


「羽島くんっっっ!!! お願いっっ!!! 助けっ!! ぐっ」


 品川さんは鬼気迫る形相で、俺に助けを求めて来る。

 男はそれを許さず、すぐに彼女の口元を塞ぐ。

 ここまで来ると、悪ふざけにも見える。

 だが、不味い。

 二人の度の超えた演技に、俺たちは衆目の的になってしまっている。


「おいっ、安城! 流石にやり過ぎだ! もう少し周りを見ろ! 大体、お前はそういうところをだな……」

「羽島くん! 違うの! この人、安城くんじゃないみたいなのっ!」

「は? ちょっと待て! じゃあ……」


 品川さんは黙って頷く。

 それに呼応するように周囲は露骨にざわめき立つ。

 今日は何度、裏切られればいいのか。

 天賦の才とも言える、俺の巻き込まれ体質が引き寄せてしまったのか。

 呪うべきは己自身かもしれない。


 ……そんな悠長なことを考えている暇はない。

 目の前で、現在進行形で知り合いが脅威に晒されているのだ。

 落ち着け……。落ち着け……。


 待て。

 これも豊橋さんのシナリオかもしれない。

 三島は言っていた。

 小学生時代の彼女は、天真爛漫でイタズラ好きな少女であったと。

 この程度のどんでん返しなど、本来彼女にとって赤子の手を捻るも同然なのかもしれない。


 だが、待て。

 冷静に考えれば、やはりそれは違う。

 言っても、豊橋さんだ。

 彼女は、俺がどれだけ国家権力に気を遣ってきたか、目の前で見てきたはずだ。

 わざわざ、警察沙汰になるような嫌がらせをするとは考えにくい。


 しかし、待て。

 それは俺が勝手にそう思っているだけだ。

 豊橋さんは、良くも悪くも真っ直ぐな人間だ。

 目的遂行のためなら、あらゆるカードをテーブルに乗せる可能性すらある。

 

 とは言え、待て。

 本来の目的を思い出せ。

 そもそも、彼女の嘘を見抜くことが目的ではない。

 俺自身が過去から脱却し、ひいては彼女がそれを通じて成長を遂げるためのプロセスであり、一種の通過儀礼だ。

 俺は心穏やかに、彼女が書いたシナリオの文字として、その場その場をやり過ごせばいいだけだ。


 しかしながら、待て!

 それより何より大事なことがある。

 万が一、目の前の男が豊橋さんの手配したものでなければ……。


「あの……、羽島くん?」


 思考停止、いや厳密に言えば停止はしていない。

 今、目の前にある出来事に対しての、現実的な思考がおざなりになっているだけだ。

 そんな俺を不自然に思ったであろう三原さんに呼びかけられ、意識を戻される。


「っ!? あ、おいっ!!」


 ハッとした俺を見た男は、品川さんを連行し、どこかへ走り去っていってしまった。



「あのー、どうかされましたか?」


 俺も負けじと追いかけようとしようとした時、とある警察官に呼び止められる。

 面倒なことになったものだ。

 豊橋さんの仕組んだシナリオだった場合、の折檻は免れないだろう。

 だが、万が一であったのなら、品川さんの身に危険が及ぶのは言うまでもない。

 ここはどう考えても、素直に公安に頼るべき場面だ。


「なるほど。黒のニットにサングラス、ダウンジャケットを着た男が……、と。今時こんなのいるんですねぇ」


 品川さんが攫われてから、俺はその場に居合わせた警察官にコトの経緯を伝えた。

 マニュアル作りであれ、何であれ俺が一番避けたかった展開だ。

 とは言え、当の警察官は俺の話を聞き、呑気に感心しているところを見る辺り、を疑っているフシが垣間見える。

 当然だ。

 これだけ教科書通りの不審者など、俄には信じ難いだろう。

 第一、犯人の目的が一切分からない。


「分かりました。では改めて詳細をお聞きしたいので、署までご同行願えますか?」

「あ、はい……」


 署まで同行、か。

 まさか自分の人生でその言葉を聞くことになるとは思わなかった。


「では、宜しくお願いします。あの……、そう言えば今日は結婚式か何かだったんですか?」


 警察官は俺たちの身なりを眺めながら、思い出したように質問してくる。


「まぁ、それについては非っっっ常に複雑な事情がございまして、はい……」

「そ、そうでしたか。それは大変でしたね……。その辺りも捜査に支障がない程度にお話いただけると助かります」


 特殊過ぎる事情を抱えていることを素直に告げると、警察官は何かを察するように俺たちを労う。

 果たして、俺たちはどこまで話すべきなのだろうか。

 

 そして、品川さん。

 どの道、彼女は立派な被害者だ。

 もちろん多少の面倒ごとは覚悟の上で、引き受けたのだろうが。

 無事でいてくれることを切に願うばかりだ。


「なるほど……。つまり、ドッキリか何かだと」


 警察署へ向かう道すがら、世間話とばかりに今日の経緯について話していた。

 

 こうして説明しているだけでも、形容し難い疚しさに襲われるのは何故だろうか。

 無論、今回については被害者側であるのだから、堂々としていればいい。

 だが、という言葉に過剰なまでにアレルギー反応を起こす人間は多い。

 それは俺とて、例外ではない。

 真面目という、日本人ならではの国民性によるものか。

 いやはや。

 警察の目さえなければ、信号無視など平気な顔をしてやって退ける癖に、いざ職務質問の一つでもされようものなら過剰なまでに恐縮してみせる。

 コレのどこをどう見て、謙虚で礼儀正しい民族だと言えるのか。

 それも偏に忖度文化の発展により、法治国家としてのフェアネスが十分に育たなかったからなのかもしれない。


 まぁ、それはどうでもいい。

 それにしても、この青年。

 俺が警察と聞いてイメージするものとは正反対で、非常に腰が低い。

 年の頃で言うと、俺と同じか、やや下か。

 下っ端とは言え、法律を後ろ盾にしているとあれば、もう少し横柄になりそうな気もするが。

 しかし、こうして真摯に庶民の声に耳を傾けてくれている以上、それは偏見だと改めるべきなのかもしれない。

 まぁ事件の内容が内容だけに、当然ではあるのだが。


「はい。ですからヘンに勘繰ってしまって……」

「そうでしたか……。ご安心下さい。後は、我々公安にお任せいただければ、責任を持ってお連れの方の安全を保障します」


 などと、頼もしいことを言って退ける辺り、やはり俺は国家権力に対して多大なる誤解があったようだ。反省しなければならない。

 俺は居たたまれなくなり、より一層恐縮度合いを強める。


「あぁ、ナンカ本当にすみません……」

「い、いえ! 仕事ですから! お気になさらず!」

 

 俺の何重もの意味を込めた謝罪の言葉を聞いた警察官は、負けじと恐縮してくる。

 今後はどんなに間隔の短い横断歩道であろうと、きちんと青になるまで待とうと、固く心に誓った。

 

 さて、この警察官。

 ここまで見た印象では、信用に足る人物であるとは思う。

 とは言え、疑問がないこともない。


「あの……、一つ聞いてもいいですか?」

「はい? なんでしょう?」

「今日って、だったんですよね?」

「そうですが……」

「警察官って基本的に二人一組で行動するんですよね? 今日は、その……、相方さん? みたいな人ってどこかに居たりするんですか?」


 俺がそう言うと、警察官はしばしの間押黙る。


「なるほど。詳しいですね。お知り合いに警察官がいらっしゃる、とか?」

「い、いえ。どこかで聞いたことがあるってだけで……」

「……そうですか。おっしゃる通り、基本は二人行動です。理由としては、誤認防止とか、緊急時の役割分担とかの意味合いが大きいですね」

「そ、そうなんですか……」

「…………」


 警察官は淡々と落ち着いた口調で言い放ち、そこで話が途切れてしまう。

 何だか上手く煙に巻かれた気もするが……。

 

「……ていうか、羽島が結婚するって嘘だったんだよな? よしっ! これで俺の方がまだギリギリリードしてる状態だな! うんうん」


 すると福山さんが沈黙を破り、声を上げる。

 まんまと騙されたわりに、やたらと満足気だ。


「俺、何の勝負に参加させられてたんすか……。心配しなくても、福山さんたちは来月なんだから、ここから俺が逆転なんて無理っすよ」


「でも、ちょっと残念だったかも。サークルの仲間が同じタイミングで結婚って、ちょっとステキだって思ったから」


 それに対して、三原さんは本気で祝福してくれていたようだ。

 この辺りが俺や福山さんとの人間力の差かもしれない。


「あのっ! お二人は、その……、結婚される予定なんですか?」


 突如、警察官が三原さんと福山さんに向き直り、質問を投げかける。


「へ!? は、はい。来月に籍を入れる予定ですけど……、でもどうして?」


 不意打ちを食らった三原さんは、彼女らしからぬ間の抜けた声で応える。


「い、いえっ! すみません……。個人的な話で申し訳ないんですが、最近親がうるさいんですよ。『お前もそろそろイイ歳なんだから、彼女の一人でも連れてこい』って。皆さん、見た感じ僕と同世代みたいですし、気になってしまって……」

「そうだったんですね。ちなみにお巡りさんはおいくつなんですか?」

「僕、ですか? 今年で26になります」

「羽島くんたちと一緒じゃん! それなら、まだまだお若いんですし、これからいくらでもチャンスありますよ!」

「そ、そうですかね……。そうだといいんですが……」


 警察官はそう言いながら、チラリと俺に視線を向ける。

 俺と目が合うと、スグに視線を逸らしてしまう。

 

「ねぇねぇ、望ちゃん。アレって……」


 岩国が耳元でボソリと溢し、遠方を指差す。

 その指先には、先の黒ずくめの男が品川さんを引き連れ、走っていく姿が目に入った。


「あっ!? すみませんっ! !」


 それに気付いた警察官は、一目散にを目掛けて走り去ってしまった。


「えっと……。どうしよっか?」


 徳山が縋るような目で、聞いてくる。

 これが大事であれば、俺たちなどもはやお呼びでない。

 大人しく公安に委ね、続報を待つ他ない。 

 だが……。

 やはりあのの態度が引っ掛かる。

 



 直感だ。

 行ってみよう。

 普段であれば、被害妄想の権化である俺としては有り得ない選択だ。

 だが……、たまにはそんな行動原理で動いたっていい。

 それに、だ。

 今回俺が演じるべきは、義務教育レベルの教養がある人間なら、誰でも看破できるポンコツ詐欺事件の被害者だ。

 どう転んだところで、俺が惨めな想いをすることに変わりはない。

 であれば、品川さんのために、動かぬ理由などない。


「あっ!! ちょっと!?」


 俺は気付いた時には、走り出していた。


 もはやこの後に及んで、余計な邪推などはしない。

 に近い何かを感じながら、俺は道を急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る