第3話 とりあえずウチはタバコ大丈夫です
「あ……っと、その前に、いいかな?」
受け取ったファイルを賢人が開こうとしたところで、美子はいつの間にか手にした電子タバコを掲げた。
ファイルと一緒に、バッグから取り出したのだろう。
「あれ、もしかしてずっと我慢してました?」
「いや、軽穂さんからは許可を取っていたから1人で過ごしているときは吸っていたが、君が来たのでね」
「そうですか。別に普通のタバコ吸ってもいいですけどね」
「本当か!?」
賢人の言葉に、美子が目を輝かせる。
「ええ、ウチはじいちゃんがヘビースモーカーだったんで、あんまそういうのは気にしないです」
「そうか。それはそれで珍しいな」
家族に喫煙者がいる場合、逆にタバコ嫌いになる人も多い。
ちなみに賢人の家族でタバコを吸うのは祖父くらいのものだったが、それに対して嫌悪感を抱く者はいなかった。
「ところで君は吸わないのかい? もしくは昔吸っていてやめたとか?」
「いやぁ、ガキのころタバコ吸ってるじいちゃんに憧れて真似しようとしたんですけどね、なんか合わないみたいで」
「そうか。では、なぜミントパイプを?」
「タバコが吸えなかったんで、カッコだけ真似したんですよ。ダサいでしょ?」
「どうかな。このご時世にタバコをやめられない私のほうがよっぽどダサいと思うがね」
美子は苦笑しながらバッグを漁り、タバコのソフトパックとライター、そして携帯灰皿を取り出した。
「あ、ちょっと待っててください」
賢人はそう言ってテーブルにファイルを置くと、居間を出て座敷へ向かった。
座敷にある仏壇に、祖父の使っていた灰皿が置いてあるのを思い出したのだ。
分厚いガラス製の立派なもので、ひと昔前はどの家庭にもあったものだが、いまはとんと見なくなった。
毎朝仏壇に参る祖母が軽く磨いていたおかげで、ほこりひとつついていなかった。
「お待たせしました。これ、どうぞ」
「ああ、わざわざすまない」
賢人に礼を言ったあと、美子は口元をほころばせ、テーブルに置かれたガラス製の灰皿を手に取る。
そして、その重さを確認するように軽く手を振った。
「ふふ、こういうの、久しぶりに見るよ」
「昔はどこにでもあったんですけどね」
「これ、ひと昔前の刑事ドラマなんかだと、よく凶器にされていたな」
「ですね」
クスクスと笑い合ったあと、美子は灰皿をテーブルに置き直し、ソフトパックから取り出したタバコをくわえて火をつけた。
「すぅ……ふぅー……」
美子の口から吐き出された紫煙が、室内に広がっていく。
下着姿でタバコをくゆらせる彼女の姿は、なんともいえず絵になっていた。
「ああ、邪魔をしてすまなかったね。ファイルを」
「あ、はい」
その言葉と視線を受け、賢人はファイルのことを思い出し、手に取った。
そして、中身を確認していく。
「ん?」
ファイルに添付された現場写真を見ていた賢人が、首を傾げた。
「なにか、気になることがあったかね?」
それを見た美子は口元に小さな笑みを浮かべ、灰皿に灰をとんとんと落としながら尋ねる。
「いえ、ガス爆発って聞いてたけど、これ、店の真ん中で爆発があった感じですよね? なんでそんなところにボンベを……って、あれ? ガスボンベは、無事?」
「ふむ、他に気づいたことは?」
「えっと……爆発が起こったにしては……あれ、そういやあのとき、煙とか出てなかったな」
爆発事故が起こったその翌朝、一応賢人は会社を訪れていた。
その際あたりに数台の消防車はいたが、煙などはあがっていなかったことをいまさらながら思い出した。
仮に鎮火したあとだとしても、煙やなにかが焦げたにおいなどが漂っているはずだ。
「それに、天井に大穴が空いてるけど、これで会社のサーバーが全部ダメになるかな?」
物理的な衝撃で機器が破損することもあるだろうが、データのいくつかは社内に複数あるPCにも保存されているはずだ。
そのすべてが破壊されるほどの損傷とは、どうしても思えなかった。
「ふふふ、いいぞいいぞ。私の後輩などよりよほどいい観察眼を持っているな、君は。やはり私の所で働かないか?」
「いえ、それは、ちょっと」
脳裏にルーシーの顔が浮かぶ。
異世界探索は彼にとって義務ではない。
冒険者登録をしたのでフリーランスとして仕事を請け負っているようなものだが、やらなくてはいけないことではないのだ。
ただ、彼女と過ごした日々は充実していた。
できれば、早くあちらに戻り、ダンジョン探索の続きをしたいと思っている。
そうなると、こちらでの職は、彼にとって枷となるものだった。
異世界と日本とを行き来できる以上、こちらの世界での生活を完全に投げ出すつもりはない。
祖母や姉に心配をかけない程度には、戻ってくる予定だ。
そうなると日本での生活費などもかかるわけだが、彼にはそれなりの貯えがあるので、まだしばらくの猶予はある。
こちらでの生活をどうするかを考えるのは、もう少し先延ばしにしたかった。
「ふむ、まぁ気が変わったらいつでも言ってくれたまえ。君ならいつでも歓迎するよ」
どうやら賢人にその気がないことを悟った美子は、とりあえず門戸だけは開いておくことにしたようだった。
「ところでこれ、俺が見てもいいヤツなんですか?」
ひととおりファイルに目を通したところで、自分が読んだものがいわゆる捜査資料のようなものではないか、と気づいた。
「そうだな、あまり部外者に見せていいものではないかな」
「じゃあ、どうして」
「というわけでさっそく気が変わってくれるといろいろ話は早いのだが……」
賢人が美子の下で働くようになれば、少なくとも彼は部外者ではなくなるのだ。
「いや、それは……」
「ははは、冗談だ」
「ちょっと、勘弁してくださいよ……。それで、どうしてこれを俺に?」
「なに、君なら大丈夫だと思ってね。口は固いほうだろう?」
「いや、そりゃ自分で口が軽いとは言いませんけど……っていうか、もしかして関係者全員に同じ話を?」
そう言ったところで、賢人はふと疑問に思う。
そもそも自分はこの爆発事故の関係者なのだろうかと。
たまたま事故現場の上階に位置するオフィスに勤めていただけで、被害らしい被害も受けていない。
客観的に見れば職を失ったことは大きな被害といえるだろうが、賢人自身はあまり気にしていなかった。
「いや、こうして話を……少なくとも私が聞くのは君がはじめてだな」
事故現場となった中華料理店の従業員や賢人の勤めていた会社のおもだったメンバーには、現場を担当した刑事が話を聞いているが、それを受けて美子が動いたのは今回がはじめてのことだった。
「どうして、俺に?」
「ふむ、それを説明するには、まず事件の特異性について語らねばならないな」
「事件?」
事故ではなかったのか、と賢人は疑問に思ったがつっこんだ質問をする前にまずは美子の話を聞くことにした。
「写真を見てもらえればわかると思うが、ずいぶん不可解なことが多いだろう?」
「ええ、そうですね」
そして美子は、原因は爆発ではなく衝撃波によるものだということ、それに伴うかどうかは不明だが、正体不明のエネルギーが流れ込んだことで、賢人の勤めていたオフィスにおいてコンセントなり通信なりで有線接続された機器がすべてダメになってしまったことを説明した。
「なんですか、それ?」
彼女の説明してくれたなんとも不可解な出来事に首を傾げつつも、もしかすると異世界の魔法を使えば、似たような現象を引き起こせるのだろうか、という考えがふと頭をよぎる。
「おや、なにか心当たりがありそうな顔をしているな?」
心の内が表情に出たのか、美子はそう言って口元に笑みを浮かべつつも、射貫くような視線を賢人に向けた。
「い、いえ、そんな……不思議なこともあるもんだなぁ、と思っただけですよ」
「そうかい?」
「そ、そんなことより、なんでウチに来たんですか? 不可思議なことがあったからって、俺じゃ力になれないっていうか……」
賢人は内心焦りながらも、話を元に戻す。
そもそも彼女はなぜ、石岡家を訪れたのか?
じっと賢人を見つめていた美子は、ふっと表情を緩め、タバコをふかした。
「うむ、この手の事件は、人間関係がかかわってくることが多くてな。それで、直接、間接問わず事件にかかわった本人と、その親類縁者にいたるまで、ひとまずざっと調べるわけだ」
「はぁ」
「そこでひとり、気になる人物が浮かび上がってね」
そこで美子はもう一度タバコをふかし、短くなったそれを灰皿に押しつけた。
「石岡イネ」
「えっ……」
彼女の口から飛び出した祖母の名に、賢人の心臓が跳ねる。
「君のお
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